第35話

 どうしよ、どうしよ、どうしよ


 ノブをもったまま私は慌てて周りに人がいないか確認する。幸い廊下には人はいない。ひとまず安心した私はノブを直そうと元の位置に差し込む。しかし、根元から折れているみたいで、差し込んだところで直るはずがなかった。


 「……私、そんなに力入れていないよね」


 ノブをまじまじと見つめながらつぶやく。


 うん。錆びた様子はない。多分本当に力だけで折れたんだと思う。


 その時だった。ガチャリと音が鳴り、扉がゆっくりと開かれた。1歩後ろに下がりながら、慌てて持っている物を後ろに隠す。


 「お、やっぱりネムだ!」


 「メ、メレア?」


 扉の隙間からひょっこり顔を見せたのは私の親友だった。さっきまで聖堂にいたはずなのに、何で私より早く部屋に戻っているんだろう? 


 「さあ、入って入って! 狭い所だけどゆっくりしていってね」


 そう言いながら私を部屋に招き入れる。

 いろいろ言いたいことはあったけど、あえて何も言わず手に持っている物をポケットに隠すことに専念した。鼻歌交じりのメレアの後を追い部屋に入る。こっちの様子は一切気にしていない。その隙に強引に後ろポケットに押し込んだ。


 よし、上手く隠せた! ちょっと膨らみが気になるけど、堂々としていれば大丈夫なはず。にしても、今日から私たちは特殊部隊に入らされるんだ。私が隊長でメレアが副隊長。何をする部隊か知らないけど、大変なのは間違いない。というか、メレア絶対私の言うこと聞かないよね。まずはそこを何とかしないと。


 いつも通り、ベッドに寝転がろうと部屋の奥へと進む。しかし、目の前の光景のせいでその足は動きを止めてしまった。


 「いやー、集会って長いねー。毎回あんなことやってるんだ。本当に時間の無駄だと思うよ。あたし暇すぎて途中で抜けてきたもん」


 「あ、あの……メレ」


 「あ、でも安心して。認識阻害の魔法使ったから。誰にも気付かれていないから大丈夫!」


 「そ、そうじゃなくて……」

 

 「ん? あー、これね。いろいろ手が滑って。用意した紅茶全部こぼれた。足下気を付けてね。ティーセットの破片とか散らばってるから」

 

 「こっち来て!」


 淡々と話すメレアの腕を強引に引っ張り、すぐに部屋の外に出る。


 「どうしたの? 今日は情熱的だね」


 廊下に出ても様子が変わらないメレアを連れて部屋から離れる。しばらく廊下を走り、角を曲がったところでメレアを壁の方に追いやる。そしてメレアの顔の横に勢いよく手をつく。


 「あ、あの、ネム……その、気持ちは嬉しいんだけど。私は……」


 「あの人誰なの?」


 恥ずかしそうな演技をするメレアに問い詰める。私の予想では気味の悪いイタズラを認め、謝ることなく別の話題を振って誤魔化す。そう思っていた。しかし私の期待とは裏腹に、メレアは不思議そうに首をかしげる。


 「あの人?」


 「そう! ずっといたじゃん! ベッドの近くに! 女の人が!」


 メレアの話を聞き流しながら部屋に入った私は何気なくベッドの方を見た。するとそこには、ツタのようにうねった緑色の髪をした女性が立っていた。いや、ただ立っていたと言うより、まるで何かを謝っているかのように体を直角に曲げていた。私が見たときからずっとそのままで、少したりとも動くことはなかった。

 服装は使用人さんたちが着ている服によく似ていた。でも、所々色やデザインに違いがあり全体的にちょっと古い印象があった。

 頭を下げているせいで顔は見えなかった。でも、身長はかなり大きいことは分かった。それに体型も女性にしてはしっかりしていた気がする。


 この女の人は私たちとは違う。そう思った時には、すでにメレアの腕を掴み逃げていた。けど、私の判断は間違ってはいなかった。メレアにはあの女の人が見えていない。あのまま何も知らず、あの女の人に近づいていたら……考えるだけで全身に鳥肌が立つ。


 「とにかく、あの部屋に行くのはやめよう。ね?」


 「どうして?」


 「それは、見えちゃ行けないモノがいるからだよ!」


 「本当?! あたしも見てみたい! ってか何でネムは見えるの?」


 「それは知らな――あ!」


 昨日の爆弾少年の一件で私はカルネドにある魔法をかけられた。正式な魔法名は聞いていないけど、本人は幽体離脱系の魔法だって言っていた。もしかして、あの魔法の副作用的な効果で見えるようになったとか? 可能性は低いかも知れないけど、他に心当たりはない。


 「どうしたの?」


 なかなか話し始めない私を不思議そうに見つめるメレア。


 「昨日カルネドに幽体離脱系の魔法の魔法かけられて……もしかしたらそれが原因かも」


 「へー。でも、そんな事ってあり得るの? そっち系専門の人に会ったことあるけど、そんな話は聞いたことないし」


 「で、でも」


 「とにかくもう一度部屋に戻ってみようよ! もし、まだいるなら倒せばいいじゃん!」


 「相手人間じゃないんだよ! そんな相手に攻撃が通じるわけないじゃん!」


 「大丈夫、大丈夫。ネムって『史上最強の眠り姫』でしょ? だったら寝たら勝てるって」


 そう言いながら、さりげなく私の後ろに回り込むメレア。そして嫌がる私の背中をグイグイ押す。角度的に見えないけど、今のメレアはきっととびきりの笑顔なんだろう。


 メレアに押され、ようやく部屋の前まで戻ってきた。

 一応私は持てる全てを使って必死に抵抗した。メレアに体重かけたり、嘘泣きしたり。挙げ句の果てには廊下に寝転がって小さい子みたいにジタバタした。それでも、メレアは諦めることなく、最終的には樽を転がす様に私を押して進んだ。


 「ほら、立って。勝負の時だよ」


 「メレアのバカ! バーカ、バーカ!」


 「はいはい、分かったから。とりあえず覗いてみたら? もう、いなくなってるかも知れないよ」


 メレアに宥めるように言われ、ゆっくり体を起こす。確かにああいうのは姿を見せたり消したりするはず。そう自分に言い聞かせ、半開きのままの扉の隙間から中を覗く。


 しかし私の淡い期待を裏切るように、女の人はまだ部屋の中にいた。しかも、さっきと同じ場所で同じ姿勢のままで。


 「ほら、見てよ! ベッドの近く! やっぱりいるじゃん!」


 女の人から目を背けメレアに助けを求める。しかし、メレアは全然部屋の中を見ようとしない。


 「うわぁー、完全にノブ取れたんだねー。壁に穴が空いたときにヒビが入ってましたって言えば、責任転換できるかな?」


 「そんなこと今はどうでもいいよ! それよりあっち! いるでしょ、女の人!」


 「んー。狭くて見づらい。もっと開けるよ」


 「ちょっ!」


 私の言うことを無視してメレアは扉を押した。すると少しだけだった隙間がどんどん広がっていき、ついには完全に開いてしまった。


 慌てて壁に隠れる私の隣を、メレアは何食わぬ顔で通り過ぎていく。そして女の人の真横まで進むとこっちを振り返った。


 「じゃあ両者そろったところで、まずは自己紹介かな?」


 そう言うと頭をずっと下げていた女の人はゆっくりと顔を上げた。

 クルクルの緑色の長髪にハの字になった太めの眉。目は大きく、さっきまで泣いていたのかほんのり赤い。やっぱり背は高く、ルクスと同じくらいだ。


 「初めまして。元使用人のサーラです。本日より特殊部隊に配属されることになりました」

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