第29話 黒い翼

 肩甲骨が、内側から押されるような感覚。

 痛みはない。妙な解放感しかなかった。

 背面から溢れ出てくる、黒いもの……、繋がったそれは、ふと、羽のようにも見えるが、形がそう見えるだけで、本当は違うのだろう。だって、未だにまったく飛べないのだから。

 勝手に動く黒いものが、さらに伸び、そして叩きつけるように、泥のディアモンを、頭頂部から襲う。


 ぺちゃん、と音がしたような気がした。

 泥のディアモンが押し潰され、泥が八方に散っていった。

 ……え、え、あれ!? 

 人型のディアモンの形が、まったくなくなったけど!?

「勇架、さすがにあれは、ちょっと……」

「顔を青くしないで! しでかしたことのヤバさが際立つ!」

 徐々に引いていくアポロに手を伸ばす。ここで僕を見捨てないで!

 冗談抜きで、僕は相手のディアモンを殺してしまったのかもしれない。

 だって、きちんと体があったのに、それを押し潰してしまうなんて――。

 僕の能力は、いつの間にか効果が消えていた。

 肩甲骨から溢れていた黒いものは、もうない。

 あいつめ、全部を僕に押し付ける気か!?

「焦らなくても大丈夫よ、アポロ」

 と、僕らの戦いに口を挟んだのは、ロコットだった。

 あれ? 卒業試験は……? という質問は、アポロがもう既にしていた。

 開始から数分もしない間に、もう終わったらしい。

 アポロを探していたらこの場に辿り着き、現状を知った。

 そしてロコットなりの考えが、確信を得たらしい。

「アジュナ・ソー・トーラス。らしいわね」

「うん。そうだよ」

「確かに、アジュナは病気を抱えていたし、学校に中々これないのも本当よ」

 ロコットはアポロを越えて、試合会場の中へ。アジュナへ近づく。

「実はね、アタシとアジュナの家はちょっとした知り合いなのよ。同業者、とでも言うのかしら。お金持ち同士、仲は良くないけど、交流があった」

 アジュナの表情がさっきよりも動かなくなる。じっと、ロコットを見つめていた。

「別に、アジュナと仲が良いわけでもないし、噂を聞いても、ふーん、と流す程度のものでしかないんだけど。そもそも、アジュナとアタシが会うことはまずないから。会う気がないし。だからアタシにとっては、どうでもいい情報だった」

 でも、タイミングが悪かったわね。ニヤリとロコットは口を歪める。

「今日の朝。家政婦達の噂をたまたま聞いてしまった。アジュナ・ソー・トーラスの病気は悪化し、今もまだベッドに寝たきり、だって」


 ――さて、あなたは一体、誰なのかしら?


 ロコットの指摘に、アジュナは微笑むだけだった。


「本当に、タイミングの悪いことだね」

 どろどろ、と。アジュナの顔の皮膚が溶けていく。

「潜入、接触までは完璧だったのに。なんでこんなところでばれるかね……」

 肩をすくめる。

「お前は、誰だ?」

 ロコットの視線が鋭く。

「誰だっていいだろうが。くそっ、お前らのせいで、こっちにきてから良いことなんてなに一つ起こりやしねえ!」

 アジュナとしての仮面が全て剥がれた。

 どろどろと泥が全て落ち、現れた顔は、少年のものだった。

 身長は小さい。年齢は、見た目で言えば僕よりも、まりよりも若い。

 小学生……いや、中学生。アポロ達よりも一つ上くらいに見える。

 彼は、男の子にしては長い髪を、後ろで束ねていた。

 美少年、と呼ぶに相応しい顔立ちだった。

 藍色の髪。

 袖と裾の長い、中国拳法の、継承者のような服装。

 彼の表情は怒り一色だった。

「……リーダー?」

 すると、カードから出ていたまりが、アポロの横で呟く。

 アポロが出したわけではない。まりが無理やりに、自分の意思で出てきた。

 それほど、この少年の正体が、まりにとっては見過ごせないものだったのだろう。

「お、いたいた、まり。助けに来たよ。早くこっちにおいでよ」

 少年が手を伸ばす。まりは、伸ばしかけて、アポロを見る。

 ぶんぶん、と首を左右に振り、手を引っ込めた。

「どうしたの、まり。もしかして、そこのマスターに酷い事でもされたの?」

 それは許せないね。どうにかしなくちゃ。

 少年の目が冷たくなる。

「そうだ、うん。どうせ早いか遅いかの違いだし。うん。殺そう」

「待ってリーダー! アポロは違う! リーダーが言う、ディアモンを苦しめるだけ苦しめて利用し、使い捨てるマスターなんかじゃない!」

「おいおい、どうしちゃったんだよ、まり」

 少年は片手を額に置く。

「そこまで、洗脳済みなのか?」

「ちがっ」

「なんて酷い奴らなんだ。まったく。ディアモンは都合の良い道具かなにかだとでも思ってるのかね。俺達は百円ショップで売っているすぐに調達できる便利グッズじゃないんだよ」

 俺達だって人間だ。お前らと同じ、人間だ。

 ただ生まれた世界が違うだけで、なんでこんな扱いを受けなくちゃならないっ!?

