第2話
午前七時三〇分に自宅を出発して、自転車をこぎ始めて二〇分が経過した八時前。高校一年の二学期の始業式を済ませた翌日、俺は昨日に引き続き寝坊することもなく真面目に普段通りに登校をキメた。夏休み中は学生らしく生活リズムを乱していたが、休みが明ければ身体は必要な時間に目覚めるようになった。将来は優秀なサラリーマンとして湛えられるだろう。陰では社畜と揶揄されそうでもあるが。
アラームを忘れてもきっちり起床する自分の特技はさておき、夏休みが明けた途端、男女で談笑している学生が目に見えて増えた。元々この時代はカップルが多いが、特に増えるのが一学期を終えて夏休みで思い出を爆発させたあとの時期――この九月に学生カップルが激増する現象は、近年のこの国での風物詩だ。
自転車ですれ違った学生カップルは、そのほとんどが同じ学校の制服来た男女だった。次に多いのは男子高、女子高の生徒の異校カップルだ。
こんな光景は十年前では考えられなかったと俺の両親は驚いていた。
俺も驚いている。国の施行した学生恋愛促進政策が、ここまで顕著に効果が出ると誰に想像できただろう。十年前の日本人草食化問題とやらは何だったのか。草ばかり食べてた連中も、実は肉のほうが好きだったという話か。草しか見えてなかった国民に肉を与えてみたら、恐ろしい勢いで食いついて丸々太っていったのだ。この変貌ぶりはもうエンターテイメントの域に達している。国会で反対派に罵倒されながらも政策を推し進めた議員達は笑いが止まらないことだろう。
普段は「女には興味ない」と捻くれていたり、「好きな人はいない」と平気で嘘をつくくせに、そういう連中に限っていざ異性を前にすると恐ろしく素直な生き物になる。政策を強硬した議員は、そんな恋愛に未熟な国民の本質を看破していたというわけだ。頭の回る人とは、そういった本質を見抜ける人物を指す言葉かもしれない。
愛用の自転車を手で押して規定の駐輪スペースに運んでいくと、俺の駐輪スペースを阻むように、同じクラスの女子生徒が仁王立ちで待ち構えていた。
彼女はその唇に、悪巧みを働く小物のような薄い笑みを浮かべている。
そこにいたのは、昨日転校してきてモブキャラになった枢木玲奈だった。
「待ってたわよ隆志ッ! 王道主人公タイプのあんたのことだから、どうせ電車を使わず自転車で登校すると思ってたわ!」
「……色々と突っ込みたい点が多いけど、とりあえず俺に自転車を置かせてくれる?」
「出たわね、王道主人公特有の異常より日常を優先する選択が。実際に目の当たりにすると驚愕せずにはいられないわ。どうしてこんな状況で自転車を優先するのかしら? もっと先にいうことがあるんじゃない?」
「もちろん枢木さんが俺の駐輪スペースを占拠してるなんて想像もしてなかったし、占拠してる人が昨日モブキャラとかいってた人だってのも理解に苦しむし、駐輪場の通路を塞いで背後に渋滞を作っている状況で他に優先することがあると断言できるあたり迷惑な奴だとも思う。そのうえで、まずは面倒な事態に発展しないうちに自転車を停めさせてくれって話だ。わかったか? いや、わかってくれ」
許可ではなく命じて、自転車を押して強引に駐輪スペースに特攻する。
玲奈が頑なに退かないようであれば、寸止めしてもう少しきつい口調で意思を伝えようと思ったが、駐輪を強行すると彼女は意外にもあっさりと脇にずれて、俺の駐輪スペースを解放した。
後ろに詰まっていた自転車に軽く頭を下げて、すぐ隣に立つ玲奈を見た。
彼女は唇に三日月を浮かべていた。
「いまのはいいわね。王道の物語なら、ヒロインを轢き殺そうとしたりはしないわ。あたしが求めているのは、まさにそういう王道から外れた行動なのよ!」
「とても楽しそうで何よりだけど、誤解を生むような発言をしないでくれるか。俺を気に入らないことがあればすぐ暴力を振るうバイオレンス野郎にしないでくれ」
