第10話
校門の外まで移動すると、ようやく玲奈は手を離してくれた。
どういうことか問い質そうとすると、彼女のほうが口を開いた。
「危なかったわね」
「危なくないだろ! お前なんてことしてくれるんだっ! あとちょっとだったのに……あとちょっとだったのに!」
「『ちょっと』って、なにがちょっとなのよ。あたしはあんたを助けてあげたのに、その言い方はないでしょ」
「真逆だろ! 助けたんじゃなく潰したんだろ! お前が割り込まなければ、次の一言で俺はあいつに気持ちを伝えられたんだぞっ!」
「ほんとに告白できたって断言できる?」
「本当だ。今回は間違いなかった」
「あら、即答ね」
校門の陰に並び立つ玲奈は意外そうな顔をして、胸の前で腕を組んだ。
そうして、次の瞬間には苛立ちのはらんだ表情に変貌した。
「正直、隆志には失望したわ」
「はぁ? なんだよいきなり」
「あんたは散々雰囲気に流されて告白するのは違うっていってたくせに、結局は自分がいったことも守れず、誘惑を前にしたら呆気なく飲まれてしまったんだもの。あたし、あんたの恋愛に対する姿勢は評価していたのよ? それがたった数日で破られちゃうなんて」
「待てよ。たしかに俺はそういったし、そう思う考えは変わってない。だけど今回は違った。流れじゃなくて、俺と樹理が互いに歩み寄って生まれたチャンスだったんだ。外野の介入はない。それを確信したから、俺は告白に踏み切ろうとしたんだ」
「冗談いわないでくれる? あんたどこで告白しようとしてたかわかってるの?」
「中庭だよ。それのなにが悪いっていうんだよ」
「悪いわよ。周りの光景見えてたんでしょ? あんたと樹理のほかに、中庭にはどんな人がいたか覚えてるわよね?」
「昼飯を食べてる学生……だろ?」
「そういうとぼけた回答はいらないわ。真剣にそう答えてるなら、もう少しあたしが訓練してやらないといけないわね。あまりにもステレオタイプな鈍感主人公で、あたしがメインヒロインの次に嫌いな人種だもの」
「……中庭はカップルだらけだった。だけど、周りの甘い雰囲気に流されて告白したとか、そういうわけじゃない」
「それも断言できるわけ?」
「……もちろん……だ」
その返答に、玲奈はこの世の全てに絶望したかのような特大のため息を返した。……情けないが、そんな反応をされてもしかたない返事をした自覚はあった。
「いい? あんなカップルだらけの空間で男女ふたりでいたら、無意識に桃色の感情が刷り込まれるわけよ。周囲を完全に無視するなんて不可能だわ。電車に乗ってたらどんな人がいるか気になってしまうものだし、買い物にいったら安い商品がどうしても目に付いてしまう。同じように周りにカップルがいたら、カップルという概念を嫌でも強く意識してしまうものなのよ」
「お前のいいたいことはわかる。俺は同じ電車に乗っている人をつい見てしまうし、迷ったら安いほうの商品を買ってしまいがちだ。だから中庭の様子にも気づいていたし、少しは意識もしてたかもしれない。
だけど、そんなことをいいだしたら、いつどこで告白しようとしたってお前は『雰囲気に流されてるわよ』って否定しそうだ。違うか?」
「そんなことないわ。でも学校は駄目ね。恋活支援が始まって以来、学校はこの世で最もカップル密度の高い空間になってしまったわ。学校にいる間はどうしたって恋愛欲求を過剰に刺激されてしまう。いわば麻薬みたいなものね。常にキマってる状態だから、〝本心〟での告白は不可能よ」
「すごい表現だな……極端すぎるような気もするけど、まぁお前のいってることも理解できるし、この空間が異様だってのも共感できる。世間でカップルに人気のデートスポットって紹介されてるところは、その宣伝によってカップルが集まり相乗効果が発生するわけで、紹介されなかったら変哲のない観光スポットのままだろうからな」
「ひねくれた考え方ね」
「お前にだけはいわれたくねぇよ!」
真面目な顔をしていた玲奈が、口元を隠してくすくすと笑みを漏らした。
からかわれたのだ。ここで熱くなったら負けだと思い、俺は先ほどの彼女ほどではないが、大きめのため息をついた。
「わかったよ。学校全体の雰囲気がヤバいっていう玲奈の考えは、そのとおりかもしれない。いままでこんなこと相談できる相手がいなかったから、視野が狭かったんだろうな」
「あたしが転校してきたことを喜びなさい! 感謝の気持ちを込めたプレゼントを送ってくれてもいいわよ。そんな高い物じゃなくていいから」
「樹理と付き合うところまでいったら考えてやるよ。そのためにも、俺は気持ちを伝えなくちゃいけない。学校が駄目だっていうなら、つまり……アレか?」
「そう。アレよ。あんた達、小学校からの付き合いなんだから、明言はしなくてもそういう出来事を経験したことは何度もあるんじゃないの?」
「いや……実は、ふたりきりで、っていうのは一度もない。それをやって、白黒がはっきりしてしまうことを恐れてたんだ。もしうまくいかなかったら、彼女との関係が終わってしまうから」
「今日踏み込もうとしたくらいなんだから、もう覚悟は決まってるんじゃないの?」
「そうだな……いや、そうだ」
それだけは最終手段として……樹理と恋人同士の関係に昇格するか、単なる知り合いに降格するかの二択をかけた博打だから、安易に使ってはいけないと思っていた。
だが、俺はもう決意していたんだ。たぶん、ずっと前から。あとは踏み切るタイミングだけ、うまく掴めずにいたわけだ。
樹理以外のクラスメイトは、俺と樹理が既に付き合っているものだと誤認している。学校全体の雰囲気についてもそうだが、自分の恋愛感情についてだって、いままで相談できる相手がいなかった。
玲奈は奇人で俺に嫌がらせをしてるんじゃないかと感じることもあったが、その最終手段を使う決断をさせてくれたことだけは素直に感謝した。もちろん口では伝えない。余計な言葉をかければ、蛇足の何かが発生するかもしれないからだ。ありがとう、枢木玲奈。
「それじゃ、早速教室に帰って約束してきなさい。今度の日曜日よ」
「なんでお前が日付を指定するんだよ。日曜日だといいことでもあるのか?」
「そうよ。でもあんたは土曜日も空けておきなさい。〝準備〟をするから」
「準備ぃ? ……まさか、お前に付き合わされるんじゃないだろうな」
「察しがよくなってきたようで助かるわ。あ、詳細は彼女との約束がついてから話すから」
「お前、勝手に話を進めるなよ! だいたいなんでお前が俺の――」
「質問はあと。あたしお昼食べなきゃいけないから。じゃ、また放課後ね」
強引に遮った玲奈は、スカートの裾を翻しながら逃げるように校舎のほうへ走り去っていった。
制服と一緒に揺れるサイドテールの後ろ姿を眺めつつ、俺は後悔した。
あいつは余計な言葉をかけずとも蛇足を加える女だった。ならば自分のいいたいことは全て押し隠さず伝えるべきだったかもしれない、と。
しかしそれが彼女に対する〝感謝〟であったことを思い出し、また深いため息が漏れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます