3月4日(土)_よく見てるなあ【トーク履歴6】
解人は朝日に目を細める。
カーテンの隙間、早く起きろとばかりに降り注ぐ光は、まぶたを閉じても突き刺さる。
体を起こしてスマホを探す。
まだ七時を少し回ったくらい。
ずいぶんマトモな生活になってきたな、と解人は思う。
金曜に夜更かし、土曜は昼に起きるというサイクルに変化が起きたのは、他でもないバイトの影響だった。
今日も昼前からシフトが入っている。
解人はあくびを噛み殺しながらクラスメイトの少女にLINEを送る。
[解人:寝坊は回避]7:07
[解人:そちらは?]7:07
[くるる:ん]7:15
[くるる:おきた]7:19
メッセージの送信時間をみて解人はクスリと笑う。
一度目のメッセージから二度目のメッセージまで5分ほどの間隔がある。
まだ半分寝ているのかもしれない。
LINEの相手は、友だちであり、バイト仲間でもある桜間くるる。
遅刻をしないためにくるるが提案した起床報告だった。
[解人:遅れたら
[くるる:起きた!]7:26
[くるる:だいじょぶ!]7:26
急に覚醒したかのようなLINEに解人は笑う。
それから布団を抜け出し、リビングでゆっくりと朝食を食べてから、余裕をもってバイト先の喫茶店に向かった。
◆ ◇ ◆
飲食の仕事は主に二つに分かれる。
接客を担当する『ホール』と呼ばれる役割。そして調理担当の『キッチン』だ。
まだまだ研修期間のくるると解人はどちらも経験中だったが、すでになんとなく、担当が固定化しつつあった。
笑顔ゆえ愛され気質のくるるがホールスタッフに、器用ゆえに料理の覚えが早い解人がキッチンだ。
キッチンといいつつも店の奥の厨房に引っ込むわけではない。
カウンターの内側に調理台があり、店全体が見渡せる造りになっていた。
そのため、キッチンに立つスタッフは司令塔の役割も兼ねている。
視野の広い解人にはちょうど良かった。
そんな解人だったが、今日に限っては視野が狭く────というより、一人の背中を追い続けていた。
くるるがあっちへ行き、そっちへ行き、しばしばこちらへと戻ってくる。
なんだかいつもと違うような気がしたのだ。
どことなく、雰囲気が大人びているというか、垢ぬけているというか。
いったい何が。
そんなことを考えながら、くるるの動きを目で追っていると。
「明石くん~、コーヒーこぼしちゃいますよ~。クビになっちゃいますよ~」
穏やかな声とのんびりとした口調で、ヒヤリとするお叱りの声がした。
解人が慌ててそちらを振り向く。
先輩の
大学四年生で、解人たちの研修をしている店員だった。
垂れ目でおっとりとしたお嬢様といった風貌とは裏腹に、動きに無駄がなくテキパキと仕事をこなす、デキる店員だった。
現在、くるると解人で分担しているホールとキッチンの作業をほとんど一人で出来てしまうのだから、店長が新人二人ぶんは働けると言っていたのは誇張ではなかった。
そんな七海に怒られ、解人はしょぼしょぼと頭を下げる。
「すみません、よそ見してました……」
「んん~。くるるちゃんが気になるのは仕方ないけどさ~」
「違っ……くは、ないです、けど……」
「ふふふ、明石くんは可愛いですねえ。でも、お仕事中だし、ねえ~?」
「う……はい……」
「ほら、ナポリタンとパフェもあるんだから、はやく、はやく~」
「はいっ」
「それで、二人は付き合ってるの~?」
「つっ……!? し、仕事中ですからそういう話はですね……俺、ナポリタン作っちゃいますから、七海さんはホールのお手伝い行ってきてください」
「わ~、こわ~い。行ってくるねえ~」
優しいけれど甘くはない。それでいてちょっぴりユーモラス。
そんな先輩に今日も今日とて仕事を教えてもらいながら、解人たちの勤務時間は過ぎて行った。
◆ ◇ ◆
バイトが終わり。
解人は夕食を食べ終え、リビングのソファでくつろいでいた。
[くるる:なんか今日]20:11
[くるる:楽しそうだったね]20:11
[解人:バイト?]20:12
[くるる:美奈さん、ずっとニコニコしてた]20:12
美奈さん、と言われて解人は一瞬考える。
そして七海のことだと気付き、ああ、と呟いた。
[解人:ちょっと怖いよ]20:12
[くるる:?]20:12
[くるる:美奈さんは可愛いよ?]20:13
おっとりスマイルでぶっこんでくるから怖いのだ、とは言えない解人は、一瞬だけ返信に詰まる。
[解人:まあ、悪い人ではない]20:13
[くるる:カイトくんはやっぱり年上が好きなの?]20:13
[解人:やっぱり、とは]20:14
[解人:俺そんなこと言ってたっけ]20:14
[くるる:えー]20:14
[くるる:だって楽しそうだったんだもん]20:14
[くるる:なんの話だったの?]20:15
解人は、七海の質問を思い出す。
『それで、二人は付き合ってるの~?』
そんなことを訊かれたと言えるわけもない。恥ずかしすぎる。
どうすれば回避できるかな、と解人は頭を抱えながら返信を打つ。
[解人:怒られてた]20:16
[くるる:ありゃ]20:16
[くるる:お皿でも割っちゃった?]20:16
[解人:いや、よそ見してて]20:16
[くるる:よそ見?]20:16
[解人:桜間さんの雰囲気が違うなって思ったから]20:16
テンポよく返ってきていたメッセージが止む。
もちろん、すぐに返信しなければいけないという決まりもない。これまでも二人はそれぞれのテンポでやり取りをしてきた。
けれど解人は、自分のメッセージを改めて読み返し、フリーズした。
これじゃあバイト中に君のことを凝視してたと告白してるようなものじゃないか、と。
まずいまずい。
なにがまずいかは分からないが、これはよくないぞ、と解人は思う。
訂正をするか、いやしかし何と言えば。
そうして固まっていると、メッセージが返ってきた。
[くるる:よく気付いたねえ]20:18
[くるる:今日はちょっとだけ前髪巻いてたんだよ?]20:18
[くるる:も~、よく見てるなあ]20:18
解人は叫びたくなった。恥ずかしすぎる。
『 よ く 見 て る な あ 。 』
やや遅れて凹みかける。もしかしてキモかっただろうか、と。
しかしそんな心の内を隠して、返信する。
[解人:前髪かあ]20:20
[解人:分からなかった]20:20
[解人:そういうの疎くて]20:20
[くるる:へへ]20:21
[くるる:女子はイロイロしてるのだ!]20:21
[くるる:だから、気付いてくれただけでも]20:21
[くるる:私は嬉しい!]20:21
どうやらポジティブに受け取ってもらえたらしい。
スマホを見る解人の頬も思わずゆるんだ。
しかし。
「あんたなにニヤニヤしてんのよ」
「どわぁ!」
いきなり声をかけられ、解人は普段は出さない音量で叫んでしまう。
話しかけてきたのは母親の早苗だった。
解人は自分の顔がニヤニヤしていたということと、そんな顔を見られたことを恥ずかしく思い、ぶっきらぼうに告げる。
「な、なんでもないって」
「なーに焦ってんの? エロいやつか?」
「違うわ。だとしても言わないだろ」
「となると……はーん、さてはくるるちゃんね。今日バイトだったもんねえ。ま、いちゃつくなら部屋でやりなさいよ」
「う、うるさいなあ」
解人は言われるまでもなく自分の部屋へと退散していく。赤くなった頬を手で覆いながら。
そんな息子の背を、早苗は微笑ましく見守るのだった。
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