3月18日(土)_引け引け作戦!【トーク履歴8】

[くるる:ごめん! 髪のセットに時間かかってる!]8:20

[くるる:先行ってて!]8:20

[解人:へい]8:20


 朝からしとしと雨が降っている。

 解人はバイト先の喫茶店の軒先で傘を閉じるとため息をついた。

 分かりやすく悩んでいた。

 稼ぎ時である土日の売り上げが伸びないことに、ではなく。

 くるるとの関わり方についてだ。

 彼女への想いを自覚してから一夜明けた。

 自分が陥って解人は初めて知ったが、この感情に気付いてしまったら、以前とは同じようには振る舞うことは難しい。

 相手のことを意識せざるを得ないのだ。


 働いている間も、くるるのことを絶対に見てしまうだろうという情けない自信が、今の解人にはあった。


 こんな気持ちじゃまともに働けない。

 どうしてこのタイミングでバイトなんだと頭を抱えたくなったが、シフトを提出したのは先々週の自分たち。つまり、これまで通り当然のようにくるると出勤時間が被っていたわけだ。


 どうしたものかなと思いながら、解人は喫茶店の裏口からスタッフルームへと向かった。



 ◇ ◆ ◇



 バイトを終えたくるるは、冷えた身体を抱えて湯船に直行した。

 いつもなら入浴は寝る前だったが、こうも寒いと飛び込まざるを得ない。特につま先がアイスクリームよりも冷たくなるのだとくるるは思っていた。

 持ち込んだスマホを防水スタンドに入れて湯船のフタに置く。

 最近ハマっているのは、現代のロンドンを舞台にホームズが活躍するミステリ活劇。

 賢すぎるけれど不器用なホームズが、くるるにとっては愛らしく思えたのだ。


 だが、いつもは楽しいはずのドラマもあまり頭に入ってこない。

 理由は明白だ。

 バイト中の解人の態度がどこかぎこちなかったのだ。

 たんに避けられているわけでもない。それどころか目が合うことも多いのだが、そのたびに逸らされてしまったのだ。

 それがずっと気になって、いつもならなんとなく送っていたLINEも今日は送れずにいる。

 江ノ島であんなことを言ってしまったからだろうかとくるるは思い返す。

 ずっと一緒にいてよ。

 その言葉は言うべきだったのか、言わざるべきだったのか。


 ぼーっとしてからハッとして映像を巻き戻し、という動きを三回繰り返したころ通知が飛んできた。画面の上部にメッセージがポップアップ表示される。


[七海美奈:くるるちゃんおつかれさまー]18:32

[七海美奈:明石くんとなにかあった?]18:32


「ぎゃ!」


 変な声が出た。

 やはり気付かれていたのかとくるるは美奈の洞察力におののく。しかしくるるは考えた。

 この際もう全部話してしまえばいいのでは? と。

 大人で周りをよく見ていて優しい先輩に頼らない道はない。

 くるるはここ数日の出来事を、そして解人のぎこちなさについて打ち明けた。


[くるる:私やりすぎでしたか???]18:45

[くるる:避けられてるのかなって]18:45

[七海美奈:んー?]18:45

[七海美奈:避けてるわけじゃないと思うよ]18:45

[七海美奈:ずーっと見てたし]18:45

[七海美奈:たんに距離を測りかねてるだけだと思うな]18:46

[七海美奈:だって何度も目が合ったんでしょ?]18:46

[くるる:でも逸らされちゃいましたよ]18:46

[七海美奈:けど目が合ったってことは]18:46

[七海美奈:くるるちゃんのこと見てたってことだよ]18:46


 あ、と実際に声を出すくるる。

 確かに言われてみれば、何度も目が合うということは互いが互いのことを何度も見ているということで。

 くるるはそこまで考えて、自分はなんて恥ずかしいことをしていたんだとほんのりと頬を染める。


[くるる:気付け~~~って思うんですけど]18:48

[くるる:本音だって信じてもらえてないんでしょうか]18:48

[七海美奈:そうだなあ]18:48

[七海美奈:これまでも似たようなこと言ったことある?]18:48

[くるる:さすがにないです!!!!!]18:48

[くるる:ない、はずです……]18:48

[くるる:こんな恥ずかしいこと、何度も言えません]18:48

[七海美奈:へー、意外かも]18:49

[七海美奈:くるるちゃんってけっこう押せ押せなとこあるから]18:50

[七海美奈:積極的にアプローチしてたのかと]18:50

[くるる:言われてみれば]18:50

[くるる:だいたい私からアクション起こすかもです]18:50


 元からと言われれば元からだった。

 くるるは自分の恋心を自覚するよりも前から、解人に懐いて絡みに行っていたのだから。

 

