第46話

 明日になって欲しくない。そうどれだけ強く願っても、時間は止まることなく進み続ける。ルクスの代役をしている時以来の憂鬱な朝を迎えた私は嫌々支度を始めた。

 いつもだったらデザートまで美味しく食べる朝食も、今朝は一切手を付けることなく水だけ飲んで済ませた。昨日メレアに「途中で気持ち悪くなるかも知れないから」と言われていたからちょうど良かった。


 準備を終えた私は部屋を出て待ち合わせ場所の聖堂の前へと向かった。

 少し前の私ならきっと凄くおしゃれをしていただろう。でも私は成長した。食べこぼしの汚れが付いたトレーナーにもう着なくなった穴の開いたズボン。今から畑仕事の依頼が入っても差し支えのない服装だった。


 「おはようございます。本日はよろしくお願いします」


 聖堂の前で待つルクスを見つけて一応挨拶をする。


 「……今日は私の彼女役としていらしているのですよね。でしたら服装もそうですけど表情をどうにかして頂きたいですね」


 「ごめんなさいね。私、この笑顔しか作れないんですよね」


 眉間に思いっきりシワをよせ、歯を全力で食いしばる。まだほんの数十秒しかやってないけど、顔の筋肉が疲れた。昨日鏡の前で嫌がらせになる笑顔の練習をしていたけど、この顔は見た目も疲れ度合いもかなりキツい。それに下手したら顔に変なシワが残りそうで怖い。おんぶしてもらったら普通の顔に戻そう。


 「ところで他の2人は?」


 「先に行くって言ってました。サーラなら女性が現われそうな場所分かるかも知れないので」


 「そうですか。では私たちも行きましょう」

 

 そう言ってルクスは私に背中を向けてしゃがむ。後ろを向いている隙に逃げてやろうかと思ったけど、すぐに気付かれる。そう感じた。それにここで足掻いたとしても、いつかはやらないといけない。なら早く終わらせた方が賢いかも知れない。


 諦めた私は嫌々ルクスの背中に乗った。


 「よっと」


 おじさんみたいな声を出して立ち上がるルクス。私自身重いのは自覚している。でも立ち上がる時にかけ声を出されるとちょっと傷つく。


 「あの、流石に重すぎるので下りてもらっていいですか?」


 本当にこいつはデリカシーがない。いくら重かったとしても、重すぎるなんて言っちゃいけない。今私がこいつの首を絞められる場所にいること知ってるのかな? やろうと思えばその『重すぎる』体重を使って首を絞められるんだけどな。


 「どうかしましたか? 早く下りてください」


 「……はい」


 ギリギリ理性の方が勝つのを見届けてから私は何もすることなくルクスから降りた。

 その後ルクスは3つの魔方陣を同時に展開して自身の体に筋力強化、脚力強化、跳躍上昇の魔法を付与した。そして「これは倒したモンスターや大きな荷物に使う魔法なのですが」と言いながら軽量化魔法を私に付与した。


 まだ朝起きて支度して聖堂の前に来ただけだ。作戦は始まってもいない前段階の話だ。それなのに、私のイライラメーターは振り切れそうになっている。


 ルクスの言っている女性とやらが見つからなかったら、これが何日も続くのか。それだけは絶対に嫌だ。今日はどんなこと言われてもイライラしないように頑張るから、今日中、いや午前中に作戦を終えて欲しい。もっと言えば私たちが出発する前にメレアとサーラに見つけて欲しい。


 「あの、もう魔法かけ終わったので早く乗ってくれませんか? あなたと違って私たちの時間は有限なので」


 声が聞こえる方を向くと、足下で私に背を向けしゃがむルクスの姿があった。


 こいつ私たちに依頼してるんだよね。それなのに何? この態度。私の時間だって有限だ。ここ数日はダラダラ過ごしていたけど、私にだってやりたいことの1つや2つ探せばある。


 そう言い返してやりたかったけど、ギリギリでこらえた。


 ここで言い争っても意味はない。それより早く出発した方が賢い。大きく息を吐き、心を落ち着かせてからルクスの背中に乗った。


 屋根の上を走り、風を切るように移動していく。今までずっと過ごしてきた街なのに、いつもと違う景色に感動すら覚えてしまう。


 軽快に屋根の上を走る音。大きくジャンプした時に伝わる振動。私たちを見上げ手を振る街の人たち。どれもが新鮮だった。


 そっか。私は街を救った英雄だったんだ。今までダラダラ過ごしたい一心で部屋から出なかったけど、昔と違って今は私を認めてくれる人がいるんだ。こんなことだったら、もっと積極的に外に出れば良かった。


