第14話 標的変更
今日の特訓は短い時間で終わった。先生にも用事があるらしい。
年中暇そうな先生にも忙しい事があるんだなあ。寝るのに忙しいとか、婚活に忙しいとか、そういう訳でもなさそうだった。
校内放送で先生が呼ばれていたので、仕事なのだろう。
がんばれー、と去り際に伝えたら、先生は「死ね」と言ってきた。僕の親切心を返せ。
そんなわけで僕は今、一人だった。
この時間は、アポロの補習の方もまだ終わってはいないだろう。だって、始まってからまだ三十分も経っていないし。そんな時間じゃあ、教えるにしても薄い内容ばかりだ。
わざわざ時間を取ってやる意味があるのか、となってしまう。
「うーん、どーすっかなあ」
アポロの元へ行ってもいいけど、僕がいる事で邪魔になるのもなあ。
それに、頑張っているアポロの前で休んでいるっていうのも、僕としては居心地が悪い。
校内を気ままに徘徊でもしていようかな、と僕は歩みを進めた。
まだ学園の中、全部を網羅したわけではない。
新たな発見があるかもしれない。僕は校舎に入る。靴箱がある場所だ。
それにしても、僕のいた世界と、学園という定義はあまり変わらないらしい。
内装は豪華だけどね。有名な魔法映画の学園の中みたいに広いし。
地図があるからなんとかなっているけど、基準もつけずに駆け回ったら、絶対に迷う自信がある。迷ってもなんとかなるだろう、という自信も同じくあるけど。
僕は靴箱に用はない。僕に用意された靴箱なんてないし。正直、土足でもいいらしいのだ。
ディアモン限定で。やっぱり、犬かなにかと扱いは一緒なんだなあ、と思った。
「ん?」
靴箱。たまたま視界に入った一つが、異様だった。
扉が開いている。銭湯のロッカーみたいに開くタイプだ。なんだか庶民だ、と思ってしまう。
庶民もお金持ちもロッカーのシステムなんて変わらないとは思うけどさ。
僕は悪いと思いながらも近づき、開いてみた。
扉が開いていたのは、閉められない程に、中になにかが詰まっていたからだ。
靴、じゃない。靴も含めて、それ以外が大量に。
異臭が特徴的だった。
女の子の靴だ。デリカシーのない一言を言うつもりはない。
女の子の靴の臭いじゃあない、明らかに別のものだ――これは、
「残飯、か……?」
果物の皮。残りものの、かじられたパン。給食で出た湿ったサラダの欠片など。どろどろと足下に垂れてくる、変色しているソース。元々、どんな料理だったのか分からない混ざり合った汚物だ。ロッカーの内側はそれらで塗りたくられていた。その靴箱だけが、他と比べて汚過ぎた。
ここだけが汚い。ここ以外が綺麗。
最初から予想通りだったけど、彼女だけを標的にしている感じだ。
「でも、アポロの靴箱じゃあ、ないよね?」
そうなのだ。アポロのじゃあ、ない。ペンキで机がカラフルにされていて、掃除の時間にはびしょびしょになっていて。あ、でもそれはロコットが間違ってやってしまった、と言っていた。
謝って、世話を焼いてくれていたし。
アポロはいじめられているのだと思っていた。
ペンキとか、びしょ濡れとか、そういう嫌がらせと一緒で、これもそうなのだと思っていたけど、違う。アポロは関係ない。アポロとは別のところで、いじめが、起きている?
「誰だろう?」
僕はロッカーの名前を確認した。さっき、僕はこの靴を、女の子の靴だと判断した。簡単に、ここは女の子限定の靴箱だから、という理由でだ。
名前はまだ見ていなかった。だからいま確認して、言葉を失った。
「ロコ……ット?」
あの少女の名前が刻まれていた。何度も何度も確かめた。だけど、同じ。
いじめられているのは、ロコットだった。
「なんで……? いじめられるようなタイプじゃないのに――」
どちらかと言えば、いじめる方だと思うけど。
いやいや、そんな失礼な事は言っちゃだめだ。
いじめてそうなんて、本人に聞かれたら叫ばれて泣かれてもなにも言えないし。
クラスの中でもスクールカースト上位に位置している存在に見えた。
家も良いところで、お嬢様らしいし。にしては、乱暴なところもあるけど。
僕ら側の言葉で言えば、リア充。
イケているグループ。そうくくれる集団の中にいる。
こんな悪質なことをされるキャラじゃない。
なのに、なんで……?
「なにをしてるの?」
すると、僕を見つめる人影。
最悪だ。そこにいたのは、ロコットだった。
「あ、ちょ、これは僕じゃなくて――」
「……分かってるわよ。お前じゃないんでしょう?」
分かってくれて良かった。ここで靴箱の中身の犯人を僕だと決めつけられても、おかしくはなかった。冷静なロコットだった。分かっているということは、靴箱以外にも、彼女は攻撃をされているのかな?
「どいて」
ロコットがそう言って近づいてくる。僕はどこうとした。だけどやめた。
近づいてくるロコットの肩を上から押さえて、
「なんで――そんなにびちゃびちゃなんだよ!?」
まるでアポロみたいに、全身が濡れていた。
バケツに入った水を至近距離でぶっかけられた、それそのものみたいな惨状だった。
直後ではないだろうから、気づけなかったけど、近づいて分かった。
ここまで近づけば、明らかだ。視覚で見逃しはできない。
「全身、濡れてるのがそんなにおかしい? これがこっちの世界の習慣だったらどうするのよ」
「あ、そういう可能性も……きっとないよ!?」
「一瞬だけど、信じかけたわね。いいからどけ」
ロコットは僕を横にどかす。邪魔なものを払うように。
そして直後に、くしゅんっ、と可愛らしいくしゃみをした。
寒そうに全身を震わせている。びちゃびちゃな服が肌にはりついているせいで、尚更、体を冷やしているのだろう。しかも今は季節的に、冬だ。
校舎の中だから大丈夫だけど、これから帰るために外に出るのならば、地獄だろう。
こんなの、途中で凍え死ぬぞ?
「暖まってから帰ればいいと思うけど」
「いいわよ、別に」
ロコットは不愛想に、靴箱の中の靴を力強く取り出す。
詰められていたゴミが、落下して散乱した。それを見下しながら、
「くだらない。ほんとに、くだらない」
どうしてだろう? ロコットは、後悔しているように見えた。
「ロコット、誰にやられたの?」
「はあ? それを言ってなんになるの?」
ロコットはイライラした声で。
僕はこの子が苦手だ。ロコットが、僕の方を嫌っているから、干渉しにくいのだ。
でも、これを見て、放っておくことはできない。
見て見ぬふりは罪悪感を刺激する。家に帰ってから長いこと悩むことは見えている。ゲームをしていても集中できない。もうあんな思いは嫌だった。苦手でも、アクションは起こす。
「さすがに、これは酷いよ。やり過ぎだ。僕じゃあ力になれないかもしれないけど、先生に言えば……」
「余計なことはしないで。先生に知られたら、死にたくなるわ」
「……恥ずかしい、から?」
アポロもそうだった。
いじめられているというのは、誰にも知られたくないものだ。
でも、自分一人で解決するなんて、絶対に無理。
そこには、第三者の介入が必須になる。
自分一人でやろうとしても、から回るだけ。無力を痛感するだけ。
やってもやってもどうにもできない結果が自身の心を焦らせる。
追い詰める。そして、状況に押し潰されていく。
アポロもロコットもそれを知らない。だからこそ、頼らないという選択肢を取る。それじゃあダメなのに。でも、知らないからこそ、貫き通す。その道が絶対だと、信じて疑わずに。
僕がそれを教えることは、できる。でも、取り合ってはくれないだろう。そういうものだもの。親の言うことが理解できるのは、同じ立場になってからだ。共有してこそ、納得できる。
まあ、全部が創作物で得た知識を披露しているだけなんだけども。
僕自身が体験したわけではない。
ただ物語に触れて主人公と共に体験した気持ちになったことで、分かることもある。
僕は人付き合いなんてあまりしないけど、人付き合いについては色々と知っているつもり。江戸時代の人と話したことはないけど、なんとなくその当時の気持ちは分かる、みたいな。向こう側からすればふざけんな、って言われそうな、にわか丸出しなものだけどね。
でも、知らないよりはマシだと思う。ゼロとイチの違いは大きい。
「恥ずかしいわけじゃない。恥ずかしいとすれば、この程度で先生に頼ることの方が、恥ずかしい」
きた。頼ることが恥ずかしい理論。そんなことないのに。
分からなければ聞いていいんだよ?
そう言われても、なかなか聞けないのはどの年代も一緒だ。
ロコットは強がっている。それは見て分かる。
思えば、彼女はずっと強がっているようなものかもしれない。お嬢様で、スクールカースト上位者で、クラスでもリーダー的存在で。
誰からも上に見られているその立場じゃあ、弱いところは見せられない。
つらいなあ、それ。僕だったら耐えられない。性格の問題か。
「これはアタシの問題。お前は関係ない。いいか? 絶対に誰にも言うなよ? アタシがどうにかする」
プライド。いじめている側に向けて、この程度では潰れないと、そう見せるため。
ロコットなら、大丈夫かな、と思ったのが、この時の僕の失敗だった。
意地でもロコットの心を突き、本音を出させれば良かったと、たらればを言った。
そんなことを言っても、どうしようもないのに。
それから三日。
ロコットは戦った。後々に聞けば、ずっと、ロコットはいじめられていた。
彼女は耐えていた。対抗していた。でも、やっぱり無理だった。
ロコットは学校に来なくなった。
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