下巻 ≪野良≫の少女

第19話 三人旅 その1

「迷った」

「やっぱり迷ったか」

 唐突で申し訳ないけど、僕らは今、森の中にいる。

 手には地図。地図なんているのかよ、と思うほど、出発地点と目的地は真っ直ぐな一本道で繋がっているんだけど、あれやこれやで、こうして迷ってしまっている。

 一本道なのに、ふざけて横に逸れたりするから……。

 先生……、もっと地図の重要性を伝えてほしかった。

 舗装された道以外は行くな、と命令してほしかったなあ。

 なんてわがままだ、とセルフツッコミをしてしまう。

「さっきの分かれ道まで戻る?」

「いいけど、そこまで戻れるの?」

「たぶん」

「じゃあやめとこうか!」

 たぶんは危険だ。戻ったらさらに迷って、また戻ろう、の繰り返しになる。

 そんな大きな森ではないはずなんだけど……。

 なんで隣町に行くだけでこんなに迷うんだー!?

「勇架。喉が乾いたよ」

「ああ、うん。良かったよ、一応、弁当とか持ってきておいてさ」

 ちなみに。

 僕とアポロの手にあるのは地図のみであり、荷物は持っていない。

 弁当も水筒も、でも、リュックの中にしまってある。

 つまり、僕ら以外に同行者がいるのだ。

「……大丈夫? 絵空?」

「全然、全然大丈夫よ! ほら、これくらいはしなくちゃね!」

 汗だくで、足、がくがくしてるんだけど。

 服が汗で湿って、ちょっと、その、体の輪郭が出ちゃってるって言うかさ。

 透けていると言うか。

「勇架?」

「うわっ!? アポロ、ぬっと出て来ないでよ、びっくりしたじゃん!」

「視線が怪しいよ」

「そんなことよりも、喉、乾いたんじゃないの?」

「ん」

 これ以上の追及はなく、アポロは絵空の元へ。

 背負っているリュックのチャックを開け、水筒を取り出す。

 ごくりと飲み、またしまった。

 とてとて、と戻ってくる。

 そして僕の袖を掴んで、くいっくいっ、と引っ張った。

「勇架。絵空が可哀想」

「うん。僕もそう思ってるよ」

 絵空は自分を含め、三人分のリュックを背負っている。

 中には隣町の商人に届ける荷物が入っており、正直、男の僕でも重いと感じるものだ。

 本当は三人で手分けして持っていくつもりだったんだけど、絵空が全部を引き受けた。

 僕らが頼んだんじゃなく、絵空が望んで。


『お願いします、手伝わせてください』

 現実世界でも見たことがなかった絵空の土下座。

 僕はそれを二回目、今日の朝に見てしまった。

『ちょ、ええっ!? なんでまた土下座してるの、絵空!?』

 付け加えると、朝の学園前で、これだ。

 生徒達からの冷たい視線が、全て僕に注がれている。

 場所を選ぼうか! つーか土下座すんな! 

 誠意が込められているようで、受け取り側が困る礼儀なんだよそれ!

