第47話
「あれ見える?」
ネムたちが来る方向の空を指さすメレア。サーラもメレアの指さす方を見る。すると地味な服を着た人が空中に浮いていた。
あんな所で何をしているんだろう。結界内で安定して浮遊できるのは凄いけど、あんなに目立ってしまったらすぐに聖騎士団の人に見つかってしまう。それにルクス君とネムさんがもうじき来るはず。自分から捕まりに来てもらってるのと同じだ……もしかして!
「あれってルクス君が言っていた女性ですか?」
「う、うん。それもだけど、あの髪色って魔王だよね?」
「え?」
メレアの言葉に戸惑いながらサーラは再び浮遊する女性を見る。しかし何度見てもサーラの目には地味な服を着た黒髪の少女しか見えなかった。確か魔王は返り血を浴びたかのような真っ赤な髪の少女。その情報とは目の前の少女の容姿は明らかに違っていた。
「サーラ、例の武器ってどこに置いてある?」
「メレアさんに言われたとおりネムさんの部屋にあります」
「分かった。今からあたし武器取ってくるから。サーラは安全な場所で隠れてて」
「……はい」
少し戸惑いながら返事をしたサーラはその場から逃げるように走り出した。その様子を確認してからメレアは地面に転移魔法の魔方陣を展開した。
しかし、転移するよりも先に光線がメレアを目がけて放たれた。
人差し指に小さな光を集めた魔王は、振り返ることなく自身の斜め後ろにその光を放った。ドンと低い音とともに地面が少し揺れる。光が貫いた建物が揺れの数秒後に崩れ去った。
魔王は人差し指にふーっと息を吹きかけ少し残念そうな顔をして私を見つめた。
「どうやら
魔王の言葉にルクスはゆっくり私の方を見る。その表情にはこれまでにないほどの緊張が表れていた。
「ネムさん。あなた方の中で魔法が使えるのって……」
「多分あの子は大丈夫です……きっと大丈夫です」
突如何かが頬をかすめる。恐る恐る自分の頬に触れてみると手には血が付いていた。あまりにも速すぎて切られた感覚も、痛みも感じなかった。ただ時間とともにじわじわと痛みを感じる。
「無理にルクス様の視界に入らなくてもいいのですよ。あなたはさっきの女と違ってゆっくり確実に仕留めて差し上げますわ」
そう言って不気味に笑みを浮かべる少女。次の瞬間、彼女の足元に大きな黒い薔薇の花が現われた。何の攻撃だろうと警戒するルクス。そんなルクスを少女は愛おしく見つめる。
足元から彼女を球状に覆うように次から次へと黒い薔薇が現われる。そして彼女を完全覆った途端、薔薇の球は小さな花びらとなって弾けるように宙を舞った。
「やはり運命の出会いですから、こちらの姿でないとダメですわね」
薔薇の中から現われた姿を見て息をのむ。
返り血を浴びたかのような赤い髪に獣のように鋭い目。大人っぽい顔立ちに子供らしさを感じる黒い大きなリボン。肌が白いせいか身に纏っているヒラヒラの黒いドレスが映える。美しさに可愛さを兼ね備えた少女。でも、それらをはるかに上回る恐怖。これが魔王か。
「ネムさん。下りてもらっていいですか? あなたを背負って戦えるほど魔王は弱くありません」
じっと魔王を見つめたまま、そう告げるルクス。私は何も言えないままルクスから下りる。
足裏から伝わる屋根の感触。それがルクスから離れてしまった証明のように感じてしまい、勝手に足が震える。頭が回らない。どうするのが正解か分からない。多分私はこの状態から1歩も動けないんだろう。戦うルクスの後ろで見ているだけ。私の実力じゃそうすることしか出来ない。
「さっきの姿では分かりませんでしたが、その姿を見て思い出しました」
「わあ! さすが運命の相手ですわね。
両手を頬に当てて恥ずかしそうに体をくねくねしながら話す魔王。言ってる意味が分からないけれど、彼女の異常さだけは伝わった。
