第9話
学校を主な舞台とする恋愛作品において、昼休みの王道展開とは何だろう。答えは考えるまでもなく、ヒロインと二人きりでの昼食だ。それは邪魔の入らない喧騒から離れた場所――校舎の間にある大きな樹木の植えられた中庭のベンチなんかが理想だろう。食事は無論、ヒロインの手作り弁当が正解だ。
この二川高校には、デザイナーがそんな王道展開を期待したかは定かでないが、誰もが脳内で思い描く典型的な中庭が存在する。主人公とヒロインが互いの関係を前を進めるなら、絶好のイベントスポットといえる。
ただ、現代においては主人公とヒロインの人口密度が高すぎた。八つある中庭のベンチは、その全てが男女のペアで満席状態だ。満席でも昼食を持って中庭に現れるカップルは後を絶たず、座るところがないと知るなり、昼食場所を求めて去っていく。
きっと国の恋活支援がない時代には、こんな風景はありえなかっただろう。そんなことをぼんやりと考えながら、中庭のベンチに腰かけている俺は次々と現れては去っていく男女の背中を見送っていた。
中庭の八つあるベンチの一つに、俺と玲奈は並んで腰かけていた。
「いつも食堂で食べてるから気にしたことなかったけど、外で食べる奴も意外と多いんだな」
「私も教室で食べるからよく知らなかったけど、前からこの中庭のベンチはいいなって思っててね。早めに来て正解だったよ。やっぱり人気があるみたい」
「みんな、こういう落ち着いたところが好きなんだな。外だけど木陰で涼しいし、気分がリラックスしそうなのはわかるけど、飯を食べるためだけにわざわざここへ来る奴がこんなに多いとは思わなかった」
「お昼ご飯を食べることだけが目的じゃないのかも」
「ご飯はついでで、メインは……その、お喋りとか?」
辺りの様子を眺めて、最も可能性の高そうな目的を言葉にした。少し躊躇ったのは、彼女も同じ目的で俺を連れてきたのではないかと妄想したからだ。自意識過剰な男だと思われたくはなかった。
「たぶん、そうかも。その……私も、隆志くんと喋りたかったから」
「……そ、そうなのか。樹理と俺なんて、ずっと昔から一緒にいるんだから、わざわざこんなところで話さなくてもいいのに」
「最近はあんまり関わってなかったよね。中学で一度喋ってくれなくなって、卒業間際でまた話すようになったのに、高校入ってからまた話す機会が減っちゃったでしょ? 私が部活忙しくて、隆志くんはバイトが忙しいから難しいかもしれないし、しかたないなって思ってたんだけど……今朝隆志くんと話したら、もっと喋りたくなっちゃって。
……もしかして、迷惑だった?」
せいぜい三人が腰かけられる幅のベンチに、一人分の隙間を空けてふたり。肩が密着しているわけでもないが、この距離感で樹理の控えめな口調で語られたソレはかなり効いた。勘違いではない。樹理は内に秘める〝ある感情〟に素直になって、ソレを俺に伝えている。
これは雰囲気か、それとも本物か。
状況に押し流されてしまいそうになった。だがここで想いを伝えるのは違う気がして、迷いを振り払うように首を左右に振った。
「迷惑なんかじゃない! 俺も樹理とふたりで話すのは久しぶりだったから。もっと喋りたいと思ってたから」
「えっ……!? それ、ほんと……?」
丸々とした瞳を大きくして、樹理は頬を紅潮させた。
――しまった! かわすつもりがフィニッシュの方向で受け答えしてしまった!
