第25話 三人の生活

「あ、また図書室にいた。ここ数日、ずっと放課後は図書室いるけど、なにか面白い小説でもあったの?」

「小説じゃないよ。同じようなのばっかりでもう飽きた」

「ジャンルを変えなさいよ……」

「今は人とディアモンについてを調べてる」

「ふーん。歴史のこと?」

「ううん」

「じゃあなにを調べ――って、それ、ディアモンと人が、子を産む意味で交わるための結構なクセのある解説本じゃないのッ!」

「そーだよ。というかロコット。図書室で騒がない」

「あ、ごめん。っていやいや! アポロがそんなものを見るのはまだ早過ぎます!」

「でも、クラスの男の子は肌色が多い女の人の本を教室で見てたよ?」

「ぶっ殺ー。決定、男子ども、ぶっ殺ー」

「なんか語感が可愛いくて好き。ぶっ殺ー。ぶっ殺ー」

「ごめんアポロ。物騒な事をノリノリで歌にしないで」

「?」

「男子が見てるのも、本当は見ちゃだめなものなの。ああいうのは、18禁って言って、18歳以上じゃないと見ちゃいけないのよ」

「あ、じゃあ隠れて勇架が見てたのもダメなんだね」

「あいつはぶっ殺す」

「こわいよぉ」

「大丈夫よアポロ。骨も残さないから」

「うむのディアモンなんだけど……」

「まあ、そんな冗談はさておき。どうしてそんなものを?」

「調べたかったから」

「そうなんだろうけどさ。そうじゃなくて。どうして調べたいと思ったの?」

「先生の言葉は信用できないから、こうして自分で調べて、納得したかった。本だとね、ディアモンと人は結婚してもいいんだって。そう書いてある」

「先生達はなんて言ってたの? まあ予想はつくけど」

「人間としてやっちゃいけないことだって。思考が破綻してるとか、なんとか」

「全否定ね。当たり前だけど。それって結局、馬や犬と結婚するんだーって言ってるのと同じことだし」

「でもさ、勇架はディアモンだけど、別の世界の人間なんでしょ?」

「……ねえ、アポロ。もしかしてだけど」

「勇架だってうむ達と同じなんだから、馬と同じ扱いはおかしいと思う」

「アポロ」

「勇架達だって、マスターの許可なんていらない自由だってあっても」

「アポロはあいつのことが好きだって、自覚したの?」

「……え? あ!」



「うむは、勇架のことが好きだったり、するの……?」



 ―― ――


 一か月と少しが経った。

 カレンダーはめくられ、二月になる。

 二月は大きなイベントがあった。そう、アポロの卒業試験だ。

 とは言っても、小学部卒業はもう確定している。

 中学部へ進んだ後のクラス分けを、卒業試験というていでやろうというわけだ。

 アポロは卒業条件を満たしているので問題はないだろうけど、なにか、致命的な欠陥でも発見されれば、卒業も危なくなるかもしれない。

 そうさせないために、僕とまりでアポロをサポートするのだ。


「せーんぱーい」

 足をぶらぶらさせ、

 テーブルを挟んだ向こう側にいる、僕の弁慶の泣き所を的確に突いてくるまり。

 見た目以上に喰らうと分かる、強烈なトーキック。

「なんだね後輩。僕は今、お前のせいで書かされる羽目になっている反省文に悩んでいる最中なんだけど」

「先輩が構ってくれないから死にそーに暇ー」

「じゃあ書けばいいじゃない! 僕に泣きついてくるから仕方なく代わりに書いてあげているのに暇と言うか!」

「先輩って甘々だよね。あんな嘘泣きで手伝うどころか全部を代わってくれるなんて。マスターちゃんのこれから先が心配。なんでもかんでも手伝っちゃって、成長しにくいかもね」

「そういうのは厳しくするよ。ロコットに厳しく言われているから」

「もうダメ出し済みなんだ……」

 呆れ顔のまりは、やれやれ、と肩をすくめた。

 一か月と少し、共に過ごしている内に最初の頃のような余所余所しさは取れた。

 遠慮がなくなった。遠慮というか、敬意とかも一緒になくなっていったけど。

「今日も特訓?」

「うん。マスターちゃんがいま図書室にいるから、もう少しかな。なんか、調べものがあるって意気込んでた。マスターちゃんが来たら、特訓開始」

 先輩は? と聞かれたので答える。

「僕は……そうだな、特に予定はないかも」

「じゃあ特訓を手伝ってよ! 先輩がいたらマスターちゃんも喜ぶし!」

「まりはアポロが本当に好きなんだなあ」

 ぬいぐるみと同じように、毎日、アポロとべたべたしている。

 初めて会った時に、一方的に波長が合ったのか、まりのアポロ好きはロコットに張り合うほどだった。好きのアピールの仕方が陰と陽くらいの対照的なものだったけど。

「うん。大好きだよっ、先輩っ」

 にぱぁ、と満面の笑みだった。

 なんだかその言葉だけを聞くと、

 僕に言っているようにも聞こえるから、少しドキッとしてしまう。

 でも僕ではなくアポロに言っている言葉だから、と冷静さを手に掴んだ。

 危ない危ない。勘違いは恥ずかしい。

 は? なに言ってんの先輩、みたいな、

 見下されながら言われる言葉は、心の臓にグサリと突き刺さるくらいに痛い。

 なにも反応しなくて良かったぁ、僕。

 すると、そのタイミングでアポロが駆け寄ってきた。

 廊下に設置されている長方形のテーブルに、三人が揃う。

「ちょっと遅くなっちゃった。ごめんなさい」

「全然良いって。今日は先輩も一緒なんだよ!」

「先生が今日は特訓は休みって言ってたんだ。あと絵空も買い物があるって言ってたし。暇だから付き合うよ」

「付き合う……」

 アポロがそこに反応を示した。

 うん? なにか引っかかった?

