第8話 【現在】質問

 ワンonオンワン対決のあと、陽葵ひまりは車いすバスケの練習を見学させてもらった。途中でボール出しなども手伝ったりする。

 みおの紹介もあってか、練習に来ていたメンバーは陽葵にもあたたかく接してくれた。


 この前の試合では紅一点だった澪だが、今日この福祉センター体育館で練習しているのは皆女性だった。この地域で活動する女性クラブチームで、このあいだ澪が出場した大会のチームとは別のクラブチームである。澪が選手登録しているのはこちらの女性クラブチームのほうだそうだ。

 女子選手の練習環境充実の観点から、女子クラブチームで登録している選手が男女混合クラブチームに所属して大会に出場することも認められるようになったそうで、前回の澪はこのスキームを使って大会に出場したらしい。

 

 高校の部活動はもちろん、一般のプロスポーツなどと比べても選手の年齢層は幅広い気がする。さきほど澪に「青春の匂いがする」と話しかけていた女性も40代半ば以上に見える。

 澪はおそらく最年少だろう。

 SNS上では「キュートすぎる車いすバスケ選手」と持ち上げられたりしているが、チームのメンバーからは(可愛いキュートというより)可愛がられている印象だ。


 *****


 練習終わりのロビー。陽葵は自販機で買ったサイダーを澪に渡す。ワンonオンワンをしたあとは、こうやってどっちかがジュースやアイスをおごって、しばらく駄弁ってから帰るのがお決まりだった。


「陽葵、ちょっと太ったでしょ?」

「……そりゃ、高校生のときと比べたら、少しは、ね」

「2㎏ぐらい?」

「うっさい」

「あ、図星っぽい」

「うっさいっ」


 澪がクスリと笑うのにつられて、陽葵も口角が緩む。こうして澪と笑って会話できているのがとても懐かしい。


「私も車いすになってからは、前より気をつけるようになったよ。ほら、車いす生活だと下半身動かさないからさ、油断してるとすぐ太っちゃう」

「ほんとに? むしろ前よりスタイルよくなってない?」

「SNSで騒がれるくらいに?」


 澪はまるで他人事のようにネタにする。


「じっさい高校んときより注目されてるよね」

「だからダサい格好で出歩かないように注意してるよ。車いすだと、どうしても楽な服装を選びがちだからさ」

「楽な服装?」

「下半身が使えないと、ひとりで着替えるの大変だから。トイレも時間かかっちゃうし」

「そっか、なるほど」

「でも、みんなに見られてるって思うと、化粧も髪形も着こなしも、意識しないわけにはいかないじゃん?」


 車いすの障害者であってもオシャレには気を配るし、キレイでいたいと思う。澪にとっては当たり前のことなのかもしれないけど、その当たり前を実践することが澪らしさでもある気がする。


