第11話

 昼休みに校門から逃げた玲奈は、結局午後の授業が始まる直前まで教室に戻ってこなかった。

 午後の授業から、玲奈は少し様子がおかしかった。物思いに耽っているというか、単にぼーっと思考停止しているのか判然としないが、とにかく視界に誰も映っていないようだった。そんな状態の彼女に喋りかけるクラスメイトもいたが、玲奈は眉一つ動かさなかった。当然、そのコミュ力の高いクラスメイトの心はぽっきりと折れて、それから放課後まで、彼女には誰も寄り付かなかった。……なぜか教師さえも。

 俺も午後の授業が始まってからは玲奈と話していない。午前と午後の境で濃厚な会話をしたから、てっきりその話題を振られるのかと想像していたが、彼女はとても誰かと言葉のキャッチボールができる状態ではなかった。投げれば、気づかず見逃すか顔面にぶつかるだろう。会話においてそれが何を意味するか、あまり考えたくはない。

 そして放課後、相変わらず席を立とうともせず明後日の方向を見ている玲奈に一言だけ声をかけて、やはり反応がないので一人で帰ることにした。正確には、自宅には寄るだけで、すぐにバイト先に移動するわけだが。それを帰宅と読んでいいのなら、俺はこれからも学校終わりにバイトへ行く行為も『帰宅』と呼ぶようにしよう。

 無意味でくだらないことばかりに脳みその思考力が消費されていく。こんな浪費をしていたら良い大学にはいけないなと、やや夢のない想像をしてしまった。

 駐輪場を出て、学校の敷地外に脱出したらサドルに重心を預けた。

 家と学校の中間地点。ちょうど今朝玲奈に絡まれた場所あたりを一定速度で走っていると、今朝と同じように、背後からバイクが急接近してきた。

 それは〝同じように〟というか、車体も運転手も完全に今朝と同一人物だった。

 急激に速度を落として並走を始めた彼女を無視するわけにもいかず、俺はしかたなく横目を向けた。


「明日の朝まで教室で考え事に没頭するつもりかと思ってたけど、意識を取り戻したんだな」

「あ、それでも良かったわね。なかなかいないわよ。朝まで教室で考え事をする奴なんて」

「お前は珍しければなんでもいいのか……」


 こいつの脳内には異次元空間でも広がっているのだろう。未だ理解できないし、理解しようと思うほうが間違っているのかもしれない。

 俺の呆れたコメントには耳を貸さず、自転車と原付は無言で並走する。これもまた彼女の好きな珍しい光景なのだろう。だとしても、これが誰に向けたアピールなのか不明だが。

 しかし、そんなものは些事だ。奇特な彼女の目的なんて考えを巡らすだけ時間の浪費だ。どうせ答えにはたどり着けない。それよりも、玲奈がどうして〝あの件〟について尋ねてこないのかが気になってしかたなかった。


「……訊かないのかよ?」

「訊くってなんの話よ」

「昼休みに、お前と別れたあとの話だよ。宣言通り樹理にコンタクトを取ったんだ。結果についてだって訊きたいだろ?」


 まるでいま思い出したかのように、玲奈は「ああー」と気の抜けた声で反応した。


「いらないわよ別に。訊かなくてもわかるもの。生死を賭けたに等しい戦いを終えて、あんたの心はまだ折れてない。つまりそういうことよね。そもそも、あんたの誘いを樹理が断るとは思えないもの」

