第8話

「ねぇ、原田くんと藤堂さんって付き合ってるんだよね?」


 教室に入って自席に座った直後、クラスメイトの女子が前触れもなく尋ねてきた。


「他人の恋愛なんてどうでもいいだろ。だいたい、一学期から俺と樹理と同じ教室にいるのに、なんでいまさらんな疑問が出てくるんだ?」

「えー、だって原田くん達ってカップルのくせに、あんまり一緒にいるところ見たことないんだもん。みんなは信じてるけど、うちはちょーっと怪しいなーって思ってたの」

「周りの目を気にしないバカッパルじゃあるまいし、四六時中いちゃいちゃしてるほうがおかしいだろ。国の恋愛制度のおかげで少子化問題は解決したと思うけど、国民は馬鹿になったように感じるね」

「へー。とにかく、ふたりが一緒に登校してるのを見て、うちは安心したよ」

「なんでお前が安心するんだ?」

「だって、なんか昨日枢木さんと食堂いってたみたいだし、原田くん浮気したのかなーって心配しちゃったもん。見てる分には浮気してたほうが楽しいけど、それだと藤堂さんがかわいそうだし」

「いい性格してるな……」


 恋愛を過剰に意識するようになった現代では、この女子みたいにやたらと周りの恋愛事情を嗅ぎ回る奴が大勢いる。昔のことは知らないが、昔よりは増えていなければ道理に合わないので増加したことにしておきたい。

 身近な人にやたらと興味を持つそのオバちゃんみたいな女子は、俺の机についていた両手を離すと、平行移動して隣にいる玲奈の前で止まった。

 オバちゃんみたいな女子はニヤニヤした横目を俺に向ける。


「ねぇ枢木さん、東京の彼氏はそのままにして、こっちでも彼氏とか作っちゃうってどう? たとえば原田くんとかさ」

「ないわね」


 俺が「アホなこと訊くなよ!」と突っ込みをいれる間も与えず、平坦な声で玲奈は返答した。いや別に、何かを期待したわけでもないが、否定だけするのは少しひどくないだろうか。

 「あっ、そうなの……」と、オバちゃん女子も気勢を削がれた様子だ。その点はナイスだ。あまりに他人の恋愛に首を突っ込みまくるのは良くない行為だと思う。玲奈の冷徹な一言で自らの言動を省みてくれることに期待した。そして、汚れ役を引き受けた玲奈は褒めてやりたい。

