第30話 生贄

「どう、して……? っ、行かないで! うむに問題があるのなら直す! まりが楽しく暮らせるようにがんばるからっ、だから……っ!」

「アポロ」

 僕はアポロの頭を撫でる。悲しいと思うけど、堪えてほしい。

「先輩……」

「僕は止めないよ。僕を熱血主人公だと思わないでね」

 元々、人の主張には耳を傾ける方だし。

 その人が幸せなら、選択したことを責めたりはしない。ただ、聞くだけ。

「まりはこれで、いいの?」

「……うん」

 なら、いいよ。僕は止めない。まりを、見送るだけだ。

「先輩、ありがとう」

 僕も、ありがとう。

 言い合って、まりはもう、後ろを見なかった。

 過ごした時間で言えば、少年達との方が長かったのだろう。

 だから、そっちに流れるのはおかしくないと思っていた。

 アポロとはいつでも会える。

 でも、ここを逃せば、少年達とはもう会えないかもしれない。

 だから、身を削るように、選んだのだろう。

 一言もそうは言わず。だから全部、想像でしかないけど。

 きっとそうなんだと、僕は勝手に思った。


「残ったのは、十人にも満たないか……」

 先生が呟く。僕ら側に残ったディアモンはそれくらいの人数。

 僕は当然ながら残り、絵空も残っている。

 正直、僕はアポロと一緒にいて不満は感じていなかったし、楽しかった。

 だから、今の生活を壊したくなかったのだ。

 それに、アポロのことを、放ってはおけなかったし。

 僕は、少年達の考えを否定しない。逆に、手伝いたいと思う。

 人権があれば、どれだけ良いか。

 でも、アポロ達と敵対するのならば、嫌だと思った。

 だから、手伝いもしないし、もしも攻撃をしてくるのならば、迎え撃つ。

 それが僕の出した答えだった。

「先生、どーするの?」

 僕は聞く。逃がしてもいいんじゃないか? と思うのだけど。

「いや、逃がすな、と命令が出ている以上は、逃がせない」

 どうやら魔法を使った脳内伝達で、学園長からの指示が出ているらしい。

 できることならばしたいっつーの、と苛立ちを隠さない先生。

「この戦力差、勝てるわけがないだろうが……ッ」

 すると先生がはっとする。

 ええ、はい、と相槌。

 学園中にいる先生達が位置につき、あのディアモン達を包囲しているらしい。

 戦わずして勝つ方法が、学園長から指示された。

「え? 僕らの世界へ、強制送還させる?」

 できるのか、そんなこと?

「元々は契約解除の魔法なんだよ。一人に対してな。その範囲を強制的に増幅し、広げ、大勢のディアモンを巻き込む事で、大量の強制送還をさせる、実験的な方法だ」

 実験的って。失敗するかもしれないってことかよ。

「もしかしたら、の話だ。こんな方法、普通はしないし。数字を見れば成功率は七割を越える」

 なんだその微妙な感じ。すると、絵空が前に出る。

「先生。元の世界に戻すって話せば、あの連中も言う事を聞くんじゃないの?」

 確かに、ここでの立場に不満を持っているのならば、元の世界に戻ればいい。

 野良になってしまったから戻る術を持たないというのならば、提案してあげればいいのだ。

「そんなの必要ないぜ」

 少年は否定した。というか、会話が筒抜け?

 いや、どうやら絵空の主張だけが聞こえたらしい。

 僕らの強制送還の件には触れてこなかった。

「あの世界に戻ったら、それはそれで退屈でしんどい毎日だ。この世界で立場だけでもいい、改善すれば、それで幸せになれる。あっちじゃ、足掻きようがないからね。だからいらないよ。俺らはここに残ることで幸せになりたいんだ」

 僕は納得してしまった。

 これには同意する。あっちの世界よりも、こっちの世界の方が、面白い。

「ちっ、そう上手くはいかねえか」

 先生は舌打ちをし、僕らを眺める。

 そして、魔法を使い、全職員、全校生徒に伝える。

 少年達を強制送還させるには、一人のディアモンを基点としなくてはならない。

 つまり、一人を元の世界に放つ時に生じる魔法の範囲を、複数のマスターで強制的に広げ、連中にぶつけるということだ。

 マスター側からすれば、手離すディアモンを一人、決めなければいけない。

 この世界に残りたい。

 今のマスターの下で充分に幸せだ、と思ってくれた中から、一人。

 選ぶ必要がある。

 手を挙げるものは、一人もいなかった。

 やっぱり、ディアモンも人間なんだな、って思う。

 どうせ誰かがやってくれる。犠牲になるなんて嫌だ。

 そういう思考は当たり前だ。誰もが自分が一番、可愛い。

 僕だって、もちろんそう思った。

 だから手を挙げなかったんだし。

「先生。戦力では勝てない。だから強制送還、なんですよね?」

 ロコットが質問する。どうにか、強制送還じゃない方法を出そうと。

「だったら、今は逃がして、戦力を整えてからまたぶつかればいいんじゃあ……」

「その間に向こうの戦力が増強されたらどうしようもない。マスター、いや、魔法使いはディアモンには基本、勝てないんだ。だから手に負えなくなる前に、ここで飛ばしておくのが最善だ。そういう、学園長の指示になっている」