「お前……そこまで読めてたなら教えてくれてもよかったのに」

「あんただってわかってたんでしょ。たぶん大丈夫だって。『午前中は部活の練習があるけど、午後からなら大丈夫だよ!』って嬉しそうに回答してくれたんじゃないの?」

「……見てたのか?」

「見てないわよ。あんたと樹理のやりとりなんて物語をある程度読んでる人なら誰だって想像に易いんだから、見る必要も訊く必要もないわ」

「的中してるから言い返しにくいけど、一応それなりに勇気を出して伝えたんだ。俺も人間で感情があるから、少しは褒めてくれると喜ぶぞ?」

「そうね。長い間止まっていた針を進めたのは、素晴らしいことだと思うわ」

「……褒めているんだよな?」

「他に何があるっていうのよ。ほら、早く喜びなさいよ」

「『喜びなさいよ』といわれて喜ぶ奴がこの世にいるとしたら、そいつは小学生以下のキッズくらいだろ」

「はあぁ。またどこかで聞いたような言い回しね。さすがテンプレ王道主人公の隆志様だわ」

「お前……言葉狩りか?」

「ありがちな言葉を捨てれば、王道から外れた存在になれるかもしれないわ。言っとくけど、隆志のために注意してあげてるのよ?」

「そんなもの頼んだ覚えはないけどな」


 俺のためといっているが、こいつは転校してきたばかりで友達が少なくて彼氏も離れた場所にいるから、俺を暇つぶしの道具にして遊んでいるだけじゃないのか。もしもそうじゃなければ、とことんお節介な女子だ。どちらから告白したか知らないが、こいつの彼氏がどんな奴かさらに見てみたくなった。


「隆志、ちょっと寄り道していいかしら?」

「別にいいけど、バイトがあるから、三〇分以上かかるなら別の日にしてくれ」

「あんたの家って金井小学校からどれくらい?」

「歩いて七分くらいだ。てか、小学校の近くに寄り道するような場所なんてあったか? 古びた木造住宅が建物の九割を占めてると思うけど」


 俺の通っていた小学校、つまりは玲奈も樹理も通っていた金井小学校は、田んぼと歴史を感じさせる古い住宅に囲まれて建っている。当然、金井小学校も結構な昔から続いている学校だそうで、校舎も一度建て直したらしいが、お世辞にも綺麗といえるレベルではなかった。

 金井小学校の一帯は近代化を進める市の煽りをまだ受けておらず、昔のままの景観を維持している。住民が反対しているといった噂も耳にした記憶があった。


「あの古都みたいな地域からは、ちょっとだけ離れてるわね。でも小学校から自転車で五分くらいだから、バイトには間に合うわよね。うん。じゃあ決まり。行くわよ」

「強引な奴だな。せめて何をしにいくかくらい、事前に教えてくれてもいいんじゃないか?」


 わざわざ訊かれなくても、決定事項にするより先に目的を話してもらいたいものだ。いや、普通誰だってそうするだろう。常識に基づいた意見だと自負しているが、苦言を呈した俺に玲奈はむっと不機嫌そうに口元は曲げた。


「あんた日曜日の午後に樹理とデートするのよね?」

「あ、ああ。まあ、そうだけど……明言するのはこれが初めてだな」

「で、土曜日もちゃんと空けてあるのよね?」

「ああそうだ。今日これからのもそうだけど、土曜日を空けた理由もまだ教えてもらってないぞ。なんか準備がどうとかいってたような気がするけど」

「今日の寄り道は土曜日の準備ってところかしらね。『土曜日も空けておきなさい』っていうのは伏線だったってわけよ」

「ドヤっとするな。というか、いちいち会話で伏線とか張らないでくれ」

「その〝やれやれ系〟の反応をやめてくれたら考えてあげるわ」


 いっている意味がよくわからないが、謂れのない文句を受けていることはわかった。

 ――俺、どうしてこいつと一緒に帰っているんだろ……。

 ストレスとまではいかないが、とことん面倒な女子だ。どうして一緒にいるのかとふと疑問に思ったが、そういえば毎回彼女が俺に近寄ってきているのだ。

 ……まぁ、来るものを拒むほど嫌いではない。


「あ、そこの交差点を右に曲がるわよ」

「そこ曲がったら住宅街のほうにいくだろ。小学校の周りもそうだけど、あそこだって民家しかない。道間違えてないか?」

「生まれ育った町なんだから間違えるわけないでしょ。こっちで合ってるわよ。だって、あたしの家はその住宅街の一角にあるんだから」


 ――?

 一瞬の空白のあと、玲奈の発言の示す意味に思考を巡らせて、『寄り道』の目的を類推する。

 ――まさか……いや、そんなわけが……。

 だが、思考の行き着く先はひとつしかなかった。

 想定外の事態に動揺する俺に追い討ちをかけるように、玲奈が答え合わせをした。

「土曜日にあたしの家に来て欲しいから、事前に場所を教えておくわ」

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