第3話
なぜそうなったかなど知る由もないが、枢木玲奈という女は俺がこの十五年の人生で出会ったなかではぶっちぎりの変人といって間違いない。数年前、同じ小学校で通っていた頃の彼女は、少なくとも俺の記憶にある限りでは目立つような存在ではなかったはずだが。
俺の母校は小中一貫だったが、玲奈は小学校を卒業したあと、別の中学に進学した。昨日の眩暈がする強烈な自己紹介で話した内容が真実であれば、中学時代が東京の学校で過ごしたと考えていいのだろう。小学校では周りの女子に埋もれていた少女が高校では転校初日から頂点に輝く存在となってしまうあたり、東京とは俺達田舎者が考えるより遥かにレベルが高いらしい。何のレベルか、それを言語するのは難しい。
とにかく、昨日の授業後、教室から玲奈がさっさと出ていったあとの教室は騒がしかった。無論彼女に関するアレやコレが主な話題だ。彼女が変わり者だからという理由だけではなく、転校初日だというのに堂々としていて、お友達探しもせずに真っ先に帰ったこともクラスメイト達の興味を惹きつける一因となったのは語るまでもない。奴らは俺にも玲奈の小学校時代のことを訊いてきたが、「あんな性格ではなかった」とだけ答えて、バイトの時間が迫っているという名目で騒然とした教室から脱出した。実際はもっと色々と喋ったかもしれないが、よく覚えていない。
メインヒロインが嫌いだとか、王道がどうとかいっているが、お前自身はどうなんだと問い詰めたくなるような波乱を巻き起こす王道の転校生。俺は玲奈をそんなふうに思っているが、今朝の駐輪場での彼女の主張を聴いた感じでは、本人にはあまり自覚がないのかもしれない。「お前こそ王道のツンデレ転校生じゃねぇか」なんていえば油の注がれた火のごとくキレるだろう。彼女についてまだあまりよくわかっていない現段階では、攻めた発言は控えるべきだと自戒した。
まぁ、そうはいっても枢木玲奈は王道のツンデレ転校生だ。ツンデレの後半部分があるのかは未知数だが、深く考えてもわからないので、ひとまずあると仮定して話を進めようと思う。ツンツン転校生かもしれないが、いずれにしてもあと数歩でまたぐ教室の入口を越えれば、そこにはクラスメイトの奇異な視線を独占して無愛想面で頬杖をつくサイドテールの少女がつまらなそうに座っていることは想像に易い。転校生の翌日は、クラスメイトから囲われているか、避けられているかの両極端のどちらかだ。そして創作物では読者や視聴者の心を射止めるといった理由から、避けられるパターンのほうがありがちだろう。平和ではその後の物語をおもしろくするのが難しいと、俺は教室に到達するまでの短い廊下で想像して、納得した。
駐輪場でかき回されたばかりなのに、またあいつの相手をするのか。だが誰からも話しかけてもらえないのは可哀想なので喋ってやるか。そんな少し上から目線の姿勢で教室に入った俺の目に映ったのは、やはり自席に座って頬杖をつく玲奈の姿だった。
「玲奈ちゃん東京に住んでたんなら芸能人ともいっぱい会ったことあるんでしょ? いいな~。あたしも推しと会いたいなあ!」
「たしかに会ってるかもしれないけど、気づけないものよ。電車は基本すし詰め状態なうえ、人の数が段違いだもの。誰かと会う約束をしてないときは、友達とすれ違ったってスルーしてるかもしれないわ」
「そんなことあるの!? えーすごーい。人が多いってどれくらい? 夢の国くらい?」
「休日の夢の国くらいか、それ以上じゃないかしら」
「うちも東京遊びにいったことあるけど、どこにこんな住んでるんだろうってくらいいたもんねぇ。でもいいなぁ玲奈ちゃん。東京に住んでたら夢の国にも行けるもんね。やっぱ年間パスポートもってたの?」
「電車で一時間くらいの場所に住んでたけど、中学生のあたしに年間パスポートなんて無理よ。向こうの友達といったことはあるけどね」
「まぁそうだよねー。親も好きじゃないと年間は厳しいよねー」
――あれは本当に枢木玲奈か?