[七海美奈:だからじゃない?]18:50

[くるる:だから?]18:50

[七海美奈:いつもと同じだと思われてるんじゃないかな]18:51

[七海美奈:これまで通り積極的だなあって]18:51

[くるる:そういうものなんでしょうか]18:51

[七海美奈:くるるちゃんが押せ押せだから]18:53

[七海美奈:明石くんは好意を受け取ることに慣れちゃってて]18:53

[七海美奈:今回の好意がいつもと違うって分からなかったってことは]18:53

[七海美奈:あり得そうじゃない?]18:53

[くるる:!]18:53

[くるる:私が好意のバーゲンセールしちゃってたってことでふか!?]18:53

[くるる:ですか!?]18:53


 驚きすぎてくるるのフリック入力が暴れる。目からウロコすぎたのだった。


[七海美奈:大安売りするとありがたみが減っちゃうってこと]18:56

[七海美奈:あるよねえ]18:56

[七海美奈:安くて当たり前、みたいな]18:56

[くるる:どうすればいいんでしょう]18:56

[くるる:私、安売りしてたつもりはないんです!]18:56

[七海美奈:押せ押せだったなら]18:57

[七海美奈:引け引けにしてみたら?]18:57

[くるる:引け引けってどういうことをすれば]18:57

[七海美奈:LINEをこっちから送らないで]18:59

[七海美奈:待ってみるとか?]18:59

[くるる:!!!]18:59

[くるる:やってみます……!]18:59


 狼少年という童話がある。

 毎朝、狼が来たとウソをつき続けた少年は、本当に狼が来たとき誰にも助けてもらえず食べられてしまうという寓話だ。

 もしかしたら好意というのは、それと似たものかもしれないとくるるは思う。

 常に好意を前面に押し出していては大切な想いに気付いてもらえなくなってしまうとしたら。


「引け~……引け~……」


 くるるは自らに修行だと言い聞かせて待つことにした。



 ◇ ◆ ◇



 解人はバイトが終わってもソワソワしていた。

 結局、勤務中ずっとぎこちない振る舞いをしてしまった。幸い、仕事上のミスはなかったけれど、美奈にからかわれる程度にはくるるに対して挙動不審になっていて。

 今日のことを弁解しようかとスマホに手を伸ばすも、なんと送ればいいのか分からずLINEを閉じるという行動を繰り返していた。

 いつもはくるるから連絡が来るから、どうやって自分から話し始めればいいのかさっぱりだった。


「いや……いつも通りの話題なら……」


 言ってから首を傾げる。

 いつも通りってなんだっけ。いつもはどんなことを話していたっけ、と。

 解人はLINEの履歴を遡る。

 だいたいくるるがドラマや音楽、映画、そしてファッションの話をしている。

 そして解人はそれに相槌を打ちながら質問を繰り返している。


「くそ……全部受け身じゃねえか……」 


 情けないにもほどがある解人だったが、ふと、目に留まるものがあった。

 以前、髪型を褒めたことがあったのだ。くるるに『よく見てるなあ』と言われて大変恥ずかしい思いをした、あの一件。

 そうか、髪だ。

 今日の髪型も可愛かった。解人には、そのヘアスタイルの名前は分からなかったけれど、曲線が綺麗だった。手間もかかっただろう。


 恥ずかしさを考えなければ、これなら自分でもくるるに話題を振れる。解人はそう考えた。

 指を走らせ、送信。


[解人:おつかれさま]19:13

[解人:今日はきょどってごめん]19:13

[解人:髪型、すごい似合ってた]19:14

[解人:曲線がいいかんじで]19:15


 送ってから解人は気になってきた。

 キモい上司が部下に送るセクハラメールか?

 口説いてるように読めないか?

 どうしようなにか別の話題を、と思っていると返信を報せる通知が飛んできた。



 ◇ ◆ ◇



「きたーーーーー!!!!!」


 くるるは勢いよく湯船から立ち上がった。

 解人からLINEが届いたのだ。

 すっぽんぽんのまま浴槽で棒立ちしながらLINEを見返す。

 最近がんばっているヘアアレンジについて触れた内容に、思わずニヤけるくるる。

 髪留めをもらってからはよりいっそう髪いじりを楽しんでいたので、触れてもらえるのも嬉しい。


 引け引け作戦、イイ感じかも。


 くるるは心の中でほくそ笑み、美奈に感謝の念を送る。

 正直、待っている間は不安で仕方なかった。

 自分から動かないと相手は自分に構ってくれないんじゃないかと。

 けれどそんなことはなかった。

 以前も、解人から昼ご飯に誘ってくれたことを思い出す。

 そうじゃん、私からの一方通行じゃないじゃん、と。

 いっつも自分ばっかり話していたのも良くなかったのかもしれない。もっと解人のことを知りたいと、くるるは考えた。

 そのためにも、押せ押せじゃなくて、あえて引け引け。

 解人のことも知れて、解人からのアプローチもしてもらえて一石二鳥だ。


 昨日立てた春休みの目標を思いだす。

『合意ツーショ』を撮ること、だ。『合意ツーショ』とは、勢いやノリに乗じたツーショットではなく、合意の上で二人きりで撮った自撮りを指す、くるる語だった。

 解人からLINEが送られてきたことを受けて、くるるは希望を抱く。


 これなら『合意ツーショ』いけるかもしれない!

 それどころか、カイトくんから一緒に写真を撮ろうって言ってもらえるのも夢じゃない……!?


 くるるは妄想を叶えるためにも引け引け作戦を遂行していく。

 好意は控えめに、そして相手に話してもらう。


[くるる:おつかれさまー]19:16

[くるる:めっちゃ目合ったからなにかなーと思ってたよ笑]19:16

[解人:あれって、どうやってたの?]19:18

[解人:難しそうだなって]19:18

[解人:美容院とか行ったのかと思った]19:18

[くるる:ふふ、実はけっこう簡単なのだー]19:20

[くるる:ね、カイトくんのことも教えてよ]19:20

[くるる:美容院とかいかないの?]19:20

[解人:いかないなあ]19:21

[解人:髪切るだけだし]19:21

[くるる:興味はある?]19:23

[くるる:今度行ってみようよ]19:23

[くるる:私もついてくよ]19:23

 ……………………

 …………

 ……


 肌寒さを覚えて、くるるは自分が真っ裸でLINEをしていたことに気付く。ざぶんと湯に浸かり、スマホを眺める。

 いつも通りのLINEになりつつあったが、くるるとしては引け引け作戦の効果を感じていた。


 冷たく不安を抱えていた自分はどこへやら、身も心もほっかほかになったくるるだった。

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