第6話 【現在】ハーフタイム
「ありがとね。
コートの側に目線を注いだまま、
「なんだよ、改まった感じで」
「まだちゃんとお礼述べてなかったなぁっと思って」
「それって、お前が礼を言うことなのか?」
「でも、澪がこうして頑張ることができたのは、きっと
「頑張ったのは澪自身だよ。それに、むしろ俺のほうが澪から元気を貰えてたくらいだ」
漣が澪のことを「澪」と呼んでいる。高校時代は苗字で「佐藤」って呼んでいたのに。
「漣がそばにいてくれて、いつづけてくれて、すっごく力になったと思う」
試合の歓声がどっと湧いた。澪がフック気味のシュートを決めたところだ。紅一点ながら、ちゃんとチームに貢献できる一員となっている。
澪のシュートはこれまで何度も見てきた。練習も含めれば何百本、何千本と見てきたはずだ。もしかしたら、高校時代いちばん多く見てきたシュートは澪のものかもしれない。チームにリズムを与えてくれたシュート、ここぞというときにビシッと決めてくれたシュート、劣勢の流れを変えてくれたシュート、何度も繰り返した練習のシュート、陽葵と数を競い合ったシュート。
それだけたくさん見てきたシュートのはずなのに、今日の澪のシュートはこれまでのどの一本とも違って見えた。
どうして澪が一本シュートを決めただけで、こんなにじんわりするのだろう。どうして胸が熱くなるのだろう。
「澪、いい笑顔するよね」
とくにゴールを決めた瞬間は最高だ。
「これからもそばにいてあげてね。それだけできっと、力になるから」
「なんなんだよ、さっきから」
「感謝してるよ、ほんとに」
男子プレイヤーに混じって健闘する澪を見る。障害でクラス分けされてるってことは、障害が軽いからU25に選ばれたってわけじゃないんだよね。
しばらくはそのまま試合の成り行きを眺めていたが、やがて漣がボリュームを絞った、しかしきちんと耳に届くほどの声で言葉にする。
「もし俺に感謝してるってことなら、今度は俺の頼みを聞いてくれない?」
試合は1ゴール差にまで点数が接近した後、その均衡を維持していた。どちらのチームも点数を取り合っているのに、点差がそれ以上に離れない。ひとときも目を離せない好ゲームだ。
「やっぱすごいね、澪のやつ」
澪のプレーを見ながら陽葵はつぶやく。
漣はなにも言わない。なにも言ってこない。
試合に夢中になっているフリをして、このまま蓮の発言をシカトすることもできるだろう。漣も半ばそれを承知しているはずだ。聞こえなくてもいいような、聞こえなかったことにしても不自然でないような声量だったのだから。
「なに? 頼みって」
それでも尋ね返したのは、なにかを期待していたからかもしれない。
漣のほうに向きなおって、陽葵は訊き返した。漣は一瞬こちらに目線を向けたかと思うと、再び視線をコート上へと戻す。
ショットクロックの24秒とともに放たれたシュートがリングのネットを揺らした。ギリギリのタイミングで決まったスリーポイントシュートに会場が湧く。1ゴール逆転の点数差。
陽葵も試合に目を戻す。
「今度一回、俺とデートしてくれよ」
ほどなくして第2クオーター終了のブザーが鳴り、10分間のハーフタイムに突中した。漣が口を開いたのはその直後のタイミングだった。
「髪はロングのほうがタイプって言ってなかったっけ?」と陽葵は皮肉を込める。
「高校に入ってからだろ。お前が髪を短くしたのは」
「そうだっけ? 憶えてないな」
「もし陽葵がずっとショートだったら、ショートが好みだって言ってたよ」
ああ、そういえばそうだったかもしれない。陽葵が髪を切ったのは、漣がロングの髪形を好きと発言したのを聞いたあとだった。
「でも今は澪とうまくやってんでしょ?」
「まあ」
「だったら堂々と浮気すんなっつの」
「浮気じゃなかったらいいのか?」
「……なにそれ? どういう意味?」
「澪と別れろって言うんなら、別れてもいい」
「冗談はやめて」
「冗談なんかで言ってない。陽葵だって俺の気持ちに気づいてたろ?」
「ッ、知らない」
唾でも吐くように、あくまで陽葵はシラを切った。さっき漣から「初恋の人」と言われたときに、驚きこそしたけれど意外ではなかったのは、なんとなく察してはいたからだけど。
陽葵の態度に、漣はやや眉間を険しくする。そして呆れるようにため息をついた。