教室に入ってすぐの位置から動けずにいる俺の視界に、信じがたい光景が広がっている。動けないのは、単に彼女の周りにできた人だかりが巨大すぎて自分の席に近づけないだけだが。
駐輪場から先に教室に戻った玲奈を囲っていたのは、同姓のクラスメイトだけではなかった。
「枢木さんは前の学校で彼氏つくったの?」
「いきなり踏み込んだ質問するわね。あたしを狙うつもり?」
「そ、そういう意味で訊いたんじゃないよ! あー、こんな反応をすると誤解されるかもしれないけど、本当にそうじゃないから。俺にも彼女いるし」
「そう。ほんとに誤解させるから、その性格は矯正したほうがいいわ。彼女にフられるわよ」
「お前いきなり『彼氏は?』はねぇわ。例の制度がなかったら、お前ぜってぇまだ彼女できてねぇわ」
「あんまりきついこといったら可哀想でしょ? で、そんなあんたからはどんな質問がくるのかしら?」
「質問? いやあ質問っていってもなぁ…………好きな食べ物とか?」
「そんなの訊いてどうすんのよ! ウケ狙い?」
「だよなー!」
談笑。そこには昨日の無愛想な転校生だった少女の姿はどこにもなかった。
このままでは始業まで喋り続けそうだったので、俺は意を決して玲奈を囲う人だかりに近づいた。俺の接近に気づいた連中が道をあけると、自席に座る玲奈の視線が上がり、俺と目が合った。
「あ、隆志。ちょっとあたし職員室に用事があるから、ついてきてくれないかしら?」
「なんで俺がついていかないといけないんだ。昨日いったはずだから場所くらいわかるだろ」
「荷物があるかもしれないでしょ。手伝ってくれてもいいじゃない」
俺が近づいた際に大半は離れたが、席に座る玲奈の両脇にはまだ男女が二人ずつ残っている。いつの間にか侍らせた玲奈のお友達が、渋る俺に対して一斉に非難の眼差しと声を浴びせてきた。
――ああ、なんだろうこれ。俺の日常の何かが狂ってしまったような気がする。
「……わかったわかった。手伝えばいいんだな」
「決まりね。じゃあすぐに行きましょう」
断ればクラス内での信頼が地に落ちる状況を作り上げられていたので、首を縦に振らざるを得なかった。楽しそうにクラスメイトと会話していたのだから、そのまま時間を忘れて喋り続けるか、そのうちの誰かと行けばよかったのに。
自席に座ろうと思って近づいたというのに、結局俺は椅子に座ることもできないまま鞄だけ机に置いて、玲奈の付き添いとして教室の外に出た。
迷う素振りもなく職員室への最短ルートを歩く玲奈に、俺は横目をやった。
「教室で待ってるっていったのは、こうして俺を手伝わせるためだったのか。駐輪場で待ってたのも、よくわからんが教師からの面倒事を押し付けるためだったんだな」
「なに勝手に勘違いしてんのよ。あんたのそういうところが王道主人公だっていってんでしょ。もう名前で呼ぶのをやめて、テンプレ野郎と呼んでもいいかしら?」
「王道もなにも、こうして俺を手伝わせようとしてることが全てだろ! それとも、手伝うなんてのは嘘で、俺はいま騙されてるとでも疑えばいいのか?」
「ええ、そうね。それは悪くない反応だと思うわ」
「いちいち王道だとか悪くないとか評価されてたら、俺はお前になにもいわなくなるぞ」
「無口な主人公ってあまりみないし物語として成立させるのは難しい気がするから、それはそれでアリね」
「そういう話がしたいんじゃなくてなぁ……」
こいつは趣味で小説でも書いてて、まだ流行していない奇抜なネタでも思案しているのだろうか。もしくは俺を変人に仕立て上げ、ノンフィクションの胡散臭い話でも書いて一山当てようとしているのか。
仮に俺が彼女を喜ばせようとするあまり奇人に変貌したとしよう。それでいったい彼女にどんな得があるというのか。無論、彼女から好かれる代わりに彼女以外は俺を避けるようになるだろうから、希望通りの人間に変わってやるつもりは毛頭ないが。
「ところで、あんたの彼女、まだ教室に来てなかったわね。登校遅いの? 部活の朝練?」
「樹理のことか? あいつはバドミントン部の朝練でいつも始業ギリギリに来るんだよ。ってか、なんでいきなり樹理? ああ、そうか。金井小学校にいたんだから、樹理のことも知ってるか。もしかして結構仲良かったとか?」
「いえ、同級生になったことは一度もないわ」
「なんだそりゃ。それじゃあなんで樹理に興味があるんだよ」
「決まってるじゃない。全部あの容姿のせいよ!」
決まっていたらしい。即答できるほど明白なようだが、もちろん俺は玲奈の頭の中身を一ミリたりとも理解できていない。
俺の相槌を待たずに、彼女は畳み掛けるように続ける。
「あんたの彼女なんだから、一番近くで見てるあんたならわかるでしょ? 黒髪ロングよ、さらさらの黒髪ロング! わからないかもしれないけど、髪の手入れって大変なのよ! どんだけドライヤーかけるのよってくらいドライヤーかけるの! それでも毎日怠らず万全にしないとあれほどの綺麗にはならないわ!