いっそこの流れに乗じて告白するのもアリなんじゃないか。一瞬そんな雑念が脳裏をよぎったが、すぐさまに捨て去った。これで気持ちを伝えるようでは、ただ雰囲気に流されただけで、本当に樹理を想っているのか自信を持てない。雑念は左から右へスルーした。
俺は熱い視線を送る樹理から目を逸らして、何度目かになる中庭の観察をした。
「ま、まぁ、樹理と話すのは久しぶりだってのは本当だよな。それにしても昼休みの中庭は男女のペアばっかりだな。全部カップルなんだろうけど……すごい時代だよ。ちょっと前までは校内で男女が話してるだけでも珍しいっていわれてたらしいのに」
「……私達も、カップルに見えるのかな」
「!? あー……どうだろう。どうだろうなぁ~?」
適当にはぐらかして、危険な方向へ舵を切る話題を止めようと試みる。
「そ、それより、この中庭に生えてる木は立派だよな。樹齢どれくらいなんだろう。どっかの森から引っこ抜いてきたのかもしれないけど、そうじゃなかったら学校よりも歴史が長そうだよな。校舎を作るときにコレを抜かずに活かしたのは凄いな~。凄いよな、センスが」
「でも、これは植林されたものらしいよ」
「あ、そうなの……。まあ、そんなもんか」
「でも学校設立当初からあって、学生恋愛が活発じゃなかった時代でも、この樹木の下で気になる男女がお互いの気持ちを伝え合ったりしてたみたい。
……私達、いま木の下にいるね」
もじもじと恥ずかしそうにいって、樹理は赤くなった顔を隠すように俯く。
――逃れられないのか。
昼休みに中庭に生える大木の木陰のベンチに座った時点で、運命は決してしまったのか。他の可能性は消失してしまったのか。それが自分の本心か確信できないまま、彼女に想いを打ち明けるしかないのか。
だとしたら、覚悟を決めなければならないか。告白をして、人生を一歩前に進める覚悟を決めるしかないのか。
悪あがきのつもりで、俺はまたアホのふりをして樹理に喋りかけた。
「そ、それはともかく、見えるところにいるカップルは全員弁当箱広げてるな。三年生以外は基本的に部活の朝練があるだろうに、よくやるよ。昼休みに外で手作り弁当っていう王道のシチュエーションは、いつまで経っても変わらないんだな」
「手作りの、弁当……」
「たしか、樹理は料理が結構好きだったよな。中学までは給食だったけど、高校は自分で弁当作ってるの?」
「いちおう、そうだよ。朝練があるから、作るのは朝じゃなくて前の日の夜に作るの。……でも、今日は寝坊しちゃったから、なくて……」
膝にのせていたクリームパンの袋を、樹理は悔しそうにギュっと握った。
中庭に来るまでに、俺は樹理と売店に寄って昼食用のパンを買っていた。樹理は普段弁当で、俺は食堂だから、そうしなければ食べるものが何もなかったのだ。
昼休みに中庭に生える大木の木陰のベンチに座ったが、おいしい手作り弁当はない。手作り弁当があればトドメだったが、これは不完全なシチュエーションだ。ゆえに、〝場に流されて〟という言い訳は通用しない。欠けた状況を補間するのは自分の気持ちだ。気持ちがなければ、この状況では告白まで辿り着かない。
落ち込む樹理を励まそうと、俺は否定のジェスチャーのごとく両手で左右を往復した。
「そんな、落ち込まなくていいって! 樹理の弁当が食べたいっていったわけじゃないんだからさ!」
「隆志くん、私のお弁当は食べたくないの……?」
「いやいやっ! そうじゃないって! 食べれるなら食べたいに決まってるけど、ないものを願ってもしょうがない。別に樹理に文句をいってるわけじゃないから!」
「ほんとに? じゃあ私がたまたまお弁当のおかずを作りすぎちゃって、たまたま二人前のお弁当を持ってきちゃったら、隆志くん食べてくれる?」
控えめな姿勢から、上目遣いでそう尋ねられる。なんて魅力的な仕草と質問なのだろう。こんなふうに訊かれて、首を横に振る奴がいるなら会ってみたい。
「ま、まあ、二人前作っちゃったらもったいないから、そのときはいただくかな。も、もちろん、俺以外にもらってくれる人がいないなら、の話だけど」
「……隆志くんに食べて欲しいんだよ」
――ああああああ!