この人の前にいたくない。思考回路が気持ち悪い。息を吸うだけで吐き気がする。
動くことの出来ない私の全細胞が目の前の魔王を拒絶する。
「あいにく人を簡単に殺すような方とは結婚できません」
「そう恥ずかしがらずに。照れた顔も可愛いですわ。でも1つ訂正がありますわ。
「だったら、さっきの光線は何ですか」
「あれはルクス様を守るためですわ。妻たるもの家族を守るのは当然のことでしてよ。それにこの国にはたくさんの人間がいるではないですか。その何万人の1人など誤差の範囲だと思いませんか?」
「ふざけないでください。1つの尊い命です」
「なるほど。これが夫婦間の価値観の違いというものですわね。ですが、これを乗り越えた先に新たな絆があるのですわね。ゾクゾクしてまいりましたわ」
「本気であなたのことが嫌いです」
「安心してくださいまし。
次の瞬間ルクスが姿を消したように見えた。目にもとまらぬ速さで様々な方向から斬撃を繰り返す。スキル発動時に光るルクスの瞳の淡い緑色光だけが残像となって見える。相手の魔力の動きを可視化し先読みをするルクスのスキル。そのスキルを持ってしてもルクスの攻撃は全て魔王の周りを取り巻く黒い塊に防がれてしまう。
「思い返してみれば前回もこのような戦いでしたわね。ルクス様の剣を私の魔力が受け止める。そして――」
いつの間に魔方陣を展開したのか斬りかかるルクスとは反対の方向から炎が吹き出す。
「そうそう。炎で
剣と炎の両方の攻撃を黒い塊で防がれてしまう。そこまで攻撃を仕掛けたところでルクスは魔王から距離をとった。楽しそうに話す魔王に比べてルクスは息が切れている。このままだとルクスがやられるのは時間の問題かも知れない。
「うーん。あなたのことを大好きな気持ちは変わりませんが、少しばかりマンネリと言うのですか? 飽きてきましたわ。というわけで――」
「ぐっ!」
短い悲鳴とともに倒れ込むルクス。一瞬だったけどルクスの足元に電気が走るのが見えた。
「前にルクス様がやってくださった魔法の雷版ですわ。同じ炎の魔法で返しても良かったのですが愛しい人の体を傷つけたくはありませんし。傷になって残るのも……いえ、それはアリかも知れませんわね。今度機会があればやってみますわ。とりあえず今回は動けなくなる程度で大人しくして頂きたいですわね」
そう言いながら魔王はゆっくりルクスに近づく。そして動けなくなったルクスのそばで正座をし、彼の頭を乗せた。魔王は優しく彼の金色の髪を撫で、優しい口調で彼に語りかける。
「
魔王は黒い塊をさっき自分が場所に飛ばし縦横無尽に動かす。塊が触れた屋根や空間に魔方陣が展開され小さな爆発が起こる。
「高速で斬りかかりながら
魔王との圧倒的な実力差を感じたルクスは、目で私に逃げろと合図を送る。それに気付いた魔王は黒い塊を手の形に変え、今度は私の方へと飛ばした。黒い手が私に届くギリギリで目の前に魔方陣が展開され、周囲を氷の壁がぐるりと覆った。
魔方陣が展開されたのはルクスが最初に立っていた場所。魔王と話をしている間に私を守る魔方陣を用意してあったんだ。
「考えは悪くないですわ。しかし隠すことに気を取られ強度がお粗末ですわ」
黒い手が氷の壁を指ではじく。するといとも簡単に氷の壁は砕け散った。
「愛というものは、その人の全部を好きになることだと思っています。見た目も性格も長所も短所も。喜んだ顔も、もちろん絶望した顔も」
はじいた指にとがった爪が生え、私の額をチクリと刺す。
逃げなきゃ
そう判断するも、少しも動くことは出来ない。
「あの女を殺せば絶望してくれますか?」
脳がとろけそうになるほど甘い声。そこには狂気と彼女なりの愛があった。
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