そしてあの身体っ! あたしと身長変わらないのに、女性として重要な部位の差が著しいわ! それでいて顔もかわいい系で清楚だなんて……あんなの現実にいていいわけ!? メインヒロイン嫌いで同姓のあたしですら興奮するわ!」
「お前いきなり大声でなにいってんだ! すれ違う奴全員振り返ってるぞ!」
「いちいちうるさいわね。あんただって三大欲求の一つに本能を刺激されて、勢いのままに告白したんでしょ。いえ、違うわね。あんたと樹理ちゃんみたいな王道同士なら、きっとあんたが無自覚のうちに彼女の心を惹いて、彼女から告白したって流れかしら? 反吐が出るわね」
「玲奈、お前ほんといい性格してるな……」
「王道アレルギーなんだからしょうがないじゃない。で、実際のところはどうなの? 意外と国が施行した少子化対策の学生恋愛活動支援制度でカップルになったばかりだったりするわけ?」
「恋愛活動支援制度ねぇ……」
長年少子化問題と向き合ってきた我が国でも、七年前に満を持して問題解消のための新制度が設けられた。それが玲奈のいう学生恋愛活動支援制度だ。内容はともかくとして、国のお偉いさん方にはもう少し捻った名前にしてほしかった。直球すぎるというか、そのまんまだ。説明を兼ねていたほうがわかりやすいのかもしれないが。
「二川高校(このがっこう)でもやったんでしょ? 改めて考えてみても大胆な制度よね。人生で最も多くの異性と交流する機会でもある学生時代に、勉強と同じくらい恋愛を重視させるだなんて」
「俺達の母校は国の方針に賛成してるからな。毎年四月に、恋人がいない人を体育館に集めて婚活パーティーの真似事をしてるわけだ。俺は参加してないから詳しくは知らないけど、校内の様子を見れば効果のほどは語るまでもないよな」
「でも、素晴らしいことよ。二〇代の結婚率は上がってるし、なんだかんだ学力が低下したって問題も表面化してないもの。勉強に集中できなくなるなんてのは、草食系が恋愛と向き合わないための方便でしかなかったわけね」
「玲奈が一学期を過ごした高校でも、その素晴らしい制度はあったのか?」
「あったわよ。まぁ四月時点で転校するとわかってたから、あたしは参加しなかったけど」
ふーん、と聞き流しかけたが、その一言にはどうも引っかかるものがあった。
職員室の扉がようやく見えたとき、違和感の正体に気づいた。
「……じゃあ、玲奈はいま誰とも付き合ってないのか」
恐る恐るといった具合に、声を潜めて真相を確かめた。なんでそうしたか説明はできないが、たぶん失礼だと思ったからだろう。
目的地の付近で立ち止まり、玲奈は平然と答えた。
「四月はそうだったけど、引っ越す前に色々あって出来たわ。あっちは東京に住んでるから遠距離だけどね。だけどそっちのほうが非王道って感じじゃない? あたしはこの関係を気に入ってるわ」
「そうか。実は俺達の一年二組はとりわけカップルが多いから、探そうと思っても難しいと思ってね」
「へぇ。たしかにそんな印象はあったけど、そんなに多いの?」
「まぁ、多いとは思う」
話の流れが自分のクラスに向いてきた。俺と樹理に関する玲奈の〝誤解〟を解くタイミングとしては悪くないはずだ。この流れにのって、俺はその話を切り出した。
「――ただ、玲奈は俺と樹理が恋人同士だと思ってるようだけど、そうじゃない」
「……は。え、あんた達カップルじゃないの?」
