2月26日(日)_がんばる理由【くるるのひとりごと5】

 勉強したまま寝ちゃったみたい。

 目を覚ますと、外はすっかり明るくって、部屋の電気はつけっぱなしで。おまけに、顔を洗いに行って気付いたけど、私のほっぺたにはノートの文字がうっすらとついていたのだ。


 くっつきそうになるまぶたを無理やりこじ開けるためにコーヒーを飲むことにする。パジャマの上にパーカーを羽織っていざキッチンへ。インスタントコーヒーでもいいんだけど、今日はドリップに挑戦。


 喫茶店でバイトを始めてからはコーヒーに凝るようになっちゃった。……私が、じゃなくてお父さんが。ドリッパーなんか揃えちゃって、豆も近所の専門店で挽いてもらったりして。


 でも私は知っているのだ。どうせ半年もしないで食器棚の肥やしになる。お父さんってば飽き性なんだもん。熱しやすく冷めやすい。いつものこといつものこと。

 そんなこんなで機材が揃っていると、あんまりこだわりの無かった私もやってみようかなという気になってくる。カイトくんが興味津々だったし、私もちょっとはやってみようかなーって。


 店長さんに何度か教わってみたけど、カイトくんはずいぶんスジがよかったみたい。私は、まあ……へへへって感じ。お湯をゆっくり注いでいるとだんだん眠くなってきちゃうんだもん。シンプルで辛抱が要るタイプの作業がニガテなのかもしれない。でも、私ももうちょっと頑張りたい。だって、コーヒーを綺麗に淹れられたらカッコよくない? 店長さんはカッコいいし、カイトくんが頑張っているところも……おっと、お湯が沸いた。


 ちょびちょびとお湯を注いでいく。こぽこぽと泡が立って香りが広がる。いいにおい。何度か繰り返せば淹れたてコーヒーの完成。


 マグカップを傾けてズズッと一口。んげげ。やっぱり苦い。匂いで想像する芳ばしさと豊かさからは想像もできないくらい苦い。コーヒーって匂いの部分が一番美味しいと思う。香り立つ湯気だけをキューブみたいに切り取って口に放り込めたら、きっと世界でいちばんおいしいお菓子になる。食べてみたいね、珈琲蒸気キューブ。


 ミルクとお砂糖入れてカフェオレにしちゃえ。ブラックで飲めたらカッコよかったんだけどね。

 元の姿からは想像もつかないマイルドな色味の液体に唇をつける。

 うむうむ。飲める飲める。


 キッチンからリビングを見渡す。お父さんとお母さんはまだ起きてないみたい。

 パーカーのポケットからスマホを取り出して時間を確認する。


 ぎょえ。まだ六時。


 昨日の夜はずいぶんと早く寝落ちしてしまったらしい。やる気があっても私の身体は追いつけなかったみたい。

 昨日のカイトくんからのLINEを見返す。


[解人:俺はまだ桜間さんとバイトしてたいんだよ]


 へへへ。

 へへへへへ。

 一緒にバイトをしたいって思ってたのは私だけじゃなかった。これはもう、私たちの仲は進展しちゃったんじゃないだろうか。友だちの先に進みたい、なんて漠然とした思いを持っていたけど。


 バイト友だち、すなわちバイ友くらいにはなっちゃったんじゃないだろうか。


「ふへ」


 声が漏れてたことに気付いて慌ててマグカップで口を塞ぐ。フチをあぐあぐと噛んで、溢れそうな感情を咀嚼する。


 今週は良いことづくめだった。


 カイトくんのお母さんと会えちゃったし、あの子のことよろしくねって頼まれちゃったし。それに、カイトくんと二人で猫ちゃんを探しに行ったのも楽しかった。


 向こうからお昼ごはんに誘ってくれたのは嬉しかったな。


 これまでもなんとなく一緒にいることが多かったんだけど、カイトくんがけっこう控えめっていうか、私がけっこう押せ押せだったっていうか。思えば、彼からのお誘いはほとんどなかったと思う。こないだ誘われるまでそんなこと考えたこともなかったけどね。


 気付けば一緒にいるっていうのも嬉しいんだけどさ、はっきりと誘ってもらうっていうのも嬉しい。

 昨日のもだけど、自分の気持ちが一方通行じゃなかったって知ることが、こんなに安心できることだったなんて。


 勢いよくマグカップをあおる。甘くて温かいカフェオレが私に染みていく。

 空っぽになったカップの底を見つめる。


 カイトくんも望んでくれたように、私だってバイトは一緒に続けたい。

 それは、もしかしたら私たちの願いだけでは成り立たないかもしれない。成績が下がっちゃったら、学校の先生とか、親とか、もしかしたら店長にも心配されちゃうかも。


 そんなのやだ。


 明日からは学年末テスト。

 一緒にバイトを続けていくためにも、今まで通りの点数を取るのだ。


「やるか~、勉強」


 朝日に向かって伸びをした。息を吐くと甘い匂いが抜けていく。カフェオレの残り香に応援された気がした。

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