上巻 ≪羽場勇架≫召喚
第1話 知らない世界
目を開けると一面、緑だった。
木が乱立している。僕の膝まである草がゆらゆらと風でなびいている。
森の中? それは分かるけど、なんでこんなところに?
「やった」
すると声が聞こえた。
きょろきょろと周りを見るけど、声の主は見つけられなかった。
とんっ、と僕の腹部に軽い衝撃。なにかにしがみつかれた感覚。
「えと……どうしたの?」
小さな子供だった。
ハロウィンなどのパーティでよく仮装として被る黒い魔女の帽子。
手には白い杖。先端がくるくるっとなっている。
全身を覆う、だぼだぼっとした黒いワンピースを着ていた。
彼女は僕の腹部に顔を押し付けまま、動こうとしなかった。
……どうしたんだろう?
こんな状況になったことがないから対処の仕方が分からない。
というか、絵面的にどうなんだろう、これ。
勘違いされる事はないと思うけど……。
でも、発見者側からすればどちらからとか関係なく、僕が悪いと判断されちゃうのかな?
きゃー、ロリコンとか叫ばれたりして、ひと騒動があるのだろう。
そういうのがテンプレだしなー。
二次元にばかりに興味がいく僕の発想は偏っていた。
「やっと、成功、した」
少女が僕を見上げた。帽子が後ろにずれて、顔が見えやすくなる。
わっ、白髪だ。眉毛やまつげも真っ白だ。
少女だけが輝いて見えた。世界全部が汚く見えるほどに。
センター分けされた白髪は、肩にはかからない長さだった。
目はとろんとしていて、眠たそうだった。喋り方もスロー再生みたいにゆっくりだ。
もちろん、低い声で、もぉおおおおとかじゃないけど。
細く、掴んだら折れてしまいそうな。
消えてしまいそうな弱さが感じられた。
イメージで言えば、病弱?
でも、にっ、と不器用に笑みを浮かべた彼女が、重い病気なのだとは思えない。
嬉しそうだとは思うけど、その溶けてしまいそうな声と、タイミングがずらされる速度のせいで、彼女の嬉しさが全然、伝わってこない。
戸惑っていると彼女が眉をハの字にする。
ああ、困っちゃってる!
「えっと、君はどこの誰なのかな? ていうか、ここはどこなのかな?」
「ここは学園の中にある庭」
森じゃなかった。
見渡す限り木と草むらしかないんだけど、庭、相当に広いよねこれ。
彼女は僕を指差して、
「うむのディアモン」
「うむのディアモン?」
僕は繰り返してしまった。
いやだって、理解できる単語がないんだもの。
「うむの、ディアモン」
「…………」
ゆっくりなところをさらにゆっくりと言われても、分かんねえよ。
とりあえず、僕は理解を諦めた。とにかくこの子だけじゃ現状が把握できない。
さっき、ここは学園、と言っていた。
見渡す限りそんなものは見えないけど、進んでいれば見えてくるのかな。
「じゃあ、一旦、学園に戻ろうか」
「やだ」
そこだけは早かった。
なんで? と聞くと、彼女は悪びれもせずに言った。
「今、授業をサボってるから」
どうしよう……、僕じゃあ手に余る。
「授業が終わるまで、一緒にいよう?」
彼女の甘えた仕草に僕は断る事ができなかった。
やれやれ、と頭を掻いた時に気づく。
あ、やれやれ系はもう勝ち目がねえや。
―― ――
チャイムが鳴った。チャイムというか、教会の鐘の音だった。
それが数回、響き渡り、授業の終わりを示す。
音に気づいて、僕が音の鳴る方向を向くと、彼女もついてくる。
鐘の音が鳴り止んだ後、僕は彼女の方を振り向いた。
「授業、終わったみたいだよ」
「これは、違う」
ふるふる、と首を振る。じゃあなんの音なんだよ、と思うけど。
僕はこの学園の事を知らないので、彼女の言う事に違うとも言えなかった。
「ねえ、アポロ」
僕は彼女の名を呼ぶ。
アポロ、というのが彼女の名前らしい。
授業をサボっている間、する事もなかったので自己紹介をしていたのだ。
アポロの下の名前の方は、ごめん、覚えてないや。
アポロだけでも分かっていれば呼べるので、まあいいか、と気楽に考える事にする。
ちなみに僕の名前は
女子みたいな名前のせいで昔からいじられていて嫌だったりする。
漢字のおかげでいくらかマシにはなっているけど。
他に、よく物理的にいじられているのが、僕の天然パーマだ。
なぜ、指先でくるくると遊ぶのか、まったく分からない。
「どうしてそんなに授業に出たくないの?」
ただ単に授業や勉強が嫌いなだけなら良いけど――いや良くないけど。
もしもいじめられているのならば、放ってはおけなかった。
でも、こうして学園に来ているってことは、そういうわけでもないのかもしれない。
「落ちこぼれ、だから」
アポロは消えそうな声で言った。実際、語尾の方は消えていた。
……落ちこぼれ、か。
不良生徒ってわけでもないし。赤点常連者なのかな。
落ちこぼれだから授業に出ないって、尚更、現状から抜け出せないから、悪循環になっている気がする。このままじゃいけない気がしてきた。
いや、間違いなくいけないと思う。
僕はアポロの手を引っ張り、立ち上がった。
驚くアポロを引き、学園へ向かう。
「勇架?」
きょとんとするアポロは脱げないように帽子を片手で押さえている。
「授業に出よう。僕が一緒にいるから大丈夫」
微笑み、アポロを安心させようとする。
そんな僕へ、アポロはじーっと、視線を集中させる。
うわっ、なんかスベッたみたいになった。沈黙が痛い。頬が熱い。
しかしまあ、格好をつけたものの、校舎は見えても入口が中々見えてこない。