「俺と樹理はお前がいかにも嫌いそうな幼馴染ってやつだけど、現実はそううまくいかないってわけだ。お前が仲間じゃないとしたら、一年二組で彼女持ちじゃない奴は俺だけかもしれん」
「それじゃあ、樹理ちゃんは別の男と付き合ってるわけ?」
「いや……それはないと思うけど……とにかく俺と樹理は恋人同士じゃないんだ」
「ふぅん、そうなの。……はぁ」
意味不明の嘆息。王道とかなんとかいって文句をいっていた玲奈からすれば、俺と樹理は付き合っていないほうが喜ぶかと予想していたが、彼女は期待外れだといいたげな表情を見せている。
「なんであんた達はそんな、漫画アニメゲームドラマで多用されがちな設定や出来事を起こせるのかしら。仕込んでるわけ? 王道が嫌いだっていうあたしに対する嫌がらせのつもり? それとも、テンプレ主人公とテンプレメインヒロインが合わさると、必然的に王道展開になるのかしら。是非ともどこかの大学で研究してほしいテーマね」
「なにいってんだよ。付き合ってないっていってるだろ。恋人じゃないんだから王道とは違うだろ」
「そんなにあたしに例の台詞をいわせたいの? ……はぁ。いいわ。もう始業の時間が近いから、特別にいってあげる」
また大きなため息。
玲奈は状況が飲み込めず当惑している俺から目を逸らして、俺の背後の廊下に目をやった。
「――藤堂樹理ちゃん。彼はあなたを恋人じゃないっていってるけど、あなたはどう思ってるのかしら?」
この一瞬、おそらく俺の体内の血液の循環は止まっていた。死んでいたのかと問われれば、死んでいたと答えて正しいだろう。
ああ、これも玲奈のいうテンプレだな、と自覚しながらも、緩慢な動作で首を後ろにまわすことを止められなかった。玲奈はこの反応を見て、さらに苛々を増大させているかもしれない。いや、きっとそうだ。そうだとしても、俺が謝ることではないと思うが。
振り返った視界に、これまたいかにも玲奈が嫌悪感を示しそうな顔をした樹理がいた。
部活の朝練で流した汗をシャワーで軽く流してきたのだろう。生乾きの長髪は色っぽく、男なら誰しもが抱える爆弾を誘発させかねない魅力を醸している。クラスの連中が彼氏彼女持ちではなく、玲奈と同じように俺と樹理がカップルだと勘違いしていなければ、樹理は何人からも告白されていたことだろう。学生恋愛活動支援制度は、彼氏彼女のいない奴をはっきりさせる効果もあるのだ。もっとも、俺や樹理のように婚活パーティーもどきに参加しないくせに恋人のいない例外もいるが。
――あー、わかるわかる。メインヒロインはここで背中を向けて逃げ出すんだ。
口には出さないが、玲奈も胸のうちでそう考えているだろう。
案の定、愕然とした様子で俺と玲奈のほうを凝視していた樹理は、俺と目が合うなり言葉を発さずに回れ右をして、早足で廊下の角に消えていった。
窓から見える樹理を目で追いかけつつ、俺は隣にいる玲奈に伝えた。
「悪いな。俺はいまからお前の嫌がる行動をする」
「好きにしなさい。あたしに止める権利はないわ」
許可を得ずともそうするつもりだったが、了承をもらって少し、ほんの少しだけ晴々とした気持ちで俺は樹理のあとを追いかけた。
廊下の角を曲がる際、ちらりと職員室の前にいる玲奈に視線をやった。
しかし、彼女の姿はすでにそこから消えていた。
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