「ううん。なんでもないよ。じゃあ勇架も一緒に特訓……しよ?」

 妙なところを溜めて言うから、想像力が豊かな僕の思考は飛躍した。

 罪悪感が生まれるので無理やりに振り解く。

「なーにしてんのー? せーんぱーい?」

 結構な距離を先に歩いていたまりから声がかかる。

 アポロも既にそこにいた。僕は早歩きで、二人の背中を追った。


 ―― ――


 夜。風呂に入った後、ベッドに寝転んだ。

 明日、アポロの卒業試験だ。

 そんなに気負う必要もないのだけど、やっぱり緊張してしまう。

 枕をぎゅっと抱き、はぁああああああああああああ、と息を吐く。

「悩む女の子みたいだね、先輩」

「おうわぁッ!?」

 僕は枕を思い切り真上に投げていた。

 天井から折り返し、ぽとっ、と落ちてくる枕が僕の頭頂部に乗っかる。

 もー、なにしてんの先輩ー、と僕の枕を頭から取って胸に抱き、ベッドに座るまり。

 え、なにしに来たのってか、どうしてここに!?

「先輩。そろそろ慣れよう。もう一か月近くも同じ反応してるよ?」

 それは毎回、狙ったようにタイミングが悪いから! 

 まあ、変なことをしている時に入ってこられたわけじゃないんだけど。

 男子として、女々しいところばかり見られている気がする。まりには。

「またアポロがカードをくっつけたのか……。男と女だって分かってるのかな、アポロは」

「なーにー? 先輩、あたしに変なことでもする気ー?」

 風呂上がりなのだろうか。毛先が濡れ、全体的にほかほかしている。

 シャンプーの良い匂いもするし……、またここで一夜を共にする気なのか?

 さすがにそれはいつまで経っても慣れないよ。

 慣れたら、なんだかダメな気がするよ。

「あたしはベッドっー。先輩は床ね」

「またかよ。いいけどさー」

 まりは女の子って言うよりは、妹みたいだ。まりが長女で、アポロが次女みたいな。

 姉妹の中にいる男子って、こんな感じなんだなあ、と、僕はここで体験して分かった。

「電気、消すよ」

 うん、と声。部屋が真っ暗になり、僕は床に寝転ぶ。

 掛け布団は二人で分け合う。一枚が大きくて助かった。

「……先輩は、ずっとここにいたいと思ってる?」

 まりが真剣なトーンで。僕は答える。

「うん。元の世界は楽しいけど、面白くはないから」

 いや、元の世界を否定しているわけじゃないよ? 

 そっちよりも、ここが魅力的なだけなんだよ。

「でも、この世界じゃっ、あたし達に人権はないんだよ? 差別されて、動物としてしか扱われていなくて。そんなのを、受け入れることができるの?」

 あんまり僕は気にしたことがなかった。

 アポロやロコットや先生。

 この学園のみんなや町の人達は、良い人過ぎる。

 僕ら、ディアモンの理解もしてくれていた。

 僕らの苦悩を、軽減させてくれた。

 だからこそ、僕は大丈夫だと思うのだけど。

 でも、まりは違う。

 僕とは真逆の扱いを受けてきたまりは、まだこの異世界を好きにはなれていない。

 一か月と少しを共に過ごし、印象は変わっているかもしれないけど、根本的なところで、この異世界は自分には合っていないと考えてしまっているのかもしれない。

 そう思って、帰りたいと願うのは自由だ。

 具体的な帰る方法があって、すぐにでも実行したいのならば、僕は止めない。

 強制という押し付けが、良い結果を招くとは思えないからだ。

 でも、まりはそうしなかった。

 具体的な方法が思いつかなかった、わけではない。

 帰る方法はある。アポロに、元の世界へ手離してほしいと頼めば、それで帰れる。

 先生から聞いたので、らしい、としか言えないけど。

 まりはアポロに頼んでいない。

 それって、帰る踏ん切りがつかないってことだと思う。

 この異世界に、未練があるってことだと思う。

 これ以上、ここにいたくない、と言うほどに、帰りたいわけじゃないんだろうな。

 そんな中途半端な気持ちなら、僕は止める。

 帰って後悔するなら、ここで全部を出し切ってから、帰った方が良いと思うから。

「大丈夫だよ。誰もがディアモンを動物扱いしているわけじゃない」

 僕は優しく、言い聞かせるように。

「たとえ一パーセントでも味方がいてくれるだけで、楽しくなるから」

 だから。もうちょっとこの世界を見ててほしい。

 まりには、帰ってほしくなかったから。

「さっ、明日はマスターの晴れ舞台だ。僕らでサポートしようよ!」

 すー、すー、と寝息が聞こえた。

 寝てる!? 僕の格好良いセリフ、全スルー!?

 はあ。僕も寝よう。目を瞑り、眠気が意識を飲み込む寸前。

 僕の指に絡む指。

 女の子の細い指。自分の半身が、がっしりと掴まれた感覚。

「先輩。あたし、頑張るからっ」

 これが現実なのか夢なのか、朝起きた時の僕には、判断がつかなかった。

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