「それもいいわね! ヒロインに些細な理由で暴力を振るう主人公なんてそうそういないもの。斬新かもしれないわ!」
「そんなのは主人公として成立しないだろ……」
今日は眠気もなく体調も最高だったにも関わらず、玲奈と会話してると頭痛がしてきた。食物や花粉意外にもアレルギー反応が起きると耳にしたことがあるが、俺がいますぐアレルギー検査したら枢木玲奈に対する値が検査結果用紙の余白まで伸びるかもしれない。
玲奈のわけのわからん話をどう振り切ろうか考えながら、屈んで自転車の車輪をロックする作業を普段の三倍近くかけて行った。思考の時間を確保するためだった。
作業を終えて立ち上がると、俺はしかたなく玲奈に顔を向けた。
「それで、用件はなんなの? 枢木さんが待ってたのは俺なんでしょ?」
「単純な話よ。あんたとは教室で会う前に、駐輪場で会っておきたかったの。だって教室で話しかけるなんて王道過ぎると思わない? あたしはあんたにとってみればモブキャラなんだから、王道をしちゃいけないと思うのよ。二日目から駐輪場で話す相手なんて、モブキャラか親友くらいなものでしょ? で、あたしは親友なわけないから、ここで喋っておこうと待ってたわけ」
「……そのモブだとか親友だとって話をするためだけに?」
「ええそうよ。そんでもって、天性の王道主人公タイプのあんたのことだから、ここであたしと会話をしていれば、モブではないもう片方の登場人物も寄ってくるはずだわ」
玲奈がそういった直後、時間にして約五秒後に、そいつは本当に姿を現した。
「お、隆志じゃーん。んんん? お、もしかしてその子がお前のクラスに来たっていう転校生? たしか、お前と同じ小学校に通ってたんだっけ?」
「忠告しておくけど、そいつに関わるのはやめておいたほうがいい。後悔するぞ、俺のように」
「なんでだよー。こんなにかわいくて転校生属性持ちだなんてアツいじゃんかよ! お前だけで独り占めしようとするなんてずるいぜ」
「お前は女子なら誰にだってかわいいっていうだろ……。そんなチャラいことばっかいって、また彼女に殴られるぞ」
「バレなきゃいいだろ別に。つまりお前がバラさなきゃ問題ねぇってわけだ。頼むぜ隆志。俺も樹理ちゃんに黙っておいてやるからよ」
「な、なんでそこで樹理がでてくるんだよ」
「彼女にバレたら困るのはお互いサマってことだ」
勝ち誇ったようにいって、最も親しい友人の新庄陽平は俺の肩をぽんぽんと二回叩き、そばにいた玲奈に接近した。
「枢木玲奈ちゃんだっけ? 遠くから転校してきたの? 今度前の学校のこととか教えてよ。俺この田舎から出たことないからさ、卒業したら上京とか考えてるんだけど、東京っていいところ? てか、まず連絡先交換しようよ。俺の連絡先は――」
プログラムされていたかのような流れる動きで携帯電話を取り出すと、陽平は玲奈の前に自分の連絡先を提示した。
陽平に喋りかけられてから、玲奈は眉一つ動かしていなかった。
彼女は路上に転がるゴミでも見るように、冷ややかな眼差しを相手に送った。
「あんた、あたしのことどう思ってるわけ?」
「お、大胆だね~。いやー困っちゃうなー。俺にも大事な彼女ってやつがいるんだけどなー。でも玲奈ちゃんかわいいから、浮気しちゃおっかなー?」
「うるさいわね。さっさと答えなさい。あたしをどう思ってるのよ」
「そんな怒らないでよー。しょうがないじゃん。だって美人で転校生なんだぜ? 何も起こらないわけがない漫画でよくある王道展開じゃん! 玲奈ちゃんどう考えたってメインヒロインだぜ? 男なら誰だって惹かれちゃうに決まってるよ。なぁ、隆志もそうなんだろ?」
話を振ってきた親友に、俺は残念そうな顔を作ってかぶりを振った。
「お前、終わったな」
「なんだよそれー。終わったのはお前と樹理ちゃんの関係だろ! こういう場合、なんだかんだ転校生と結ばれちまったりするんだよ。羨ましいねぇ。お前が主人公なら、俺は気を許してる親友ってことか? 脇役ってのは悲しいねぇ」
