解説 ──鵜山千百合
本作は17年前、当時高校三年生であった
2014年の末頃、作者の
石田の「想思華」は、〝「囁きの彼岸」に寄せて〟の一文から明らかなように、藍川の小説を前提とする作品となります。ですから、本来であれば原作の内容を踏まえた上で解説へと進むべきですが、本作に限っては後述の事情によりそれが叶いません。そして、その状況こそが、私が今筆をとっている理由でもあります。
小説「囁きの彼岸」は、存在しない原作です。より現実に即した表現をするのなら、失われた、と言っても良いでしょう。17年前に記され、藍川の失踪と共に消えた小説──内容を知るのは、石田繭ただ一人でした。
「想思華」は、彼岸花の別名です。そして、私たちの地元は、彼岸花を特別な象徴としていました。
地元
作品を読み解くためには、いくらか昔話をしなければなりません。
十七年前、藍川、石田、鵜山の3名は、
藍川は、非常に人間のできた人でした。聡明で優しく、気さくで美人。彼女は創作の初心者であった私たちに色々のことを教えてくれました。そして、彼女は創作という行為に対してあまりにも──時には狂気の色さえ見えるほど──真摯で、真剣でした。私たちはさほど時の経たぬうちに、藍川を強く慕うようになりました。
私も石田も、藍川の書くものが大好きでした。彼女の作品は、緻密に設計されつつも、節々に香る余情が私たちの心を揺さぶってやみませんでした。とりわけ石田は、藍川に憧れていたように思います。「こんなものが書きたい」「先輩のようになれたら」と、彼女は度々私にこぼしていました。
藍川も、自分を慕う石田を可愛がっていました。石田が原稿を持ち込めば丁寧に読んで感想と助言を与え、学校外でも何かと関わりが多かったようです。「囁きの彼岸」を読んだのも、おそらくは私の知らない個人のやりとりに際してでしょう。
藍川が姿を消したのは、入部から1年後、彼岸花の咲き乱れる秋のことでした。当時
藍川の失踪から、石田はいっそう創作にのめり込むようになっていきました。学校や私生活での様子は以前と変わりませんでしたが、どこか公募に出すでもなく、ひたすらに何かを追うようでした。
卒業後、石田は遠く都内の大学に進学し、以降長く音信が途絶えていたのですが、2014年の末、私が帰郷した折に彼女の方から訪問があり、その際に「想思華」の原稿を預かりました。石田と交わした会話はそう多くありません。挨拶と、短い近況報告──別れ際の「さようなら」。他には何もありませんでした。
石田の捜索が始まった頃、以前お世話になった克良木先生にもう一度依頼をしようとも考えたのですが、助手の松葉さん共々、沙途崎の直線上にある
話を戻しますと、結局、2022年現在も石田は発見されていません。でも、驚きは不思議とありませんでした。この感覚は、藍川の時と非常によく似て……なんとなく、私は予感していたのでしょう。石田なら、藍川と同じ場所を望むだろう、と。
小説の話に移りましょう。
石田は元々、三人称を好んで使う書き手でした。初心者の彼女に藍川が勧めた方法でしたが、試行錯誤するうちに気に入ったようで、私の知る高校生の間は卒業までそのスタイルを変えませんでした。しかし、本作「想思華」において、石田は一人称を使用し、落ち着いた文体でイメージを喚起する比喩表現を多用する手段を採用しています。これはかつて藍川が得意とした表現方法で、石田が意図的に寄せていることは間違いないでしょう。
藍川に出会うまでの石田の映画や小説、漫画の嗜好は、抑制的で内省的なものよりもキャラクター主体の躍動感あるものに限られていました。それが藍川の影響を受けるにつれて、徐々に変化していったのは私もよく知るところです。高校卒業から失踪までの間に、石田の中でどのような心境の変化があったのかは想像する他にありません。ですが、ひとつだけ確かなのは、そこに藍川皐月の影があるということです。