 だが、人はそう容易く変われない。

 玲奈の席からはすぐに退いたが、オバちゃん女子はさらに隣へ移動した。


「ねぇ藤堂さん――っあれ?」


 俺、玲奈ときて、次は樹理に事情を訊こうとしたらしいが、いつの間にか樹理は席を立っていた。

 持ち主不在のしまわれた椅子を眺めて「ま、いっか」と呟くと、オバちゃん女子は教室の端にある自席に戻った。

 横を見ると、隣人は恋愛を嗅ぎ回る奴をあしらったときと同じ不快そうな顔を浮かべていた。


「いちおう昨日食堂の説明とかしたんだから、少しぐらい褒めてくれたら俺も嬉しかったんだけどな」

「なによ。初日にいったけど、あたしはあんたの物語にとってはモブよ。モブにどう思われようが関係ないでしょ? それとも、あんたあたしと勘違いされたいわけ?」

「断じてそれはない」

「ふんっ、そっちこそひどいじゃない。でも、それでいいわ。あんたにはあの子がいるんだもの」


 つい強い口調で反論してしまったが、玲奈は気にしていないようで安心した。

 あいかわらず不満そうな表情を浮かべる玲奈は、頬杖をついてさらにつまらなそうな顔で俺を見た。


「あんたも樹理そうだけど、みんなに本当のこといわないわけ?」

「この妙齢が集まった恋愛世界でそんなこといったら、みんなおもしろがって囃し立てるのは目に見えてるだろ。そんな面倒な事態にはしたくない」

「まぁそうね。雰囲気に流されて告白するなんて、ドラマ性が欠片もないもの。そんなの王道、非王道以前の問題だわ。

 誰に彼氏がいて、誰に彼女がいるのかわかっているのが当たり前の時代。だからこそあんた達は特殊で、主人公とメインヒロインに相応しいんでしょうね」

「お前、もしかして樹理が嫌いなのか?」


 今朝の登校時に樹理から聞いた言葉を思い出した。

 もしも玲奈も彼女が苦手だというなら、ふたりはなるべく合わせないほうがいい。それが樹理のためになるならば、引き離すのは俺の役目だと思った。

 猫騙しを食らったように、玲奈は掌から顎を離して目を丸くした。


「あたしが樹理を嫌いって、なんでそうなんのよ?」

「お前、初日に『嫌いなものはメインヒロイン』っていってただろ? で、いまも樹理をメインヒロインって喩えたから、そんなふうに連想したんだよ」

「ああ、そういうこと。誤解させてごめんなさい。あっちがどう思ってるのかは知らないけど、あたしは嫌いじゃないわよ。メインヒロインが嫌いっていうのは、待つだけの女が嫌いってだけなの。なんとなく、樹理はそれとは違う気がするわ。メインヒロインっぽいのは否定できないけどね」

「なんか曖昧な理由だな。ほんとにそう思ってるのか?」

「疑ってるの? そもそも、嫌いなら喋りかけたりしないわよ。そうでしょ? あんたは嫌いな奴に自分から話しかける捻くれ者なわけ?」

「俺はそんな奇特な性格じゃないけど……まぁいいか。クラスメイトなんだし、仲良くやってくれよ」


 玲奈の頭の中身なんて、凡人の俺が推量したところで無意味だ。理解できるはずもない。だからこそ、嫌いな奴とは話したくないという俺の思考が彼女には当てはまらないんじゃないかと思ったが、その点に関しては共通の認識であったらしい。

 枢木玲奈とは言動がまったく予想できない未知の存在だと捉えていたが、案外普通な部分もあるようだ。どうやら俺は彼女に結構な興味を持っているようだが、彼女の新たな一面を知って、それがまた少し強くなったように感じた。


「なにジロジロ見てんのよ」


 頬杖に戻っていた玲奈が、俺の視線に気づいてじっとりとした目を返した。


「玲奈は嫌いであれば嫌いであるほど粘着するような気がしてたから、意外と普通なとこもあると思ってな」

「なんでわざわざ不快なことしないといけないのよ。普通と王道は違うわ。あたしは王道が嫌いなだけなの」

「変な奴だな、ほんと」

「褒め言葉として受け取っておくわ」


 わずかに頬を緩めて答えると、玲奈は俺から目を逸らした。

 こいつが来てまだ三日目だが、こいつと出会って俺のなかで何かが変わろうとしている確信があった。それが何かはわからない。もしかしたら、もう変わり始めているのかもしれない。

 今度、樹理をどこかに誘ってみようか。何かが変わろうとしているなら、その波に乗ってみるのも悪くない。これまでの誰かの波に便乗するのではなく、それは自らの起こす波だ。

 そして、そのときには樹理に――。


「あの、隆志くん」


 突如後ろから声をかけられて、驚きに伴って椅子が音を立てた。

 妄想の世界にいた樹理が、現実の世界で目の前にいた。

 クラス中の注目が集まって樹理はそわそわしていたが、周りの興味が静まると彼女は俺の机の正面にまわった。隣から「ふるっくさいわね……」と呆れた声が聞こえたが、無視した。


「登校してるときにいおうと思ってたんだけど、いいそびれちゃったことがあって……」

「いいそびれたこと?」

「うん。私今日寝坊したから、お弁当作る時間がなくて……」


 樹理の丸々とした瞳が、ちらりと横に逸れた。

 わずかな間を置いて、彼女は上目遣いになって小声でいった。


「……その、今日のお昼、売店に連れてってくれないかな? あと、一緒に食べよ? ……ふたりだけで」


 ここ最近で一番強く心臓が脈を打った。いますぐ心拍数を量ったから確実に異常値をたたき出すだろう。

 興奮に脳内が支配される一方で、玲奈に毒された思考は、なんてありがちな展開だろうと見下した態度を取っていた。

 だがそんな汚染区域の思考を相手にする必要はない。俺は二度、三度と頷いて、彼女が勇気を持って伝えてくれた懇願を過剰な勢いで了承した。

 俺の返事を受けて、彼女ははにかんで自分の席に帰っていった。その背中を追う途中で、極端に王道を嫌う奇人の様子が視界に映る。

 俺達の会話が聞こえていたらしい玲奈は、椅子から仰け反って掌で額を抑えていた。

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