「どこで誰に何を撮られるか分かんないからね。おちおち鼻クソもほじれやしない」

「いや、鼻クソはほじんなよ」


 あれ以来3年間。ろくろく話もできない時間が続いていたのに、あのころと変わらない距離感で会話できてるのが不思議だ。

 連絡を絶ってきたのは陽葵のほうなのに、澪は嫌味の色を微塵も見せない。


「なんかあったの?」


 陽葵の表情を読み取って、澪が尋ねてくる。


「なんかってなに?」

「それはこっちが聞いてるんだよ」

「別に、なんもないけど……」


 陽葵がお茶を濁すと、澪はにんまりした顔で「ふうん」と返す。

 澪は残りのサイダーをごくっと飲み干すと、車いすで陽葵の前に出る。さきほどは電動で操作していた車いすだが、手で漕いで移動することもできる。


「もう1本勝負しよっか」

「勝負?」

「フリースロー対決」


 そう言うと澪は、空のペットボトルを放り投げる。放物線を描いたペットボトルは、自販機横のゴミ箱に見事すっぽりゴールした。

 ニタッと笑う澪の表情は、無邪気な子どもみたいだった。


「負けたほうの罰ゲームは?」

「勝ったほうの質問に正直に答える、ってのはどう?」


 陽葵が投げたペットボトルのシュートはゴミ箱のへりにはじかれた。


「私の勝ちだね」


 澪は落ちたボトルを拾い上げてゴミ箱に入れると、車いすをくるっと回転させて、陽葵のもとに戻ってくる。


「いいよ。聞きたいことがあったら聞いて」

「じゃあ、初エッチの経験について教えて」

「は? ちょっと待って、聞きたいことってそんなことなの?」

「そんなことって言い方しないでよ。大事なことでしょ? 私だって、こんな身体にならなかったら……」


 そう告げて、澪はしんみりと自分の膝の上を手でさする。その様子を見て、陽葵ははっとして息を呑んだ。

 下半身が使えないということは、そういう行為も不自由するということなのか。

 澪が「大事なこと」と口にした意味を、陽葵は噛み締める。


 ……と思ったら、澪は一転して軽快なトーンに戻り「ま、それは冗談だけどね」とケロっとして言う。


「冗談かよ」

「さすがにこんな場所でそんな話題持ち出したりしないってば」

「どーだか」


 澪はクスクス笑っているけれど、陽葵はその冗談のペースについていけていない。


「それで、聞きたいことって?」

「陽葵の初恋の相手について」

「初恋ねぇ」


 なるほど、そうきたか。初エッチと比べると、ずいぶんと答えやすい質問だ。あるいは答えやすくさせるために、あえてこういう順番で尋ねたのかもしれない。


「残念ながらいないんだよね」


 頬杖をつきながら陽葵は答えた。


「どういうこと?」

「そのままの意味。初恋っていうか、恋したことないから」

「うそ」

「ほんとだよ」

「じゃあ、漣ちゃんは?」

「漣?」

「漣ちゃんのことはどう思ってるの?」

「どうって言われても……。漣はただの幼なじみだよ。……てか、なんでそこで漣の名前が出てくるわけ?」

「漣ちゃんの初恋の相手が陽葵だから」


 澪は平然と言いのけたけれど、陽葵の背筋をピクッと伸ばすには十分じゅうぶんだった。


「へえ、漣の初恋の相手って私なんだ」

「知らなかったの?」

「澪は知ってたの?」

「しばらく前に漣ちゃん本人から聞いたよ」


 漣のやつ、澪にそんなこと話してたのか。話したって特段メリットもないのに。初恋相手の話をしたということは、もしかして3年前の手紙のことも打ち明けてしまっているのだろうか。


「漣が私のことを好きだからって、私が漣のことを好きとは限らないでしょ」

「それはそうだけど……。てっきり両片想いだったんじゃないかって疑ってたから」

「どうして?」

「陽葵が私のことを避けてるみたいだったから」


 ズキリと胸が痛くなる。当然とはいえ、やはり澪は陽葵に避けられていると感じていたのだ。


「私が漣ちゃんと付き合い始めたのって、3年前のあの事故のあとだったじゃん」

「うん、おぼえてるよ」

「陽葵と話す頻度が減っていったのもそれくらいの時期だった」

「澪はしばらく入院とリハビリがあって、私も部活引退して受験勉強必死になる時期だったから、会う機会が減ったのは仕方が無かったんじゃない?」

「でも、受験終わってからも全然会えないままだった」

「……」

「車いすバスケの試合があるときは『よかったら観に来ない?』って誘ってきたけど、だいたい断られちゃってたよね」


 しだいに澪も声をかけなくなっていった。

 スマホの履歴を確かめると、1年ほど前あたりか。マメに来ていた連絡が、そのあたりの時期から目に見えて減るようになった。


「そっか、もう1年くらいになるのか。そのくらいの時期だよ、私が漣ちゃんから初恋の人が陽葵だって教えてもらったのは」

「え? じゃあ、なに? 連絡の頻度が減ったのって、それが理由だったの?」


 陽葵から連絡をすることは極端に少なくなっていたし、澪から誘われてもナシのツブテだった。だから愛想を尽かされたのだろうと思っていた。


「私が漣ちゃんを奪っちゃったから、それで陽葵は私と会いたくないのかなって、そう考えてた」


 漣が陽葵に片想いしていたという話を聞いた澪は、じつは陽葵のほうも漣に片想いしていたのではないかと考えた。

 いわゆる両片想い。

 陽葵が澪を避けるようになったのは、漣と澪の二人が付き合い出した時期だったから。そして漣の初恋相手がじつは陽葵だったから。もしかしたら陽葵も漣のことを好きなのではないかと疑った。そう考えれば、陽葵が澪を避ける理由を説明できた。

 陽葵と漣は、口ではけなし合うこともあるけれど、長い付き合いだけあって心腹しんぷくの友ではある。その関係性に恋仲を見出したのだろう。

 

「漣のことは関係ないよ。ほんとにね」


 陽葵は語り始めた。




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