「あのときの手紙、まだ持ってるぞ」
今度は陽葵がため息をつく番だった。
「それを持ち出すのはズルいよ」
「付き合ってくれと言ってるわけじゃない。一度デートしてほしいってだけだ。ささやかなお願いだろ?」
ささやかなお願い。それはそのとおりだ。3年前、「澪のこと頼むね」と頼んでから、漣は澪と伴走してきたのだ。あのときのお願いと、その後の3年間の重みに比べてら、間違いなくささやかなお願いだと言えるだろう。
手紙を渡したときのことを思い出す。
あのとき漣が陽葵の頼みを断らなかったのは、それが他ならぬ陽葵の頼みだったからではないか。好きな人からのお願いだったからこそ、漣は断れなかったのではないか。
そして陽葵は、漣の気持ちを利用しただけではないのか。
「分かったよ」と陽葵は観念して答える。
「でも、その前にひとつ聞かせて」
「なんだ?」
「ほんとに今でも私のこと好きなの?」
3年間抱えたままの爆弾の、そのスイッチを押すなら今か。
「じゃなかったら、デートに誘わねーよ」
しかし漣は平然と答えた。
「じゃあ、澪のことよりも私のほうが好き?」
「そういう言葉が聞きたいなら、何遍でも言ってやるよ。俺は陽葵が好きだ。澪のことよりも、陽葵のことのほうがずっと好きだ」
むず痒い。そういうセリフを堂々と言えるようになりやがって。
「澪のこと、満更でもなかったくせに」
そんな言葉を口走ってしまう。
「そりゃそうだ。腹ペコの状態のときに、モンドセレクション金賞のスイーツを差し出されたら、誰だっておいしいって感じるさ」
「澪がモンドセレクションなら、私は駄菓子屋で売ってる10円菓子か何かかな」
「そうかもしれないな。子どものころからずっと好きって意味では」
「……」
「澪は気立てのいいやつだし、あの見た目と振る舞いならSNSで人気になってるのも納得するよ。けど、俺がずっと好きだったのは、」
その後に続く言葉を聞きたくなくて、陽葵はとっさに遮ってしまう。
「なら、この3年間は負担に感じてたの?」
言い終えてから、陽葵はハッとしてしまう。口にすべきでないことを言ったからではない。負担に感じてたのは、澪のことを疎ましく思っていたのは、他ならぬ自分じゃないか。自責の念がもたげたからだ。
けれど漣は動じず、毒気を抜くようにやさしく返す。
「澪のことを負担なんて思ったことはないよ」
そして「4回くらいしか」と冗談を付け加える。5回だったら退場だったとでも言いうように。
「2人で買い物に行ったときに、デートじゃなくて介助だと勘違いされたのはちょっとショックだったけどな」
デートプランは車いすでも楽しめるかどうか、車いすの動線が確保できるかどうか、というところから考えるという。
「今じゃ車いすバスケの選手として活躍できてるけど、澪も初めから順風満帆だったわけじゃない。とくに最初のうちは思うように行かなくて情緒不安定になることも多かった。あんまり表には出さないやつだけどな」
「弱音を吐こうとしないタイプだもんね。恋愛相談とかなら、されたこともあったけど」
「一度、澪に訊かれたことがあったよ。『私に優しくするのはどうしてなの?』って」
「へえ」
「『私のことが好きだから? それとも、私のことが可哀そうだから?』。澪のやつ、そんなふうに尋ねてきた」
「なるほど、それは相当メンタル弱ってるね」
「だろ? 事故に遭う前の澪だったらそんなことは言わなかっただろうし、いまの澪からもそんな発言は想像できない」
「それで、何て答えたの?」
「『澪のことが大切だからだよ』と答えた」
「ふうん」
「嘘は言ってないだろ?」
「いい言い方だこと」
「それが4回のうちの1回だよ。さすがに『陽葵に頼まれたから』なんて答えられないからな。いやー、心苦しかったよ」
まるで感情のこもっていないトーンで「心苦しかった」と漣は言う。全然つらくなどなかったかのように。陽葵の抱く罪悪感を和らげるかのように。
幼なじみで、いっぱいケンカもした仲で、邪険にしてしまうことも少なくなかった。けれど陽葵は、これ以上漣にキツく当たるわけにはいかないなと思うのだった。
第3クオーター開始を告げるブザーが鳴るところだった。
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