意味のない声が胸の内側で叫ばれる。
この反応は、樹理が一歩踏み込んできてくれたと解釈していいのか。あるいはそう勘違いして、俺からも歩み寄ってしまっていいのか。
唐突に訪れたチャンス。……いや、もしかすると中庭での昼食に誘われた時点から、あるいは朝彼女と偶然遭遇した時点から、ともすれば彼女と同じ高校に入学した時点から、今日この日、この場所で長年のどっちつかずの関係に終止符を打つ運命は決まっていたのかもしれない。
「ご、ごめん、よく聞こえなかったんだけど……」
王道の恋愛創作物では、こういう一歩踏み込んだ場面で邪魔が入る。大切な一言が周囲の雑音に消えたり、邪魔者が乱入してきたりして、ヒロインの勇気が無駄になる展開が多い。
俺は考える時間を稼ぐため、咄嗟にテンプレ的な台詞をいってしまったが、実際には脳内でリピート再生できるほど鮮明に聞こえていた。
「えっ……あ、ええと……な、なんでもないよ!」
隣に座る俺から恥ずかしそうに目を逸らして、樹理は膝の上に置いたクリームパンの袋を開けて慌てた様子で齧りついた。口をもごもご動かしながら、作り笑いを浮かべている。
これは、この状況でもし告白をしたら、それも雰囲気に流された行為になるのだろうか。
俺はそういった本心が不確かな状態での踏み込みを嫌ってきたが、今回は違うような気がしている。手作り弁当があったなら、感激してその勢いにのせられているだけだと、そう判断を下すこともできるかもしれない。
だが今回は違う。二人きりの状況は絶好だが、そこにあるのは互いの気持ちだけだ。周りに背中を押されたわけでも、手作り弁当のような道具に頼ったわけでもない。この胸に湧き上がる想いは、百パーセント純粋と断言できるのではないか。
――いくか?
いこう。一瞬の自問自答の末、俺は売店で買ったパンに手をつけずに樹理を見た。
彼女はハムスターのようにクリームパンに口を密着させている。
「樹理」
名前を呼ぶと、身体がびくっと震えた。老朽化の進む機械のような緩慢な動作で、首を俺のほうへまわす。
目が、合った。
この俺の熱い視線に気づいてくれただろうか。
気づいてくれていると信じて、かつてないほど荒ぶる心臓を落ち着けようと、小さく息を吸い込んだ。
「――大変! 隆志の脈拍が異常値だわッ!」
「「!?」」
いったい誰が、その強襲に対して冷静に対処できるというのか。
愕然として声の聞こえた方角に目をやると、枢木玲奈が血相を変えて駆け寄ってきていた。
言葉を発せずにいる俺と樹理を意に介さず、玲奈は俺の手を取ると無理矢理に引っ張り挙げた。
「どうしてこんなになるまで放っておいたのよッ! 早く立ちなさいッ! 医者に診てもらうわよッ!」
「は、ハァ!? ちょっと待て玲奈っ! いつもそうだけど、何いってるんだお前っ!」
「いいからッ! 手遅れになったらどうするのッ! ほら、抵抗しないで立ってッ!」
「手遅れって何のことだよっ!」
「いいからぁッ!」
さらに強く手を引かれて、売店で買ったパンをベンチに残して立ち上がった。
抵抗しようと思えば山の如く不動を維持できたが、玲奈の切迫した表情を目の当たりにした身体が反射的に腰を上げていた。
「あ、あのっ! 隆志くんどこか悪いんですか!?」
「大丈夫よ。近くに知り合いの医者がいるから、すぐに診てもらえば午後の授業には出られるはずだわ」
「隆志くん、病気だっただなんて……」
いや、違うぞ。咄嗟にそう返したが、玲奈の掌に口を塞がれて「もご、もごごご」という音に変換されてしまった。
「いけないッ! 発作がひどくなってきたわッ! 急がないとッ!」
「ええっ! あ、あの、枢木さんっ! 私もついていきますっ!」
「隆志もその気持ちは嬉しいでしょうけど、私の知り合いの病院は狭いのよ。他のお客さんの迷惑になるから、ここはあたしに任せてちょうだい」
「でも私、何もできないなんて……」
「樹理みたいな素敵な女の子に心配してもらえるなんて、隆志は幸せね。ただ待ってるだけじゃ落ち着かないなら、彼の無事を祈っててちょうだい。重病を患ってないとも限らないから」
「そんなっ! 重病って……!」
「そうよ。だからもう行くわ。樹理は教室で待ってて。あ、もしもあたし達が昼休み中に戻ってこなかったら、ここに電話してくれる? 状況を伝えるから」
玲奈はスカートから電話番号の書かれたメモ用紙を取り出して、硬直している樹理の手に握らせた。……なんでそんなものを用意しているのか。
「じゃ、お願いね。ああっ、大変だわッ! 急がないと隆志がッ! 隆志がぁッ!
――ほら、早く行くわよ。抵抗しないでくれる?」
耳元で囁かれて、もう彼女に従う以外に選択肢はないのだと悟った。
玲奈に連行される体を装って、俺は中庭から、樹理の視野から遠ざかっていった。
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