第49話

 魔王を取り囲むように生えていた石柱が一斉に砕け散った。地響きを鳴らしながら瓦礫は次々と地面に落ち、砂埃を舞い上がらせる。次第に砂埃が薄くなっていき、辺りの景色がはっきり見える頃にはルクスの姿は消えていた。


 「あっれー? あたしの記憶が正しければそこにもう1人いた気がするんだけどなー。どこ行ったの? ねえねえ、教えて?」


 「人間風情が随分舐めた口きいてくれますわね。まあ、いいですわ。わたくし、今とても気分がいいので」


 「魔王か何か知らないけどさー、質問には答えてくれない?」


 「ふふっ。そうですわね。では、これでいかがです?」


 そう言うと魔王はゆっくり目を閉じた。そして再び目を開けたときにはが灯っていた。


 「それって」


 ゾクリとメレアの体に鳥肌が立つ。


 「ルクス様は疲れていたようなので、ひとまずわたくしの体の中に避難させて頂きましたわ。さすがにこれにはルクス様も恥ずかしかったようですわね。取り込む際にかなり抵抗されていましたから。私も恥ずかしいですのに。その辺りは気を遣って頂きたいですわ。ですが、一方が弱った時にはもう一方が支える。凄くシンプルで凄く簡単なことですが、これこそが愛ですわ! 私は今、愛を感じていますわ!」


 嬉しそうな顔をしながら頬を両手で押さえる魔王。緑色の光を宿した獣のような目は見開かれていて、口角もつり上がっている。表情、声色、仕草。そのどれもが生き生きとしていて、どれもが狂気に満ちていた。


 魔王の言葉にしばらく何も言えないメレア。しかし、しばらくの沈黙の後、メレアはお腹を抱え笑い始めた。その様子を見た魔王の表情から徐々に笑顔が消えていく。


 「何がおかしいのですの?」


 「あ、ごめんごめん。バカにしてるとかじゃなくてさ。あー、友達少ないんだろうなって思って――」


 メレアの言葉を遮るように魔法が放たれた。

 短時間で発動できように展開された魔方陣。しかしメレアを跡形もなく消すには充分なくらいの威力の攻撃。魔方陣が展開され放たれるまでほんの一瞬の出来事だった。


 だが、その魔法はメレアには当たらなかった。


 普通なら魔方陣に反応する前に死んでいたはずだった。にもかかわらずメレアを狙って放たれた魔法は当たる直前で斜め上に起動がずれた。


 「あははっ! 図星だからって起こんないでよ。あたしも友達少ないし。それが悪いとは思ってないし」


 笑いながらフォローするメレアに対して、魔王は目の前で起きた現象に混乱していた。


 私《わたくし》の魔法は完璧だったはず。ルクス様の目でも変わったものは見えませんでしたわ。それなのに起動がずらされた。このメガネ女すぐに倒してあの太った女の所に行ってやるつもりでしたのに。これは想定していたよりも時間が掛かりそうですわね。


 そう思いながら魔王は半歩後ろに下がった。


 「あーあ、距離取られちゃった。せっかくお友達になろうと思ったのに」

 

 「……今、何と仰いましたの?」


 「あ、ごめん。これもうちょっと仲良くなってから言うやつだった。良かったらだけど聞かなかったことにして」


 そう言ってメレアは両手を合わせてウインクをする。そこには魔王に対する恐怖はなかった。


 「ふふっ。面白い冗談ですわね。まさか友人になるから先ほどの太った女を見逃せとでも仰りたいのですの?」


 「何? その陳腐な発想。そんなので見逃してくれるの?」


 「まさか。ルクス様に群がる虫は1匹残らず排除する。それが私《わたくし》の愛の形ですわ」


 「だよねー。あたし的にも友達になったかって急に手を抜かれるのも嫌だしねー。戦いは全力でやってもらわないと。それでボロボロになるあなたを見たい」


 「奇遇ですわ。あなたも好きな人の全てを愛したいのですわね」


 「いや。あたしはただ嫌いな人を意図的に好きになり、それを地の底へ叩きつける。その時のあたしの感情を知りたい」


 「知ってどうしますの?」


 「うーん、どうするんだろうね? あたしはネムの前で失敗するわけにはいかない。だから、どうでもいい人で試すの。あの子の前で、あたしが『あたし』でいるために」


 「理解に苦しみますわ」


 「理解してもらいたくて言ってるわけじゃないからねー」


 直立したまましばらく話し合う2人。しかし、先に硬直を破ったのは魔王だった。少し後ろに飛びながら、手のひらを前に出す。そして空気を撫でるように手を動かすと、そこにいくつもの魔方陣が展開された。