「悲しいついでにいうと、お前はたぶん、もう目の前の女子と話せないだろう」
「今日は随分と調子いいな! 先に目をつけたのはお前かもしれねぇけど、先に手を出したのは俺だ。いいか隆志。世の中は何事も強くて早い奴が勝つ。よく覚えとけよ」
玲奈に背中をつっつかれて、陽平は微笑みながら彼女に振り向いた。
「え、なに? 玲奈ちゃんも俺のこと気に入ってくれた?」
「最後に一つ教えておいてあげるわ」
静かな憤怒を瞳に湛えて、玲奈は陽平に向かっていった。
「あたしはメインヒロインも王道のストーリーも嫌いなの。あんたみたいな典型的な親友キャラも当然無理だわ。だから、もう二度とあたしに話しかけないでくれる? いいかしら?」
「またまた~。そういいながらも、また声かけてくることを期待するって奴でしょー?」
「まったくわかってないようね。でも、いいわ。いまので引かなかったのは評価してあげる。典型的なチャラ男は引きどころも弁えているものだけど、あんたほどのしつこさまでいくと、親友じゃなくただのモブキャラだわ。
あんたがモブキャラなら、そもそも嫌いとか好きだとか議論される土俵にすら立ってない。どこで何をしていてもいいし、あたしや隆志にも自由に話しかければいいわ。モブキャラのあんたは物語に関わらない。攻略対象でもなく、物語終盤どころか中盤くらいから作者が存在を忘れたかのようにフェードアウトする連番付きの男性キャラクターだもの」
「そんなモブキャラなわけないでしょー! 玲奈ちゃんだってこんなに話しかけてくれてんじゃん!」
「そうね。でもあんたと話すのはこの場面が最初で最後だわ。いったでしょ? あたしの物語にあんたみたいな王道の親友キャラはいらないの。嫌いなの。存在が鬱陶しいの。悪いとは思ってるわ。あんたがあたしに何かしたってわけじゃないんだから。単に関わってほしくないだけなの。
でも、さっきもいったように話しかけたければ話しかけてくれていいわ。同じ学校にいれば、しかたなくコミュニケーションが必要になる場面もあると思うもの。ただ、それをあたしは語らない。モブキャラとの出来事を語っていたら王道、非王道以前に物語としてつまらないもの。わかったかしら? いえ、わかってなくても結構よ。
さ、これであたしが語るあんたとあたしの会話はおしまい。表舞台にあんたが出ることは二度とないわ」
愛想笑いを浮かべた状態で硬直している陽平の横を素通りして、玲奈は駐輪場を出て行こうとした。
振り返らない陽平を――いや、金縛りに近い不可抗力の拘束に遭っている陽平に代わり、俺は背中を向けた彼女を目で追った。
困惑の視線に気づいたのか、去っていこうとしていた彼女は身体を反転させた。自転車の横で佇む俺を見た彼女は、自信に満ち溢れた挑発的な表情でいった。
「続きは教室で話しましょう。先にいって待ってるわ」
俺の隣にいる地蔵と化した陽平には一瞥もくれず、玲奈は軽やかな足取りで登校する生徒の群れに混ざり、校舎の陰に消えていった。
再び視線を隣に向けるが、親友は魂が抜けてしまっているように反応がない。気の毒だが、あまりに常軌を逸した罵詈雑言だったために慰める言葉も見つからない。さすがは王道を嫌っているだけある。嫌っている理由はよくわからないが、フってもフってもオーケーをもらうまで付きまとう陽平を一発KOした実績は、玲奈が王道を嫌っている事実の証左になることだろう。
……本当にそうなのか?
「陽平、その、授業に遅れるなよ」
駐輪場の景色に溶け込んでしまった親友にそういい残して、俺も駐輪場の出口に歩いていった。
時刻は八時一〇分。始業まで、まだあと十五分ほど余裕があった。
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