第13話
ドサッ!
力尽きたように草原に倒れ込む。倒れ込んでしばらくしてから、ひんやりとした地面の感触が伝わってくる。草原を吹き抜ける風が汗だくになった私の体を冷ましていく。
こんなふうに全力で体を動かしたのはいつぶりだろう。明日は絶対筋肉痛だ。今日の運動で学生時代の体型に戻れるかな? いやいや、たった一日じゃ無理か。
「あの……まだ8球目ですよ」
「……」
「1000球のうちの8球が終わったところです。次は9球目です」
……どこからか鳥の鳴き声が聞こえる。鳥の言葉は分からないけど、きっと私を褒めてくれているんだろう。もしかしたら、もっと休んでいいよとでも言ってるのかもしれない。鳥たちは優しいな。私も鳥になれたらいいのに。
「あのー聞いてますかー? まだ始まったばかりですよー」
……駄目だ。いくら現実逃避しても、あいつの声で残酷な現実に戻される。
冷静に考えてあの球を1000個切るのは無理だ。スピードも速いし、飛んでくる場所もバラバラ。それを睡眠が大好きなぽっちゃり女子にやらせるのには無理がある。こうなったら交渉してせめて100個。いや50個くらいにしてもらおう。
「ふんっ!」
ヘトヘトの体に鞭を打ち上半身を起こす。前を見ると呆れた顔のルクスがいた。
こっちのことなんて考えもしないで……
思わず出てしまいそうになった文句を無理矢理飲み込み交渉を始めた。
「あのー、黒い球切るの1000回から50回に変更してくれませんか?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……ほら! 今日は初日ですし! それにこの服だってこれ以上汚したくないですし」
「そうですね。確かに服に関しては違和感を覚えていました」
「違和感?」
「はい。全ての動作において動きがぎこちないように感じました。おそらく服のサイズが合っていないからでしょう。どうしてそのような服で来られたのですか?」
「……」
私のなかで何かのスイッチが入った気がした。
手元にあった木の剣を遠くに放り投げる。そしてルクスに背を向け近くの木の根元に寝転がる。
「どうしました? 次は9球目ですよ。早く立ってください」
ルクスの言葉を無視するように目を瞑る。そして静かに右手を胸に当てる。
私はそこまで魔法が使えるわけじゃない。そもそも私は将来パン屋を継ぐことが決まっていた。どうせ使わないと思っていたから騎士団や冒険者を目指す人と違いそこまで真剣に魔法の授業を受けていなかった。だから卒業できる最低限のレベルの努力しかしてこなかった。この魔法を除いては。
「睡眠魔法」
そう小さくつぶやくと胸の上で魔方陣が展開される。徐々に全身の力が抜け、意識が遠くなる。
「ざまあみろ」
心の中でルクスの困る顔を思い浮かべながら私は夢の中へ沈んでいった。
意味がわからない。わざわざサイズの合っていない動きにくい服装で特訓に来て、ほんの少し動いただけですぐに倒れ込んでしまう。挙げ句の果てに用意した木の剣を放り出し、自分自身に睡眠魔法をかけて寝てしまった。
寝れば特訓から逃げられるとでも思っているのだろうか。もしそうなら、おめでたい奴だ。普通の聖騎士団の訓練にも耐久訓練があるし、睡眠魔法は状態異常魔法の一種だ。団員であるなら解除魔法を必ず覚えさせられる。たとえ何度自分自身に魔法をかけようが団員の前では意味が無い。それにあの種類の睡眠魔法なら解除しなくてもしばらくすれば勝手に起きる。
「にしても女性というものは理解できないな」
学生時代は剣術や勉学に励み、聖騎士団に入団してからは常に己を磨き上げてきた。たまに手紙をくれる女性はいたが、その全てを断っていた。それどころか友達という存在がルクスにはいなかった。他者とのなれ合い、そんなものは自分の目標の邪魔にしかならない。そうルクスは今でも考えている。
この娘といい、この間の魔王といい理解が出来ない。何で戦闘や特訓の際にわざわざサイズの小さい服を着たり、ヒラヒラした服を着たりするのだろう。それを着ることで強くなるならまだしも、特に何の効果も見られない。それどころか逆に弱くなっている気がする。今目の前で寝ているこの娘が正にそれだ。いや、もしかしたら自身に足かせを付けることで、さらなる強さを身につけるという考えか。なるほど、興味深い。
ゆっくり彼女のもとに歩み寄り腰を下ろす。試しに軽く肩を叩いてみるが、起きる気配はない。さすが街を守った英雄だ。動きはのろくても魔法は出来るようだ。
「にしても、この間抜けな顔をした奴が英雄か……」
正直、私ですら手も足も出なかった魔王を一瞬で吹き飛ばしたのは凄いと思う。初めてこの娘と出会ったときは信じられない気持ちはあった。しかし、魔力の性質が完全に一致していたので信じざるを得なかった。聖騎士団長はこの英雄をできるだけ早く前戦で戦えるようにと命令してきた。
私の予想ではすぐに前戦に出せると思い込んでいたが、どうやらその道のりは長いみたいだ。強力な魔法が使えても機動力が無ければ前戦では役に立たない。仮にこの娘が戦いに参加したところで何も出来ないままやられるのが目に見えている。
「……よし。そろそろ起こすか」
右手に魔力を集め解除魔法を展開させる。基本的に最前線で戦うルクスにとっては久しぶりに使う解除魔法だった。
少し緊張しながら右手を彼女の額へと伸ばす。その時だった。
突如、足下に大きな魔方陣が展開される。
「っ!」
すぐに辺りを見渡す。しかし人影は見当たらない。
「も、もしやこれは!」
周囲の警戒に気を取られたせいで気付くのが遅れた。これは魔王襲撃の時と同じ魔方陣。しかし何故だ? 発動の理由が分からない。とにかく、ここは一旦離れ――
次の瞬間凄まじい魔力の圧によってルクスの体がふわりと宙に浮く。
まずい。何か魔法をしなければ
しかし魔力を込めるも発動前にルクスの体は吹き飛ばされてしまう。そして為す術なく木の幹に体が衝突する。ミシッという嫌な音が内側から聞こえ、全身に凄まじい痛みが走る。
「誰か……」
指1本動かせない状態で自然と声が漏れた。だが、その声は誰にも届かず森の中に吸い込まれていくだけだった。
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