「想思華」は、語り手の〝わたし〟によって〝あなた〟にまつわる記憶が物語られるという構図で進行します。文中から読み取れる情報を総括すると、次のようになります。
〈故郷を離れ働く〝わたし〟は、大切な存在であった〝あなた〟との間に死にも似た深い断絶を抱えている。決別しようとしたはずなのに、〝わたし〟は〝あなた〟と過ごした日々や交わした言葉を、喪失から何年もたった今も思い返す。〝わたし〟は〝あなた〟にまつわる記憶が色褪せるのを恐れながら、今も〝あなた〟を想っている〉
これに加えて、タイトルである「想思華」の意味も考慮すると、その主題はいっそう克明に浮かび上がります。「想思華」とは、数多ある彼岸花の別名のひとつで、韓国においての呼称だといいます。本文後半にある「想い思うこと」とはまさにこのことでしょう。名前の由来はいくつか考えられますが、そのうちのひとつに彼岸花の性質を表す「
それでは、いつ、どこで、誰が、何を、という基本要素に分割した上で、順に見ていきましょう。
【いつ】子供の頃、秋
これは冒頭の「また秋がくる」と「季節をくり返すほど」から、原作において主に描かれる季節が〝秋〟であることがわかります。また、同段落の「わたしは大人になってあなたを遠く置き去りにした」からは「囁きの彼岸」本来の時間軸が大人になる以前──まだ子供であった時期にあると読めるでしょう。
【どこで】彼岸花の群生地(モデルはおそらく
「
これらの表現は一様に彼岸花を指すものです。先に述べたように、私と藍川、石田の地元である
こうした土地の描写は個人の経験が如実に出る部分でもありますから、モデルとなったのは
【誰が】〝わたし〟〝あなた〟他
語りの主体である〝わたし〟と語られる対象である〝あなた〟が中心をなす一方で、「地に縫い止められたわたしたち」という表現から、離別した〝あなた〟を見送った存在は〝わたし〟の他にもいたのではないかと考えられます。
【何を】〝あなた〟の失踪、あるいは死に始まる〝わたし〟と〝あなた〟の特異な交流
「あなたは彼方へ薄れていく」「もうあなたの指先を掴むこともできない」からは、〝あなた〟がなんらかの要因で〝わたし〟と隔絶された場所へ去っていったことが窺えます。
「今年、あなたは死人になる」、は現実的な観点で言えば失踪宣告でしょうか。すでに遠く離れてしまった〝あなた〟が、〝今年死人になる〟という部分だけ見れば、一種の未来予知にも似た死の予見、あるいは宣告ともとれますが、後続する一連の描写を考えるとその線は薄いように思えます。また、「幽霊花、という別名を教えてくれたのは、あなたが同じ呼び名の存在になってから」という一文に含まれる「同じ呼び名の存在」は、素直に読めば「幽霊」と受け取ることができます。このことから、前述した〝わたし〟と〝あなた〟の隔絶は、表面上は〝失踪〟でありながら、実際は〝死〟であったと捉えることができるでしょう。
さらには「彼岸の花の咲く場所でなら、あなたに会えるような気がしていた」「あちらとこちらをつなぐ橋」から、彼岸花の咲く場所に限り〝わたし〟は〝あなた〟に会うことができた──そして「地に縫い止められた」生者たる〝わたし〟と、死して霊となった〝あなた〟は深い交流を重ね、最後には「あなたはわたしの手を優しく解き、
ここで登場する〝月の海〟も、彼岸花同様、
〈カグヤ信仰〉では、地上を〝此岸〟、宇宙を〝三途の川〟、月を〝彼岸〟と見たてて死者を送ります。すなわち、人間、特に
以上が本文から読み取れるおおまかな情報です。総括すると、「囁きの彼岸」は次のような物語として想像されます。
〈彼岸花の群生地がある土地に暮らす〝わたし〟は、死して霊となった〝あなた〟と秋の彼岸花が咲く場所で奇妙な逢瀬を重ねていく。〝わたし〟は絶えず〝あなた〟を想うが、やがて別れの時が来る。〝あなた〟は自らの意志で〝わたし〟の元を去っていく。彼岸花の揺れる夜の景色を、〝あなた〟は月の海へと還っていく〉