 先生の口調が素に戻っている。それだけ、気を遣っている余裕がない。

 どうしようもない状況。

 強制送還しか手がない。だが、誰もやりたがらない。

 沈黙が場を支配していた。

 その時、絵空が、ゆっくりと、手を挙げようとして。

「勇架!?」

 アポロが、僕の片方の袖を掴む。気づけば僕は、手を挙げていた。

「お、前……」

「僕がやります、先生。アポロも、いいよね?」

 アポロは僕の腹部を思いきり殴った。声も出ない、強烈な一撃。

「っ!」

「やだ、やだやだやだやだ! なんで勇架が! 勇架が、やる必要なんてないじゃんか!」

 子供っぽく、駄々をこねるアポロが、微笑ましかった。

 初めて会った時、感情をあまり表に出さない子だな、と思った。

 でも一緒に過ごしていると、そんなことはないって気づいた。

 たくさんの感情を持っている。

 表現がちょっと苦手というか、遠慮をしてしまうだけで。

 アポロがこうしてみっともなく感情を出してくれるようになったのが、嬉しかった。

「うん。僕がやらなくてもいいんだ。同じように、他の人がやらなくてもいいんだよ」

 アポロ、聞いて。

「だからこそ、僕がやる」

 なぜかって?

「だって、なんか格好良いじゃん!」

「そんな、ことで……ッ!」

「なんでよ、アポロなら賛成してくれると思ったのに。だって世界の危機だよ!? 絶体絶命の状況なんだよ!? どうしようもない場面で僕が犠牲になって世界を救ったら、格好良いどころか、英雄じゃん!」

 まあ、死ぬわけじゃないけど。

 元の世界に、帰るだけだ。

 これで英雄になれるかどうかも分からない。

 だって、去る世界のその後のことなんて、知りようもないし。

「……残された側が、どれだけ悲しいか、考えてないの……?」

「アポロ……」

 アポロは涙を流し、僕を睨み付ける。

 好戦的だ。見たことのない表情だった。

「ふざけんな、ふざけんな! 英雄!? 格好いい!? うむは、勇架にそんなの望んでない!」

 アポロは僕をぽこぽこと、叩きながら。

 いや、痛さで言えば、どごっ、て感じだったけど、僕は堪える。

「勇架は格好悪くて情けなくてバカでアホで!」

 おい。

 アポロは、でも、と続ける。

「面白くて、優しくて、うむのことを最優先に考えてくれる。みんなのために行動してくれて、やる時はやってくれる……」

 それが、アポロが望んでいる僕なのならば。

 尚更、じゃないか。

「アポロ、僕はね、格好良いとか英雄になりたいとか、それだけのために志願したわけじゃないんだよ」

 単純に。

「あの連中がもしも実力行使に出てきたら? アポロやみんなが傷ついてしまったら? それが嫌だから、僕はこうして犠牲になることを選んだんだよ」

 みんなのために。いや、もっと絞ろうか。

 僕は屈んで、アポロと目線を合わせる。

「アポロが、大切だから」

「……それは、どういう意味で?」

 アポロが、期待を込めた瞳で見つめてくる。

 えと、どういう意味で、って? なんて答えればいいんだろう……。

 悩んでいると、アポロの顔が、僕の目の前にあった。

 ちゅっ、と可愛らしい音がした。

 なにが起きたのか、分からなかったけど。

 少しずつ、少しずつ、はっきりしてくる。

 唇じゃないから、分かりづらかったけど、僕、キスされた?

 ほっぺたに、ちゅー、された!?

「勇架、大好き。将来は、勇架との子供を産みたい」

 そんな子供らしいプロポーズに、僕は顔を真っ赤にしてしまう。

 子供だし、どうせ数年も経てば変わっているだろう、なんて。

 そんな考え方はできなかった。

 こういう好意は初めてだから、もあるけど。

 僕の中にもアポロを想う気持ちがあるから。

 だからふざけて茶化す事も、冗談で払う事もできなかった。

 真剣に、僕は言葉を返す。


「嬉しいよ、アポロ。僕も、アポロのこと、好きだよ。でも、それは妹とか、後輩とか、そういう気持ちで。付き合って、結婚してとは、考えられない。もしも同じ年齢だったら、考えていたかもしれないけどね――」

 いや、考えていないな。

 反射的に好きになっていたはず。

「だから、ごめんね」

 その言葉にアポロは、なにも言わず。

 ふんっ、と視線を逸らした。

「……勇架がやりたいなら、やればいい」

 プロポーズのことは触れずに、話題を戻した。

 僕が犠牲になるかどうか、その本題に。

「もう、うむは止めない。勇架がふざけず、真面目にみんなを救いたいって。う、うむを、た、大切に想って、救いたいって」

 動揺しないで。

 僕も思い出して顔が赤くなっちゃうから!

「そう思って犠牲になることを選んだのなら。うむは止めない。止められない。そう思ってくれるディアモンを持てたことを、誇りに思う」

 涙を拭った顔で、アポロは笑った。

 やっぱり、納得はしていないのだろう。

 それでも、僕の意見を尊重してくれている。

 そんな理解あるマスターを、僕は誇る。

「じゃあね、アポロ。行ってくる。今まで、楽しかった」

「うむも、楽しかった」

 最後まで、アポロは二回目は、絶対に泣かなかった。

 強い子だな、と思った。僕の方が泣きそうになってしまった。

 でも、それは格好悪いから、意地でも泣かなかった。

 小さく手を振り、アポロは、小さく呟く。



「待っててね」



 その言葉を聞く頃にはもう、僕は先生の指示で、戦場に送り出されていた。

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