 その叫びは、学園にいるディアモンの心を動かした。

 そしてそれを感じたのは、少年もだった。

「お前ら、出て来い。そろそろ、演説をするには充分のタイミングだ」

「ッ」

 僕らの息が詰まる。地面から勢い良く飛び出してきたディアモンの数は、一クラスを越える数だった。まりが小さく呟く。

「みんな……?」

 まりの知り合い? あ、そうか。

 ここにいるのは、悪の組織に捕まった後、姿を消していたまりの仲間だったのか。

 まりを探していたのだろう。できることならば、正体を見せず、静かにまりを奪おうとしていたのかもしれない。じゃないと、アジュナに化けるなんてことはしないし。

 ロコットにばれた今、静かに奪うのは無理だと判断し、こうして全力の実力行使に出た。

 けど、それだけとは思えない。まりを助けるために、これだけのことをするのか?

「みんな、どうしてここに!? というか、どうやってあの組織から逃げ……」

 そこで、まりは気づいた。

 あの組織の基地の惨状を、思い出したのだろう。

「もしかして、やっぱり……」

「ん? あいつらの基地を、あの後に見たのか? ああ、入れ違いになっちゃったのかな、ごめんごめん。あの組織は俺達が潰したよ?」

 無邪気な笑顔で少年が言った。

 組織の混乱を招いたのは、逃げるためじゃなく?

「女子供を逃がすのが先だったからね。それができないと分かった時、手ぶらの時点で能力を使って組織を壊滅させておいた。基地が崩壊しちゃって危なかったから、まりを探すのは後回しにしてたんだよ」

 ほんとごめんね、と舌を出して謝る少年。

 まりは心ここにあらず、という感じで、いいよ、と言うけど。

 ディアモンの恐ろしさを、同じ立場だけど、僕は実感した。

 そうだ。マスターがいるからこそ、僕らは人間としての枠の中にいる。

 でも、マスターがいなければ? 

 この少年みたいに、組織を一つ壊滅させることも、簡単にできてしまう。

 ごめんね、と舌を出して謝るような軽さで。罪悪感も、ほぼ抱く事なく。

「これで全員か?」

 近くにいる、筋肉質のがたいの良い二十代の男性に、少年は聞いた。

 ぞろぞろと、少年に近づいてくる大人達。

 中には、子供も女性もいる。聞かれた男性は頷いていた。

 横に並んだ姿は圧巻だった。

 庭の端から端まで。それでも足りないくらいの人数が、僕らの目の前にいる。

 そして僕ら側も。

 険悪な雰囲気に気づいたのか、クラスメイト達が僕らの近くに集まってくる。

 同じように並んだわけではないけど、一つの塊になって向かい合う。

 筆頭は少年であり。僕らの方は、アポロとロコットだ。

 二人よりも前に、先生が前に出る。


「なにが目的なんでしょう? ディアモンの皆さん?」

「はっ、年増が出てきたよ。なにが目的だって? ディアモンが掲げる目的は、一つだろうが」

 年増に反応し、殺意を出す先生だった。ちょっと、落ち着いてくれ。

 殺意は抑え、相手の話に耳を傾ける。

 ディアモンが、掲げる目的……。

「――人権を得るための主張だよ」

 少年は言う。

「俺達も、お前らマスター側と同じ立場が欲しい」

 そんなのっ、と先生は言いかける。

「別に今の時点で、できなくとも構わないさ。期待はしていないし。だからこそ、有志を集め、俺達は自分達の力で掴み取るのさ」

 拳を握り、前に突き出した。

「おい、聞こえるかディアモン諸君。そちら側についていて、満足か? マスターの下でずっと働き、危険と隣り合わせで生活し、マスターが満足したら捨てられる。俺達のことなんか道具としか思っちゃいない。俺達は消耗品じゃねえんだぞ? ダメなら次のもの、なんて。替えが利くような存在じゃねえ!」

 ぴくりと、僕ら側のディアモンが反応した。

 まずいな……。やはり、そう思っている人はたくさんいる。

 口には出さずとも、心の奥底で感じている不満だ。

 上手いこと、揺さぶってくるな、あの少年。

 言葉に力がある。だからこそ、あの年齢でリーダーなのだろう。

「この世界で、自分の立場を上げて、幸せに暮らしたいとは思わないのか? 今のままじゃ、お前らはずっと下っ端のままだぜ?」

 誘惑の言葉が侵食してくる。

 きっかけが、みんなの中に生まれてくる。

「俺達は幸せのために、どうにかしようと頑張っている。見ろ、この数を、お前らの仲間を! ……もう一度だけ聞くぜ、お前らはそっち側にいて、満足なのか?」

 それが最後だった。

 きっかけが人々を動かした。

 僕ら側にいたディアモン達が次々と、少年側へ流れていく。

 引き止めるマスターはいた。

 行かないでと懇願する者も。でも、ディアモンは止まらない。

 そして、


「まり……?」

「ごめんね、マスターちゃん」

 まりも、歩みを進めていた。

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