3月8日(水)_七海美奈は見守りたい
喫茶店はときおり凪ぐことがある。
客足が緩やかで、時計の針もゆっくりと進むような。そんな穏やかな時間。
当然、店員にも
「またお待ちしております~」
客を見送った解人は、先輩の七海美奈と共に背の高いスツールに腰を落ち着かせる。フロアも見渡せる、ちょうどいい高さの椅子だった。
今も二人からは、くるるが後片付けをするのが見えていた。
「明石くん、今日はなんだか元気がありませんね~」
「……顔に出てましたか?」
「ううん~、接客はバッチリだよ。年の功だよ、年の功~」
「まさにその、年齢のことなんですけどね」
うん? と美奈は首を傾げる。
「その、ですね。一部の人から、年上好きだとか年上キラーだとか、思われているらしくて」
「わ~、その話を年上のわたしにしちゃうんだあ~」
美奈がクスクスと笑う。
「まずかったですかね」
「わたしはヘイキだけど~、年上好きって思われてるって話を~、ふふ、年上にするって」
「だって、七海さんはヘンな風に取らないでしょう。だから気が楽というか」
あら~、と美奈が少女漫画のお嬢様みたいな反応をする。
「わたし、明石くんのことは好意的に思っていますよ~?」
「からかわないでくださいよ……。俺だってさすがに恋愛的な意味じゃないことくらいは分かります」
「そうですね~。でも、感情の機微に聡いところは本当に好きですよ~。余計な勘違いも生まれないですから~」
おっとりとした垂れ目を細めて笑う美奈。
解人は思わず、うぐ、と言葉に詰まる。恥ずかしかったのだ。
からかいだと思って軽く流したところに投げ込まれたストレートな好意。恋愛的な意味ではないという合意が取れたうえでの言葉は、かえって人間的に好感が持てると言われているということで。
人からの好意に予防線を張った解人にとって、死角から直球が飛んでくると、どうしたって恥ずかしいのだ。
「七海さんはちょっと意地悪ですよね」
「ごめんねえ、明石くんがかわいくて、つい。でも嘘じゃないよ」
くすくすと美奈が笑う。
解人は、なんとなく負けた気がしてちょっといじけた口調になる。
「……七海さんは『余計な勘違い』とやらをされることがあるんですか?」
先ほどの『余計な勘違いも生まれない』という言葉に、解人はドキッとしていた。
「まあ、ねえ~。女子にはいろいろあるんですよ~」
美奈はひらりと躱す。
解人はそれ以上深追いはしなかった。
彼女の言う『余計な勘違い』とやらは、おそらく、好意を示したつもりのない相手から好意を向けられるといったことだろうと解人は考えていた。
大学で彼女がモテるだろうということは解人にも想像がつく。美人だし、仕事できるし、ちょっとSっ気はあるけれど、基本的には優しいし。
けれど彼女は、気のない人間から向けられる好意を嬉しく思わないのだろうなということも解人には想像がつく。
そして、なにかしらの事件やらトラウマやらが絡んでいそうな気配も。
解人は、そうしたことを加味して、これ以上触れると美奈が嫌がるだろうと考えて深追いはしなかったのだった。
「明石くんは年上キラーっていうか、同世代にウケないだけだと思うけどね~」
「もしかしてモテないって言われてます?」
「ふふふ、お好きに受け取ってください」
「俺だって傷つくんですからね」
解人は唇を尖らせる。
「え~、悪い意味で言ったわけじゃないよ~。ただ、高校生のうちってモテる人の特徴ってわりとどれも同じじゃない~?」
「む……まあ。やっぱり活発で元気な運動部の方が人気者ってイメージはありますね」
「でしょ~? だから、フツーの高校生にはウケないんじゃないかなあって」
「フツーの?」
「だって、ねえ? ほら、一部にはウケるかもしれないじゃん?」
そう言って美奈は背伸びする。視線の先はカウンターの奥。客の去った後のテーブルを片付けていたくるるに向けられていた。
「……っ! ないですよ、そんなっ……!」
解人は言葉を続けようとして、詰まる。
わーっと叫びながら逃げ出したい気分だった。しかし今は勤務中。この場から逃れる方法など……。
そのとき、バックヤードの戸が開いた。壮年の男が顔をのぞかせる。
「て、店長!」
「ああ明石くん、ちょうどいいところに。力仕事を頼まれてくれないかな」
「やります。めっちゃ運びます。それじゃ、七海さん」
「はぁい。いってらっしゃ~い」
店長に連れられて奥に引っ込む解人を、美奈はひらひらと手を振って見送った。
そこへくるるが戻ってくる。トレイをカウンターに置くと、美奈の側まで回り込んだ。
「ガムシロップがこびりついてて大変でしたあ……」
「あらあら、どうりで戻りが遅いなあって思ったら。言ってくれれば助けに行ったのに~」
「いえっ! ホールの私の仕事ですし、美奈さんはお店の中心にいてほしいですから」
「そうなの?」
「ポジション、大事です! それに、どこからでも美奈さんの姿が見えると安心できるっていうか」
二人は手際よく食器とカトラリーを洗いながら話を続けた。
くるるが、美奈の顔を伺いながら探るように言う。
「で、でもー、美奈さんとカイトくんはけっこう話してるから、私としてはちょっと寂しいなーって思うこともあったりなかったりーかとらりー」
「かとらりー?」
「と、とにかくっ。二人がどんな話をしてたのか、気になるなあって。ヘンな意味はないですよ!?」
「あー……」
美奈は困ったな、と思った。
青少年の甘酸っぱい色恋を眺めるぶんには楽しいものだけれど、自分が巻き込まれるのは本意ではなかった。
なので、ドストレートに伝えることにする。
食器を洗い終わり、布巾をすすいでいるくるるの耳元へ、ひそひそ話をするほどに近づき。
「心配しなくても、明石くんを取ったりしないからね」
小さな声で耳打ち。
「ぴっ……!」
くるるはその場でピョンと跳ねる。濡れた手のままで耳を押さえた。
顔は真っ赤に染まっている。
「な……なぜそれを……! だっ、誰から聞いたんですか!」
心底驚いたような反応に、美奈は呆れ気味で答える。
「くるるちゃんはどうして隠せていると思ってたの~?」
「えっ」
「すっごく分かりやすいよお」
「ええっ」
「たぶん、気付いてないのは明石くんくらいだねえ。気付いてないというか、気付きたくないというか……」
美奈は乾いた布巾で、くるるの濡れたままの手を包み込む。
「くるるちゃんは、解ってほしい?」
「わ、私!? えと、そりゃ、そうなったら嬉しいなあって思っていますけど。でも、まだどうやったらいいのか分からなくて、それで、えっと」
くるるがしどろもどろになって、視線をジェットコースターさせて慌てる。
そこへ。
「戻りましたー」
「ひぃえあ!」
バックヤードから解人が帰ってくる。くるるは驚きすぎてピョンと跳ねていた。
美奈は気付かれないように一歩下がる。
「あ……さ、桜間さん、どうしたの。そんなラッパーみたいな声だして」
「な、なんでもないYO~~」
「そ、そうかYO~……」
「そうだYO~……」
ぎこちない会話を広げ、視線も合わせられない二人を、美奈は口元に手を当てながら、あらあらまあまあと見守っていた。
喫茶『ヴィンテージ』は今日も平和だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます