第2話 彼女たちの教室

 僕とアポロは正座している。

 周りを見れば、割れたガラスの破片が散乱していた。

 こんなところで正座をするなんて危険じゃないか? と思っているのならば正解だ。

 危険だからこそ、アポロは僕が正座している太ももの上で正座をしている。

 あれ? 僕の危険は眼中になし?


「【マスター】を危険に晒すディアモンがどこにいるんだ、バカたれ」

 僕達の前で仁王立ちする、アポロと同じ服装をした女性がそう言う。

 帽子は被っておらず、手に持っている。指でくるくると回していた。

 僕達……いや、僕だけだろう。

 僕を見下す目は鋭い。それだけで、つんとしている性格だろうなと思う。

 口うるさい女教師ってところか。

 身なりはきちんと整えていた。

 髪も束ねて後ろに垂らしている。スーツが似合いそうな人だった。

 明らかにアポロよりも倍の年齢を重ねているようにしか見えない。

 いや、若いけどね。僕よりも年上だけど。


 彼女は手を腰に当てて、溜息。

 ちらりとアポロを見ると、先生の事なんか見ていなかった。

 散らばったガラスをぼーっと見ている。この子の将来、心配だなあ。

「アポロ・スプートニク」

 先生がアポロの名を呼ぶ。

 ああ、フルネームはそんなような感じだった。

「授業をサボって勝手に召喚をした上に、飛行魔法を使って窓ガラスを突き破るとはどういうわけか説明しなさい」

「気分」

 噛まずに全文を言い終えた先生への答えは、漢字二文字だった。

 アポロ、すごいな! 

 普通、この状況じゃ変に考え過ぎちゃって、隙だらけの言い訳とか言っちゃうところなのに!

 アポロにとっては本音なのだろう。

 気分でこんな事をしでかす子にしか僕には見えない。先生もそう思っているとは思うけど。

 しかし、ぴくぴくと怒りをがまんしている様子が見えた。

 そーだよね。なめられているようにしか聞こえないよね、先生。

「……あなたの奇行には散々迷惑をかけられているから、今更、驚きはしませんが」

 嘘つけ。慌てて教室から飛び出してまず第一にアポロの怪我を確認したあんたが言うか。

 根は優しいと言うか、やっぱり本心から先生なんだろうなあ。

 こういう真っ直ぐな先生はあまりいないから羨ましい、と少し思う。

「ですが、今回は見過ごせません」

 いつもは仕方ないから見過ごしているみたいな言い方だった。

 いいのかそれで。教育上、ダメじゃないのか。

「時間帯が休み時間なら、クラスメイトに怪我をさせていたかもしれないんですよ?」

「……ごめんなさい」

 アポロがそう呟いた。なんだ、ちゃんと謝るのか。

 このまま知らん顔で突っ走るのかと思ったけど、さすがにそれはしないか。

「(みんなはディアモンがいるからどーせ怪我しないけど)」

 僕だけに聞こえる声でちょっと愚痴っていた。

 僕にも聞こえないように言ってくれたらがっかりしなかったのに。

「いつもと違って反省しているようですし、いいでしょう。お咎めなしです」

 なしなのか。いや、色々と気になるところがあるけど、ここで言葉を挟むのも雰囲気をぶち壊してしまいそうなのでやめておいた。

 甘々なんだが、この先生。見ていて微笑ましいなあ。

「ここは先生が処理しておきます。教室に戻って自習をしていなさい」

「へいっ」

 片手をぴんっと立ててそんな似合わない返事をする。

 だからなぜそうもミスマッチな方を選ぶんだ。

「いくよ、勇架」

「あ、うん」

 そう言って立ち上がった僕の肩を、人差し指、一本で止める。

 先生だ。にこぉ、と不気味に口元を歪める。

「あなたのマスターがしでかした事です。あなたの監督不行き届きです。後始末、手伝ってくれますよね?」

 指先に力が加わる。肩の凹みに突き刺さって――痛い痛いッ!

