2月23日(木)_母親襲撃イベント発生!
事件はいつも突然にやってくる。むしろ突然にやってくるからこそ事件なのだ、とくるるは身をもって理解していた。
今日は祝日。バイトの研修だった。
その勤務先──くるるたちが働く喫茶店『ヴィンテージ』に、解人の母親がやってきたのだ。
昼過ぎ。忙しさのピークを越えた頃だった。
ドアベルを鳴らして、一人の女性が入店してきた。目を引くのはピンクがかったサングラス。
女性がゆっくりと店内を見渡した。くるるはそれを見てから声をかける。
「いらっしゃいませ~、お待ち合わせですか?」
「え? ああ、違うの。ひとりよ」
艶のあるハスキーな声だった。
くるるは、見た目通りの声だなあ、と感じていた。
サングラスの女性客はパンツスタイルで髪をアップにまとめており、小ざっぱりとまとまったファッションだ。すらっとしていることもあり、雑誌に載っていそうな綺麗さだった。
見惚れそうになったくるるだったが、はっと我に返る。
「お、お席に案内しますー……」
女性は席につくと、再び店内をゆっくりと見渡す。
やっぱり誰か探しているんじゃ、とくるるが思ったときだった。
「げっ」
くるるの後ろから声がした。振り返ると、立っていたのは銀色のお盆を手にした解人。彼の視線は、くるるの連れてきた客に向いており。
女性がサングラスを外しながら、ふわりと笑った。
「あら解人、似合ってるじゃない」
「何しに来たんだよ、母さん」
くるるは女性客と解人との顔を見比べて。
「ふぇあ?」
鼻から抜けて空に羽ばたいていきそうな高音で啼いた。
◆ ◇ ◆
くるるはバナナオレを飲みながら思う。どうしてこうなったんだろう、と。
目の前には解人の母親──
二人きりのティータイムだった。
事情を把握した店長が気を利かせて、解人に休憩を与えようとしたものの、恥ずかしいからとくるるにその立場を譲った。
その結果がこの珍事。
くるるは緊張で動きがカクついていた。バナナオレは一秒に一度、一センチだけしかストローを通過していない。
「くるるちゃんっていうのね。うちの解人がお世話になってます」
「はひ! あの! 私の方がカイトくんにはお世話になっておりますです!」
「そんなかしこまらないで。……っていうのも難しいよね。でも大丈夫よ。取って食べたりしないんだから」
「は、はひ」
すっかりガチガチになったくるるは声も消え入りそうだ。
「うちの解人とはクラスメイトなんだって?」
「は、はひ」
「付き合ってるの?」
「は、はひ…………へ!? い、いえ!? 違います!!」
「なんだ。二人で一緒のバイトしてるし、てっきりそういうことかと」
「ち、違います! えっと、違うっていうのは、嫌って意味じゃなくって、カイトくんとはまだそういう仲じゃないっていうか、その」
「わ、ごめんね。そんな本気で言ってたわけじゃなくって、ええと。……ごめんなさい、私も緊張してるみたい。」
早苗がコーヒーカップをぎゅっと握る。くるるはそれを見て、意外に思う。
「お母さんも緊張を?」
「そりゃあねえ。あの子の友だちとお話しする機会なんてなかったし。ごめんなさいね、どうせあの子が恥ずかしがったとかそんなとこでしょう」
「い、いえ、そんなことな……くもないですけど、私もカイトくんのお母さんとだったらちょっと話してみたいなって言ったので。だから、カイトくんは悪くないです」
くるるが重心を前に傾けて一息で言い切った。
早苗は、ふっと笑うとコーヒーカップをソーサーに置く。
「ね、解人って学校ではどう? ほら、あの子かなり内気でしょう。だから、うまくやれてるのかなーって」
「カイトくんがですか?」
「そうよ。……まさか学校だとキャラ違うの? 家じゃだいたい無口よ、あの子」
「無口……? 学校ではよく話してくれますよ」
「本当に? テキトーに返事してるとかじゃなくて?」
くるるはブンブンと首を振る。
「真逆ですよう。カイトくんは、とっても真摯に私の話を聞いてくれるんです」
「えー、家だとそんなことないのにー」
むずっ、と。くるるの心の奥で好奇心が芽を出した。
「おうちでのカイトくんってどんな感じなんですか?」
「んー、ぶっきらぼうよ? しかも会話ヘタクソ。こっちの話を聞くどころか、私が話し始めたところで答えを返してくるんだもん」
「え、え?」
「私がなに言うか、先回りして予測してんのよ。そんで、その答えを返すってわけ。小賢しくて憎たらしいわよねえ」
「あ! そゆことなら私も覚えがありますよ~」
「ホント? 大丈夫? ムカつかない?」
早苗が顔を近づけて声をひそめる。
「え~、むしろ嬉しいですよう。…………私、思ってることを何も考えずに話すと、意味分かんないって、言われちゃってたんですけど。でも、カイトくんはぜんぜんそんなことなくって」
くるるは、一瞬だけテーブルに視線を落とした。しかしすぐに顔を上げる。
「だから、私の思ってることを私よりも理解して察してくれるカイトくんには、いっぱい助けられてるんです!」
「へえ……あの憎たらしいやり方が褒められることがあるのね」
「ふふ、ぜんぜん憎たらしくないですよ。むしろ嬉しいくらいです」
「そっかそっか。まあ人と人は相性って言うし。……くるるちゃん、これからも解人のことをお願いね」
「ま、任せてください!」
早苗の言葉に背筋をしゃんとさせて、くるるは答えるのだった。
◆ ◇ ◆
早苗はとうに帰り、バイトが終わるころ。
客が減って暇を持て余した二人は肩を並べて立っていた。
「桜間さん、母さんなんか変なこと言ってなかった?」
「んー? 憎たらしいって」
「バイト先に来てまで言うことか。ったく。どうせ俺の会話が先読みばっかでつまんないとかそういう愚痴でしょ」
「! そうそう! でも、私は好きですって言っておいたよ」
「すっ……! ああ、あれね、うん。話し方がね。ありがとう」
「そ、そうだよ! 話し方のことだよ!!」
くるるが身体を傾け、左隣の解人にとんっと腰をぶつける。ささいな照れ隠しだった。すると、お返しとばかりに解人も腰をぶつけた。
バイトの上がりを告げに店長が来るまで、二人の攻防は続くのだった。
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