第15話 助ける? 見捨てる?

「あれ? そういえば最近、ロコット見ないよね?」

 放課後、僕はアポロの掃除を手伝いながらそう聞いた。

 暇さえあればアポロに世話を焼いていたり、ちょっかいを出していたりしていたロコットが見当たらなかったのだ。

 ロコットにも個人的な用もあるんだし。しかも、ロコットはいじめられているらしいし。それで忙しいのかな、と思っていた。

 しかし、アポロの口から出たのは予想外の言葉だった。

「ロコットはもう一週間くらい、学校に来てないよ」

「え?」

 僕はちりとりを落としてしまう。乗っていたゴミが散ってしまい、アポロに、もー、という顔をされた。落ちたゴミを拾い直すアポロ。いやいや、そんなことをしてる場合じゃないでしょ。

「病気とかじゃなくて?」

「不登校、だと思う」

 ちりとりに乗せ直したゴミをゴミ箱に捨てながら。

「不登校って……理由は、知ってるの?」

「……うん」

 アポロは考えてから、頷いた。

 言ってもいいものか、悩んだのかもしれない。

 ロコットの事を考えて。あの子のプライドを考えて。

「もしかして、いじめられている、から?」

「知ってたの?」

「うん、まあ」

 アポロも知って――いや、そりゃそうか。知っていてもおかしくはない。

 ロコットへのいじめはかなり悪質だ。場所を選んではいても、被害は長時間続く。

 近くにいるアポロやクラスメイトが気づくのは当然か。

「ロコットは、いじめられてた。クラスのみんな、半分以上で、集中的に」

「はんぶっ……!」

 そんな大人数で!? なんで、そこまで。

 ロコットになんの恨みがあったんだ!?

「それは――」

 アポロは、今度は口を閉ざした。

 これ以上は、さすがにプライバシーの問題なんだと判断したのだろう。

 でも、僕はアポロに詰め寄った。

「ロコットがみんなになにかしたの?」

 スクールカースト上位に位置する彼女だけど、みんなから認められていたわけじゃないのかも。当然、不満がある生徒はいるものだ。

 反対勢力が手を組み、大人数でロコットという根城を崩した、とか?

「ううん。ロコットは、みんなになにもしていない」

 アポロはぼろぼろと、こぼすように教えてくれた。

 言ってはダメなことだろうけど、聞いてほしい、みたいな。言えば解決するかもしれないという希望にすがって、僕に話してくれているのかもしれない。

 聞いたら解決できるほど、僕は万能じゃないけど。力になりたいとは思っている。

「アポロは、どうしてロコットがいじめられたのか、知ってるの?」

 アポロは目を逸らした。

 口をきゅっと結んで、後ろめたい感情を抱きながら。

「アポロは、ロコットの事をどう思ってるの?」

 僕は聞き方を変えた。

 ロコットがいじめられた原因なんてどうでもいい。

 どうせ最後にはロコットの事を助けに行くのだろうから。

 今は、アポロからロコットへの感情を、出しておくべきだ。

「それは、昔から一緒にいたし、助けてくれたし。いつも、うむの事を気にかけてくれたし」

「うんうん」

「うむの、友達なんだ」

 アポロは帽子のつばを掴み、引っ張る。それで顔を隠しているつもりらしい。

 でも、僕が屈んで目線を合わせようとすれば、顔は全部、見えてしまう。

「それでそれで?」

「大切な、友達」

「それだけ?」

「親友。大好き。ロコットがいないと、学校、つまんない」

「じゃーさ。なんでアポロはロコットを助けないの?」

 いじめられている友達を助けようとするのは、ちょっと難しいかもしれない。

 標的が、次は自分に移ってしまうとか、考えてしまって。

 僕は気にしないんだけど、世間一般的に、グループの輪に入り、見た目、仲良くしている状態を維持することが、学園内で大切なことだと思っている連中からすれば、それは避けなければいけないことだ。

 輪から弾き出されたら終わりだと思っている。そんなことはないのに。

 たった数人、信頼できる友達を作ればあとは別にいらないのに。

 僕はそう思うけどね。

 アポロはどっちなのだろう? 落ちこぼれとしていじられてきたのだから、今更、標的が自分に移っても、気にしなさそうだけど。

 でも、アポロはロコットに手を伸ばさなかった。それに、不登校になった後もロコットにコンタクトを取らなかった。今だから分かるけど、ここのところ、毎日毎日、気づけば暗い顔をしていたのは、ロコットの不登校が原因だったのか。

「助け、る?」

「うん。もしかして考えになかった? そんなことはないよね? あんなに助けたそうにしていたのに。具体的な案がなかったから? いじめている側から脅されていたから? それとも、怖気づいた?」

「…………」

 アポロは黙ってしまう。違う、違うんだ。

「責めたいわけじゃないんだ。アポロは、ロコットがそこまで好きなのに、どーして助けないのかなって、疑問に思ったから。すぐにでも助けに行きそうだったからさ」

 僕でさえも、無視して突っ込みそうなものだと思ったけど。

 僕の予想ははずれたか。

「分からなかった、から」

 アポロは震える声で言う。

「助けるべきなのか、どうなのか」

「助けた方がいいじゃん。ロコットがいないと、学校がつまらないんでしょ?」

「うん。今まで落ちこぼれだって馬鹿にされたり、はぶられたりしていた。でも、今は違う。うむの事を、みんな心配してくれたり、分からないところがあったら、教えてくれたりしてくれるようになった。みんな、優しくなった」

 いきなり、優しくなった?