 「どのようなカラクリか分かりませんが、避けられるものなら避けてくださいまし」


 魔王が不気味な笑みを浮かべると、周辺の地面や建物が氷で覆われた。そして覆われた地面から巨大な石柱が出現し、弓なりにメレアのいる場所へと突き刺さる。覆われた氷が砕け、次々に家が破壊されていく。目視ではメレアの無事は分からない。だからなのか、魔王はさらに後ろに下がりながら魔方陣を展開する。

 砕け散った氷のかけらが空中で大きくなり、空に無数の氷柱が出現する。それが石柱を貫くようにメレアが立っていた場所に一斉に降りかかる。


 「さあ、フィナーレですわ!」


 そう高らかに宣言すると、1区画を飲み込んでしまいそうなほどの大きさの炎の渦が出現した。魔王がいる場所からメレアがいる場所にかけて徐々に威力を増しながら狭まっていく。

 覆われていた氷が溶け、建物は焼け落ち、炎の渦が中心点に集まり最終的に消える頃には景色はがらりと変わっていた。


 氷による足止め用の広範囲魔法。攻撃に特化した石柱による一点集中型の攻撃魔法。飛び散った破片を利用した多方向からの攻撃魔法。そして、どこにいても逃れることの出来ない殲滅用の広範囲魔法。

最初に放った光による魔法ではメレアに傷1つ付けることは出来なかった。だったら様々な属性の魔法攻撃を仕掛けることで彼女に効果のある属性の魔法を探すのが賢明。そう判断した攻撃だった。


 「しかし、これではどうなったか分かりませんわね。ルクス様の目でも魔力は見えませんし」


 やれやれとため息をつきながら、炎に巻き込まれなかった屋根から飛び降りる。熱でヒビの入った石柱に沿うように目的地を目指す。しかし、しばらくすると目の前の光景に思わず足を止めてしまう。

 魔王が発動した石柱は地面に刺さり、炎の渦の熱による影響か溶岩のように地面と一体化している。辺り一帯は黒く焦げ付いていて氷柱による穴の跡も見つかった。


 全て魔王の予想通りだった。ただ1つ、位置を除いては。


 石柱をはじめ、全ての攻撃が直前で起動が変わったのか、本来より右にずれていた。


 「いやー、凄い魔法だねー。本当に近くで見てて感心しちゃった」


 拍手をしながらキラキラした目で魔王を見つめるメレア。その体にも服にも一切の傷や汚れがなかった。


 やはりですわ。この女には属性関係なく魔法が当たらない。それが証明されただけでも充分ですわ。


 ニヤリと魔王は笑うと、後ろに隠していた手で魔方陣を展開する。すると魔王の姿は消えメレアの背後に現われた。


 「こっちはどうですの?」


 背後から蹴りを入れられたメレアは、いとも簡単に吹き飛ばされてしまった。地面に強く打ち付けられ、数回転んで停止する。意識はあるようだがすぐには立ち上がることは出来ない。


 「ビンゴですわー! ですがこの感触、何か装備を付けていますわね。なら早く立ってくださいまし。まさか、あれだけ威勢がよかったのに、一撃で終わりなんて冗談みたいなこと言いませんわよね」


 倒れたメレアを煽る魔王。しかし息をするのが精一杯のメレアは立ち上がるどころか、言い返すことも出来ない。痛みをこらえながら右手を動かし、魔王の死角で回復の魔方陣を展開する。だが、この行動が失敗だった。


 体を回復させたメレアはゆっくり立ち上がる。そして魔王を睨みながら次の行動を考え始めた。


 あたしの弱点がバレた。これ以上体術を食らえばネムが来る前にやられてしまう。とりあえず転移魔法には気を付けないと。大丈夫。まだあたしの弱点の1つがバレただけだ。転移魔法に気を付けながら遠距離魔法を放てば、時間稼ぎは出来る。


 そう考えながら次の攻撃に備える。しかし魔王は攻撃を仕掛ける素振りはない。不思議に思っていると魔王は口を開いた。


 「


 緑色の光を帯びた目で魔王は静かに言う。


 「この目は相手の魔力の動きが見えますわ。あなたが私わたくしに隠れて使った魔法は『火』と『水』と少しばかりの『土』の属性の魔法。『治癒』の属性とはかけ離れていましたわ」


 魔王の発言にメレアの鼓動が激しくなる。


 ……嘘?! 隠れてやったのに。ルクス君の目ってそんなことも分かるの?


 「……あなた、もしかして」


 ダメ! 今のあたしは使えるようになったから。今さらそのスキルのことを言わないで! もう、あたしの平穏を潰されるのは嫌なの!


 「『あま邪鬼じゃく』ですの?」


 ニヤリと笑う魔王にメレアは全身の血の気が引くのを感じた。

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