 絵空の土下座の一回目は、僕の能力を暴走させてしまった時だ。

 暴走が悪化せず、一件落着したところで絵空はすぐに謝った。

 まあ、人死にが出てもおかしくはなかったから、罪悪感は持っておくべきなんだけど。

 謝るのも、よし。でも土下座はちょっと重い。

 ただ、ごめんで僕は良かったんだけど。真面目だなあ、絵空は。

 真面目過ぎて、空回りしている。

『もう、あれをするしか、許してはくれないよね……?』

『絵空? 自分の体を抱いて、どうしたの? 寒いの? 確かに人の通行が多いこの場所で、ミニコントみたいな事をしている僕らの状態は、確かにかなり寒いけど』

『ゆ、勇架!』

『へ? は、はい!』

『……しばらくの間、私を、あんたの、その、奴隷にして、いいわ……よ?』


 はい? と僕はその時、声が出なかった。

 顔をみるみる赤くする絵空は。

『じゃ、じゃあそういうことだからああああああああああああああっっ!』

『ええ!? それを言い残して僕を一人にするかあ普通!?』

 手を伸ばすが、絵空はどんどん遠近法で小さくなる。

 近くを通る教師陣が引いていた。

 僕が良く知る先生だけは、遠巻きに、にやにやと笑っていたけど。

 僕の評価を下げるという意味での行動なら、満点だよ。

 でも、絵空は当然、そうじゃない。

 心の底から考え、僕のために提案してくれただけなのだ。……正気を疑う。

 でも、絵空があんな風なのも、まあ僕のせいではあるので。

 奴隷、奴隷、ね。

 ワード的に強い印象を与える言葉だけど、

 ようはなんでも手伝うよ? ハートマーク、的な意味合いにも取れる。

 絵空はきっとそういう意味で使ったの違いにない。そうだそうだ。

 絵空が独自に興味を持って色々と調べていなければ、僕が与えた知識では変なことにはならないはず。

 その日から絵空は、暇さえあれば僕のところに顔を出し、なんでも手伝ってくれた。

 僕の手が余るくらい。

 恥ずかしい事もされた。

 恥ずかしいところも見られた。

 その日からアポロも少しづつ、不機嫌になってくる。

 なんだろう、僕への罪滅ぼしなのに、僕はデメリットばかりを受け取っている気がする。

 うーん……、でも『やめて』、とも言えないし。絵空の気持ちを無下にしたくもない。

 というわけで、うんときついことを一度だけでも体験してもらい、これで終わりにしよう。

 そんなわけで、絵空の奴隷生活、三日目。

 この隣町へのおつかいをしているわけだった。

「絵空、ちょっと休もうよ」

「大丈夫だって、大丈夫。私にとっては良い運動だから」

 目が恐いよ。試合前の格闘家みたいな集中力を発揮してる。

 僕らの後ろをずっとこんな感じで進んでいたのか? だとしたら、尚更、休憩は必要だ。

 こんなんじゃあ、いつ集中力が切れて、ばたりと倒れてもおかしくはない。

「いいから、休もう。ほら」

 僕は絵空の肩をとん、と押す。

 それだけで、がくがくと震えていた絵空の膝は、簡単に折り畳まれ、しりもちをついた。

 リュックが音を立てて、地面と接触。

 やっべ、中身がなんだか知らないけど、先生のものだから気を付けないと。

「ご、ごめん。でもちょっとつついただけだよ?」

「勇架の言う通り、ちょっと疲れてたみたい……」

 はぁ、はぁ、と呼吸を荒くする絵空。

 アポロがリュックから絵空の分の水筒を出し、差し出す。

 ありがとう、と受け取った絵空が、豪快に水を飲んだ。

 スポーツ用品の、ボトルを押して勢い良く水が出てくるあれだ。

 唇から溢れる水が顎を伝い、鎖骨を流れ、胸の中に沈み込む。

 うわ、うわうわうわ。なんだかすげえ、エロい。

「勇架」

「ん、アポおぶはあッ!?」

 僕の分の水筒の中身を、勢い良く僕の顔へ。

 鼻に入った! むせちゃったじゃないか!

「な、なにするんですか……」

「絵空の胸に聞いてみれば?」

 ア、アポロが怒ってらっしゃる……。滅多に見せない、見下した瞳だった。

 冷たい印象を与えてくる。がつんと殴られたみたいな衝撃だ。

 あの目で見られたら、本当に僕自身がちっぽけなクズに見えてしまう。

 というか、僕のじゃなくて、絵空の胸に聞いてみろって……。

 なんだか混ざってるな。

 僕が絵空の胸を見てたこと、ばれてるじゃんか。

 自分の胸に聞いてみろ、と怒っている理由が混ざってる。

「アポロも嫉妬とかするんだなー」

 何気なく呟いた一言に、アポロが反応した。ぴくり、横目で僕を見る。

「勇架。おやつあげない」

「ちょ、うそうそっ! この世界での食事はアポロ頼みなんだから、それだけは生きるために絶対にください!」

「いーや」

「アポロぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!」

「ねえ、それちゃんと休めてるの?」

 絵空の冷静なツッコミに、僕らはアクションをやめた。

 休んでいるはずなのに、動いている時よりも疲れた。

 結局、アポロの機嫌は休憩中に元に戻ることはなかった。

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