3月19日(日)_カイトくんと美味しいサンドイッチになるぞ【くるるのひとりごと8】

 午後の喫茶店は時間がゆったりと過ぎる。

 キッチンカウンターの内側。

 私はこぼれる笑みを抑えながら美奈さんに語る。


「引け引け作戦プラン、さいきょーかもですねっ」

「わ~くるるちゃんニヤけてる~」


 ぜんぜん抑えられてなかった。むう。気分でいえばクールに、さらりとカッコよく言ったつもりだったんだけど。


「えへへ、デー……おでかけの約束もしちゃいましたから!」

「おめでと~どこ行くの~?」

「カイトくんの希望を聞いたら本屋さんに行きたいっていうので、でっかいビルの本屋さんに行こうと思います!」

「わ~、いいじゃんいいじゃん~相手の好み出てるでてる~」

「そうなんですよ~。これまで私って押せ押せしすぎてたんだなってホントによく分かりましたっ。美奈さんのアドバイスのおかげですよお」

「役に立ったのならよかった~」


 美奈さんと顔を合わせて笑い合う。

 今日は私がキッチンの研修をする日だった。代わりにカイトくんがホールの担当。いまもほら、お客さんたちの対応をしてる。

 私はカイトくんほど料理が得意ってワケじゃないんだけど、それでも一通りは憶えておかないとね。


 そんなこんなで今日の練習するレシピはサンドイッチ。

 美奈さんがゆるーくおしゃべりしながら下準備をしている。これから教えてくれるのだ。私はそれに倣って作ってみるってわけ。

 練習なので二人で食べちゃおって話になっている。失敗したら店長のまかないにすればいいって美奈さんが。ナチュラルにひどい。


「それでそれで~? 本屋さんだけじゃないんでしょ?」

「あとはですね、カイトくんを美容院に連れていこうって話になりまして」

「連れていく?」

「カイトくんの美容院デビューなんです! どんな髪型にするんだろ……ふへへ」

「あ~くるるちゃん、またニヤけてる~」

「だ、だって思い返したら……へへ。ほんと、感情の時限爆弾ですっ」

「じげ……? どゆこと~?」

「えと、ほら、時間が経っても私のほっぺを揺るがすなんて、カイトくんとのやり取りはタイマー仕掛けの危険物だなって」

「明石くんはキケン……なの~?」


 美奈さんが眉を八の字にして首をコテンって傾ける。

 う、通じなかった。いけないいけない。

 カイトくんが分かってくれるから勘違いしそうになるけど、私が思うがままに話すとやっぱり分かってもらえない。

 特に気持ちが高ぶってると一人で宇宙の彼方まで飛んで行っちゃって、相手を置いてけぼりにしちゃう。

 お仕事のやり取りだと苦労しないんだけどね。思ってることを話すときとは違うから。


 例えばいまみたいに調理の手順を教わったりとかね。


「いい? くるるちゃん。サンドイッチで大事なのはパンを湿らせないことだよ~」

「ふむふむ。あれ? でも、いま作ってるのってきゅうりたまごサンドですよね。どっちも湿っぽい食材だと思うんですけど」

「ここで問題です。瑞々しい野菜を使っててもパンを湿らせないためにはどうすればいいでしょう?」

「えっ、えっ、ど、どうすれば……?」

「さーん、にー、いー……ち」

「さ、砂漠にもっていくとかっ! パンを! 砂漠に! そこでトーストするとか! カラッと焼いちゃえば、もしかしたら!」

「ふふっ、砂漠はよく分かんないけど、トーストしちゃったらホットサンドになっちゃうよ~。正解は~、これで~す」


 美奈さんは金属の棒を取り出した。

 違った、棒じゃない。ナイフ? に見える。


「バターを塗ってパンをコーティングしていきま~す」

「そのナイフは、バター用なんですか?」

「正解~」


 言われてみれば調理台の上にはバターが置いてあった。

 むう、見えてたはずなのに。

 普段あんまり料理をしないとこういうことに気付けない。悔しい。

 美奈さんが言うには、常温に戻しておくと塗りやすいんだって。確かに冷蔵庫から取り出したばかりのバターってカチコチだもんねえ。


 慣れた手つきで美奈さんがバターをたっぷり塗っていく。それはもうたっぷりと。パンの端まで。

 パンは業務用の耳なし食パンだって。便利だねえ。

 って、美奈さん、いくらなんでもそれは塗りすぎなんじゃ……?


「くるるちゃんいま、塗りすぎじゃないかって思った~?」

「!」


 心を読まれてるっ!?


「こうやってバターでコーティングしておけば、瑞々しいきゅうりをサンドしてもパンの表面は湿らないんだよ~。少しくらい時間が経っても、ふわふわのパンとシャキシャキのきゅうりのまま。おいしいよ~」

「ほわ……」


 美奈さんの説明を聞くだけでよだれが出そう。

 休憩のときにお昼食べたのに!


「これをサボると~、しなしなのパンで挟まれた、残念サンドになっちゃいますよ~」

「ざ、残念サンド……!」

「そー。パンのふわふわは、ちゃんと適切に対処しないと、きゅうりとたまごサラダによって失われてしまうってことだね~」

「そんなあ」

「いい食材の組み合わせでも、適した距離感があるってこと。覚えておいてね~」

「な、なるほど! 赤ペンでメモしました! 心の中で!」


 美奈さんに手伝ってもらいながら私はサンドイッチを完成させた。バターはたっぷり。カロリーは気にしちゃいけないらしい。

 と、そこへ。


「休憩入ります」


 カイトくん参上。

 ばちっと目が合う。すぐに逸らす。うかがうようにちょろーっと見ると、カイトくんも視線をさまよわせてる。

 LINEでは普通に話せてたけど、直接会うとまだこんなかんじ。

 江ノ島の本音ゲームが尾を引いているのだ。


 彼の視線が一点で止まった。

 調理台の上、私が作ったきゅうりたまごサンドだ。教わった通りにカットまでしてある。

 食べる?

 と、口を開きかけたところで気づく。

 いけない、引け引け作戦だっ! ここで彼が言ってくるなら喜んで差し出すくらいでいい、ここは我慢だっ!


「さ、サンドイッチ、桜間さんが作ったの?」

「そ、そうだよー?」

「す、すごく綺麗にできてるね。断面とか」

「ま、まあねー」

「……ひとつもらってもいい?」

「! 全部あげる!」

「いやいやいや、全部食べちゃったらダメでしょ。うまくいったかどうか自分でも確かめないと……ですよね、七海さん」

「そうね~、わたしも確かめたいから、一切れだけもらおうかしら」

「わ、私も一切れでいいかなっ。ふ、太っちゃうし」

「そう? それじゃ遠慮なく」


 カイトくんはお皿を受け取るとバックヤードで休憩に入った。

 渡すときに触れた指先が熱く感じる。


「くるるちゃん、いま自分から言わないように気を付けたでしょ~」

「ば、バレてましたか……!」

「ふふ、待った甲斐があったねえ」

「えへへ、えへ」


 私はほっぺたをゆるゆるにした。

 カイトくんには休憩明けに美味しかったって言ってもらえたし、引け引け作戦は今日も大成功だったみたい。


 むむっ、これってなんだか、引け引け作戦と同じかもしれない。

 私とカイトくんの相性がいいとしても、ちょうどいい距離感じゃないとダメってことで。

 つまり私からの押せ押せばっかりじゃダメってことで。

 美奈さんの言葉はタメになるな~。

 カイトくんとの間にはバターがあれば、私はカイトくんと美味しいサンドイッチになれるってこと?


 よーし、がんばるぞ私っ!

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