この小説を、失踪する前の藍川が書いたということがどのような示唆をもたらすのか、私には断言することができません。彼女はただ、
あなたたちの物語に、私の姿はあったのか、と。
「囁きの彼岸」に描かれたのが17年前の私たちであるのなら、これ以上に嬉しいことはありません。私にとってあの頃過ごした時間はかけがえのないものでした。閑散とした放課後、部室がわりの空き教室に行けば必ず藍川がいて、本の背表紙をこちらに向けたままにこりと笑いました。一緒に来た石田が先んじて中に入り、藍川と楽しげに話すのを私は後ろから眺めていて──その静かで穏やかな午後の景色が、17歳の私には何よりの宝でした。思い思いに本を持ち寄り、書いた小説の話をして、交わした言葉のぶんだけの温かな信頼を肌で感じる。ただそれだけのことが、どれほど私を助けたかわかりません。
地に縫い止められた〝わたしたち〟。石田が唯一残した三人目の痕跡は、彼女の消失によって変わってしまった。語られるべきはもう〝わたしたち〟でありません。落日に燃える紅の花、その記憶に囚われては空を見上げるのは、ひとりでしかあり得ないのです。
私だけが覚えています。私だけが、彼女たちを想ってここにいます。
1年生の秋、藍川に誘われて彼岸花を見に行った折に、彼女が教えてくれたことを覚えています。彼女は私たちの前でしゃがみ込むと、花を優しく包んで「二人は、知っているかな」と艶やかに微笑みました。それこそが「
私は「想思華」を二次創作と呼びました。しかし、それは藍川と石田を知り、彼女たちと日々を送り──それゆえに失われた原作を復元し得る私にのみ意味を持つものです。そしてだからこそ、私は石田があえてこの形式を採った理由を思います。敬愛した藍川の「囁きの彼岸」を前提とする本作を書き、姿を消す直前に私へと預けていった、その意味を。
はっきり言って、私は文化としての二次創作や昨今において求められる作法に明るくはありません。ですが、こうして今「想思華」を読み解き、そこに「囁きの彼岸」の残香を見出す中で、私なりに理解を得るところはあったつもりです。
描き出された物語は、悠久を行く時の果てに摂理として褪せゆくものです。原典はいつしか失われ、文字や口伝としての記録に変じ、人々の記憶となって忘却の川に埋もれてゆきます。物語には継承する語り手が必要です。語られることなくしては、どんな広がりも持つことはできないのです。
自身が愛し、無二の宝と抱えた物語が、無明の暗がりに失伝する恐怖は計り知れません。二次創作に至る動機は様々でしょう。好きなものを書きたい、何らかの形で残したい、他の地のあるいは未来を生きる誰かに知って欲しい──快楽に使命感、他者の要求に応える手段としてのものもあるかもしれません。しかし、そうして生み出されたものは、結果として〝今ここ〟へと至るのです。それらのささやかな痕跡のひとつひとつが、かつて存在し誰かに愛された物語の存在を、何よりも強固に示すのです。
藍川が石田に、石田が私に期待したのは、そういうことではなかったかと思います。
彼岸の囁きは、私にも聞こえています。あの頃無邪気だった三人は、同じ場所に在ることができないために物語で繋がりました。〝わたし〟と〝あなた〟が誰であったのか、今となってはわかりません。ですが、そこにいたかもしれない三人目は、きっと二人を……二人と過ごす時間を深く愛していました。
「想思華」を読み解くことは、過去との決別ではなく、かつて描かれた物語を愛し続けるための儀式でした。藍川皐月と石田繭。曖昧な疼痛は消えることなく、生涯私を苛むでしょう。
けれど、それで良かったと、今は思います。
さようならは二度も言えない。
だから私は、あなたたちの聲に耳を澄ます。
そうしてまた痛みのうちに、私はきっと思い出すでしょう。
高校生だった私たちの、懐かしい秋の景色を。
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