想思華 ──石田繭
「囁きの彼岸」に寄せて
また秋がくる。あなたを欠いた日々は滞りなく巡り行き、わたしは大人になってあなたを遠く置き去りにした。それだけが明らかで、それ以外には語る余地もない。季節をくり返すほどにあなたは彼方へ薄れていく。わたしの手は、もうあなたの指先を掴むこともできない。
盃は底を欠いたまま、満ちることなく零れ落ちる。ここに虚ろな未来があり、潤った過去の存在がわたしの渇きを証明している。呼吸を忘れ喉を掻くほどに、変わらない言葉ばかりがコンクリートの壁をなぞり、側溝に渦巻く波間に消えて行った。望郷と懐古は一輪の花をなして、廻る季節の合間に千切り数えては、再生する檻の中で永遠の時を眺めている。
だからわたしはここにいる。小川の緩やかな流れにさえも、逆らえなかった弱さがゆえに。
だから今も想っている。あの時間こそが、生涯最も愛おしむべきものであったと
今年、あなたは死人になる。
いつかは聲も聞こえなくなる。
彼岸の囁き。
別れの言葉と共に置いてきたはずなのに、記憶の中にはまだあなたの聲が漂っている。鮮烈な赤の花弁が揺れる川辺で、あなたと月を見上げた夜を思い出す。あなたはわたしの手を優しく解き、
地に縫い止められたわたしたちは、あなたに手を伸ばすことも叶わないまま老いて朽ちて消えてゆく。必然であったと口にするのはひどく簡単に思えたけれど、年月の波間にすり減ってなお、わたしはわたしから諦念を引き出せないまま。
昔日には、彼岸の花の咲く場所でなら、あなたに会えるような気がしていた。あちらとこちらをつなぐ橋。月に手向く葬送の花。しかしそれも、目蓋の裏に
わたしの今にあなたがいないように、わたしの明日にもあなたはいない。あなたが教えてくれたたくさんのことが、ずっとわたしを苛んでいる。でも、それが決して悪いことではないとも、わたしは知っている。
虚ろな日々は、わたしの頭の中にこそある。
春、同僚に誘われて桜を仰ぐときも、
夏、部屋でスイカの種を吐き出すときも、
秋、アスファルトに降る落葉を踏むときも、
冬、炬燵の中で本のページをめくるときも。
月の海、彼岸の景色はそばにあって、時々、現実を見失いそうになる。
幽霊花、という別名を教えてくれたのは、あなたが同じ呼び名の存在になってから。剃刀、死人、灯籠、狐、蛇と葬式に赤い蜘蛛と、海の女神。それから、想い思うこと。たくさんの比喩と形容があり、きっとどれもが相応しかった。わたしにとってのあなたが、花弁を摘む乙女の占いと似て、数限りある多義であったように。
だから、わたしはここにいる。
指先が花弁に触れる。ちぎったひとひらをそっと飲みこむ。
日が落ちて間もなく夜になる。月の海は、あの日のように輝いている。
さようならは二度も言えない。
だからわたしは、あなたの聲に耳を澄ます。
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