 ロコットがいじめられてから?

 その二つに関係は、やっぱりあるんだろう。

 アポロは、知っている。どうして、優しくなったのか。真実を。

「そういえば、アポロが落ちこぼれだって口火を切るのは、いつもロコットだったような……」

 もちろん、違うかもしれない。

 僕がたまたま、そういうシーンを多く見ているだけで。

 他の誰かが口火を切った時もあったかもしれない。

「ロコットは、ちょっと過激というか、過剰というか。そういう面がある。危なっかしいって感じで。ロコットは、うむに向かっては、優しいけど、厳しかった」

 飴と鞭みたいな事?

 ロコットって、アポロの保護者みたいだ。

 僕と絵空の関係に似ている。僕、保護者が必要なのかよ。

「うむは気にしてなかった。でも、最近は少し、やり過ぎかなとも思ってたけど。やっぱり、あれはやり過ぎなのかな。ロコットの様子も、おかしかったし。情緒不安定って感じで。焦っていたみたいだし」

「? アポロ?」

 アポロはしばらくぶつぶつと呟き、その後、意を決したように言う。

「ロコットは、うむの事をいじめていた連中の筆頭。たぶん、過激になっていくいじめに愛想をつかした他のみんなが、ロコットをいじめ始めたんだと思う」

 あー。なるほど。そういう、ことか。

 そして被害者だったアポロが、今度はマスコットのように可愛がられ始めた、と。

 これで、繋がった。

 アポロのいじめ問題もこれで解決した。

 やり過ぎたロコットの愛情表現だったわけだ。振るった鞭が強過ぎた。

 そしてそれが、外から見ればいじめに見えてしまった。

 アポロだって、いじめと捉えてもおかしくはなかった。

 そうならなかったのは、アポロの人格か。二人の絆なのか。

 いじめと遜色ないことをされても、アポロはロコットを、敵とは見なかった。

 最初は、それを僕へ言わずに、庇った。ロコットは、アポロに愛されているのだ。

「そこまで好きなら、助けに行こうよ」

「そう、したい。でも」

「今の状況を壊したくもない?」

「っ」

 アポロの表情が苦痛に歪む。

 アポロ自身も分かっている。最低なわがままだって。

 ロコットの方が大事だ。長年の信頼と、被害者だったから、という即席の理由で仲良くされたハリボテのような関係――大事なのがどちらかなんて、すぐに分かるはず。

 それでもアポロは悩んだ。そして動けないでいた。

 今の立ち位置が、初めてで、居心地が良かったから。

 だから、手放せないでいたのだ。

 気持ちは、分かるけどさ。

「アポロは、このままロコットを見捨てたい?」

 我ながら卑怯な質問だと思った。

 こんなの、否定するしかないに決まっている。

 でも、今のアポロは、これくらいしなければ動かないだろう。

 ……ふざけるな、と思う。

 こんな手を使わせるなよ。

 長年、共にいた親友よりも、メリットデメリットでほいほい付き合いを変える連中を選ぶのかよ!?

 僕は無意識に、アポロを睨み付けていた。

 マスターとかディアモンとか、上下関係なんて知ったことじゃない。

 いじめられている親友を助けられないなら、親友を名乗る資格はない。

 そんなの、友達やめちまえ。ロコットからしても、迷惑だ。

 僕はアポロの両肩に手を置く。力強く、ぎゅっと握る。

「状況に流されるな、きちんと答えを出せ、アポロ」

 僕は見つめる。瞳を逸らさない。

「ここで本音を出さなきゃ、一生、後悔するぞ?」

 大人になっても、おばあちゃんになっても、引きずる。

 ロコットがちらつく。そんな人生、最悪だ。

「わから、ないよ」

「アポロッ!」

「うむが助けに行ったら、ロコットはどう思うの? ロコットはプライドが高い。いじめられて逃げ出した、そんなところをうむに見られたら、きっと死にたくなっちゃうよっ!」

 それを聞いて、僕は安心した。

 アポロは、まだ助けに行くかどうかで迷っているのだと思っていた。

 ロコットを見捨てる選択肢が存在しているのだと思っていた。

 でも、違う。

 ロコットの気持ちを考えている。

 アポロはもう、ロコットを助けに行く前提で、話を進めていた。

 それなら、大丈夫。

 ロコットの気持ちなんて、今は考えなくていい。

「行こうよ、アポロ」

 ぐいっと、僕はアポロの手を引っ張った。

「どこ、へ?」

「ロコットの家。どうせ引きこもっているんだろ? ちょっと叩き出して、説教する」

「そんなことしたら、ロコットのプライドは」

「ふざけんな。小学生がプライドとか言ってんじゃねえ」

 僕は無理やり、アポロを引っ張る。

 アポロ、軽過ぎて宙に浮いていると思う。

「くそっ、いま時のガキはませてやがるからイライラする」

 大人を見下しやがって。

 お前らよりも僕らは場数を踏んでるんだ。きちんと言う事を聞け。

「今の内を恥を知れよ。つらさを知れよ。それが絶対に、後々に役に立つんだから」

 僕は絶対に、アポロの手を離さない。

 そして、ロコットの手も。

 逃がすかよ。お前には屈辱ってもんを教えてやろう。

 くくくっ、と変なスイッチが入った僕の笑いは止まらない。

 アポロに聞かれていたかもしれないけど、気にしなかった。


 後々に聞いたことだけど、アポロはこの時。

 頬の紅潮と激しい鼓動を押さえるのに、必死だったらしい――。

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