さっと行って授業に参加させるつもりだったのに、時間がかかってしまった。
赤茶色のレンガで作られた校舎の周りを、ぐるぐるぐるぐる。
一周もしていないのだろうけど、もう疲れた。入口、全然、見つからない。
焦りからか、僕の方が疲れが早く出た。立ち止まり、肩を揺らす。
そんな僕よりも前にアポロが出た。
「入口はもっと遠く」
真っ白な杖をびしっと前に伸ばす。
真っ直ぐ進むと校舎の壁がカーブしているので、具体的な目的地までは把握できなかった。
長い道のりだ。もう次の授業が始まってしまう。
「ディアモンなのに、うむより体力ないね」
手を口に添えられながら言われた。
お上品に馬鹿にされたんだけど、アポロ自身、無表情に近いので反応に困る。
というかさっきから気になってたんだけど、うむって、僕とか私とか、そういう自分を指す言葉として使ってる? だとしたら分かりづらいよ。
「う、うるさいよ」
元々、僕は文化系だから体力がない方だ。
スポーツは常に補欠。点を決めないし、サポートもしない。
ポジションの位置に立っているだけの人数合わせ。そんなものだ、僕なんて。
いいんだよ。体力がなくてもゲームはできるんだし。
ふんっ、と鼻を鳴らして、休憩はこれで終わり。
進もうとしたらアポロに止められた。アポロが足を進めなかったのだ。
小さな体は、僕の引っ張りを止める事ができずに、前から倒れていた。
ちょっとだけ、引きずるような形になってしまう。
えぇ……。声、出そうよ。
「いたい」
「ご、ごめん!」
謝って、慌てて起こす。服が汚れてしまったので、手ではたく。
「んっ」
よくできました、みたいに胸を張っている。
僕は介護かなにかなの?
「違うよ、勇架はディアモン」
「あ、そう」
さっきからちょくちょく言われるディアモンとは、一体なんなのか聞いても、アポロは「ディアモンはディアモンだよ」と説明する気のない説明しかしないので、もう諦めた。
もうリベンジする気もない。早く関係者と会いたいなー。
小さい子はやっぱり扱いが難しい。特別、アポロが扱いにくいって事もあるんだろうけど。
「ん? なにしてるの?」
突然、アポロが杖にまたがった。
アポロ一人が乗ったらもう満員だ。元々、一人用なのだろう。
「入口まで遠いから、ショートカットする」
きりっと言ったつもりなのだろうけど、目はとろんとしている。
締まらねー。
「少し待つべし」
なぜそんな似合わない言葉遣いを。可愛いけど。
すると、アポロの髪が重力を無視したように揺れ始める。風もなにもないのに、だ。
そして、アポロの周りの草も同じように。
中心から外側へ、突風が吹く。僕は驚き、手をかざす。
一瞬だけ視界を自分の手で塞いでしまったので、その瞬間は見れなかったけど、アポロと杖が一緒に浮いていた。
魔女が箒に乗って飛んでいるみたいだった。ああ、大きな杖は箒の代わりなのか。
「乗っていくかい?」
どうして無表情で、しかも眠そうなとろんとした目で、そんな似合わない言葉を。
いや、可愛いんだけどさ。
くいっくいっと親指で後ろを指すアポロだけど、どう見ても僕が乗れるスペースなどない。
それを伝えると、
「下にしがみついて」
「ナマケモノみたいになれと!?」
これから飛行をする身としてはあまりやりたくはない乗り方だ。
けど、アポロの目元に溜まった涙を見たら、断れなかった。
と思っていたら、アポロが大きくあくびをする。
むにゃむにゃ、と聞こえそうに涙を拭っていた。
「…………」
そんなこったろーとは思ったよこのマイペース!
一度乗る気になってはいたので、仕方なくしがみつく。
杖の下側に僕が入り込んだのを確認した後、
「じゃ、出発」
なにも聞かれぬまま、杖が飛び立った。
うぉおおおおお! と感動するかと思いきや、飛行はゆっくり。
というか、もたもたしていた。ぐらぐらしているし、いつ落ちてもおかしくはない。
「あの、アポロさん?」
「うるさい。ちょっと黙って。集中してる。見てれば分かること」
「あ、はい」
結構きつい拒絶がきた。
つーか人に毒を吐く時は早口になるのね。
超不安定な飛行が続く。
ここまで安全運転をしているのに危険を感じるのは初めてだった。
ぷるぷると震えている。アポロの不安が僕にまで伝わってくる。
『落ちこぼれだから』
アポロの言葉を思い出した。
あー、納得。
なんだろう、飛行って、初歩の初歩って感じがする。
だからこれが満足にできないアポロは落ちこぼれなんだなあ、と。
なんとなく理解できた僕だった。
「きゃっ」
するとアポロが声を漏らした。
危機感がまったく伝わらない、勢いのない悲鳴だ。
なので僕も反応が遅れた。反応する前に、事態が急激に進む。
ぐるんっ、と視界が回る。体が振り回された。
アポロのようにまたがっているわけではないので、足がすぐに離れ、二本の手だけで全身を支えている形になる。離せば落ちる。地面に叩き付けられる。
どれくらいの高さなのか分からないけど、ごちゃごちゃしている今の視界を考えたら、安易に手を離すべきではない。
もしかしたら地面すれすれかも、なんて期待はしない方がいい。
命が大事なら。しっかりと握っておくべきだ。
「あ」
「あ、ってなにッ!?」
やっちまったみたいな漏れた声の後。
ガラスを割る音が、僕の鼓膜を揺さぶった。
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