「手伝え」

 強制だった。僕はうんうんと頷き、

「アポロ、先に行って待ってて」

「えー、みんなに自慢したいのに」

「後でもできるよ。ほんとごめんね」

 両手を合わせて謝る。

 ぷくーと頬を膨らませながらも、うん、と頷き、アポロが教室の中へ入って行った。

 残った僕と先生の二人は、静かになった廊下で対面する。

 緊張の糸が切れたように先生が、

「とりあえず、ガラスを拾ってくれ。話は後だ。お前も、聞きたい事がどうせたくさんあるんだろ?」

 アポロの時とまったく言葉遣いが違う。

 まあ、そうか。僕に対しても小学生と同じ接し方でも、それはそれで困る。

 反応に、というか、こちらも背中が痒くなってしまうので。

「あ、はい。分かりました」


 それから数十分かけて、ガラスを拾い集める。

 その間、まったく会話がなく、かちゃかちゃ、というガラスの音だけが静かに響いていた。

 超気まずかった。

 気を遣って無理やり話を振ったけど、全てスルーされていた。

 女の人って恐いな、と思った。


 ―― ――


 綺麗になった廊下を歩き、教室へ入ろうとする先生。

「あれ!? 話は!?」

「お前なあ……。今はアポロ達の授業中なんだから、そっちが優先」

 あ、そっか。確かに、授業を中断させてまで僕に時間を割いてくれるわけでもないか。

「それに、アポロもいた方がいいだろ。お前とアポロはもう一心同体みたいなもんなんだから」

 そーいうものなのか。

 謎は残るが、どうせ後で解けると思い、考えをやめる。


 先生の後を追って教室に入ると、騒音が聞こえた。

 教室には【6B】と書かれてあった。アポロは六年生なのか。

 いや待て、あれで六年生? てっきり、低学年かと思っていたけど。

 教室内を見渡す。やはり比べると、アポロが一番、幼く見えた。

 そんなアポロは騒ぎの中心地点にいる。

 感情表現があまり得意ではなさそうな彼女は無表情に近いけど、それでも悔しそうな顔をしていたのが分かった。

 アポロの目の前にも、生徒が一人。

 当然のように同じ服装。帽子を被っている。

 帽子からはみ出た青い髪の毛は、肩よりも長い。

 刺々しい髪質と同じで、彼女自身の性格も刺々しかった。

 話を最初から聞いていたわけではないけど、状況を見るに、落ちこぼれのアポロを優等生の青髪少女が、さっきの一件の事でちょっかいを出していた、と言ったところだろう。

 二人の喧嘩を、男女混ざったクラスメイトが盛り上げている。

 それがこの騒音に繋がっていた。

 頭を押さえた先生は、モードを切り替え、

「はいはい! アポロ・スプートニク。ロコット・ドエニプル。いつもの喧嘩はそれくらいにしておきなさ、」

 先生の注意は最後まで言えず、割り込んできたのはアポロの声だ。


「――うむのディアモンはロコットのディアモンよりも強いもんっ」


 もっと力強く言ってほしかったけど、アポロにしては大きな声だ。

 それに答えたのは、ロコット、と呼ばれた少女だ。

「さっき召喚できたばかりなのに? ぷぷぷー! じゃあ勝負してみましょうか?」

 手を口に添えて、極限まで馬鹿にした態度でそう言った。

 うわー、むかつくぅ。

 アポロもその態度にはかちんときたらしい。

「ロコットなんかに負けない」

「あら、落ちこぼれのアポロが、成績優秀者のアタシに? 小学部でも一位を取り続けている、アタシに?」

 ロコットの取り巻きの少女達がひそひそと話し、くすくす笑いをした。

 人を挑発する天才かこいつら。圏外から見ている僕でもイラッとするぞ。

 と思っていたら、圏外じゃなかった。中心だった。

「うむの勇架が戦えば、ロコットのディアモンなんか、けちょんけちょんだよ」

 あれ?

 僕の名前、出た?

「へー。じゃあアポロが負けたら、なんでも言うことを聞くんだね?」

 ……まずい。

 落ち着いているように見えて、怒りで前が見えていないアポロにその言葉はダメだ。

 僕が止めようとした時には、もう遅かった。

「もちろん」

 えっへん、と胸を張るアポロ。

 あーあー。僕、知らないよ?

 僕、けちょんけちょんなんかにできないからね?

「じゃあ決まり」

 満面の笑みに潜むロコットの自信を、僕ははっきりとこの目で見た。

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