 「ルクスー!」


 「ルクスくーん!」


 「今日もかっこいいー!」


 「よっ! 我らが英雄ルクス!」


 ……気のせいかな。ルクスの名前しか呼んでいない気がする。あ、でも耳を澄ませば私を呼ぶ声だって聞こえるはず。頑張れ私。


 「ルクス君、結婚してー!」


 「愛してるー! ルクスくーん!」


 「うちの所の婿に来てくれー!」


 ……やっぱり気のせいじゃない。さっきからルクルの名前しか呼ばれていない。そう思ったらみんな私の事を見ていないような気がしてきた。あの女の人もあのおじさんもあの学生もみんなの瞳にはルクスしか映っていない。私、認識阻害魔法とか掛かってないよね? しっかり見えているよね? もしかして服装が駄目だった? きっとかわいい服を着てもバカにされると思ったから、かなり手を抜いたけど、それがダメだった? 私が救った街の人たちなのに忘れちゃったかな? こんなことになるなら、あの時魔王に全部破壊されてしまえば……


 「ひっ!」


 急に全身に嫌な寒気が走る。全身の細胞が動かなくなってしまいそうな悪寒と体を貫くような痛い視線。真っ暗な道を歩いている時のような恐怖心。

 殺気と言う言葉に収めきれないほどの負の感情。もはやこれはただの殺気と言うより魔法に近い感じがする。


 「どうかしましたか?」


 カタカタと小刻みに震える私に気づいたルクスが心配そうに声をかけた。


 「……います」


 「え?」


 「ルクスさんが言っていた女性か分かりませんが、ヤバいのがいます」


 「どこですか?」


 屋根の上で立ち止まって辺りを見渡すルクス。そんな彼の行動に私は顔を隠すように彼の背中に額を当てた。


 「逃げて下さい! 多分顔見られたら殺されます!」


 「分かりました」


 速度を上げ軽快に屋根を跳んでいくルクス。速度は速くなっているにも関わらず、殺気は全く消えない。

 私が怯えているだけか、それともルクスと同じ速さで追いかけてきているか。後者だったら今回の作戦はフォーチュンフィッシュより過酷な作戦になる。


 『はーい! こちらメレア!』


 脳内にやたら元気な親友の声がした。いつもならウザいと思うだけだけど、今の私にはその元気さがありがたかった。


 『急に速度上げたみたいだけど。どしたの?』


 『あのね。凄い殺気を感じて……それでスピード上げてもらった。あの……今回私たちの相手、本当にヤバいやつかもしれない』


 『見たの?』


 私の様子にテレパシー越しに気づいたのか、真面目な声に変わる。


 『ううん、見てない。でも殺気が……その……ごめん、うまく言えない』


 『いいよ。あたしたち進行方向にいるから。そのまま進んだら会えるから。本当にピンチだったら寝てもいいからね』


 『うん』


 そこで脳内の声は切れてしまった。

 寝たら私は最強になれる。たとえそうであってもこの恐怖の中で寝れるほど私の心は強くなかった。


 「今向かっているのは人が比較的少ない地区です。先ほどとは違い、怪しい人がいればすぐに分かると思います。ただ最悪の場合、即戦闘ということもありますので気を付けて下さい」


 「……はい」


 この殺気の主との戦い。作戦の段階でルクスに追いつける存在なんていないって思っていたから、戦闘については何も聞かされていない。そもそも戦闘について誰も話し合ってなかったと思う。

 こんなことになるんだったら、いろんな可能性について話し合っておくんだった。


 「うわっ!」


 急にルクスの足が止まり、体が前に放り出されそうになる。


 「何ですか! 止まるなら止まるって言って――」


 「あの人です」


 怒る私の言葉に被せるようにルクスは呟く。じっと前方を見つめる彼を不思議に思い、つられて前を見る。


 すると、そこには長い前髪で目を隠した黒髪の少女が空中に浮いていた。


 「お久しぶりですわルクス様。こうして顔を合わせるのは3度目ですわね」


 「残念ながら、私の知り合いには空中に漂う女性はいないと思いますが。あなたは誰ですか?」


 少し後退りをしながら話すルクスに少女は不思議そうな顔をする。そしてしばらくしてから右手を頬に当てて不気味に笑い始めた。


 「さすがルクス様。ユーモアもお持ちなのですわね」


 そう言って前髪を搔き上げる。するとそこには獣のような鋭い目があった。

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