第4話 【回想】手紙

 れんから連絡があったのはその直後、陽葵ひまりが病院を出ようとするタイミングだった。お見舞いに行きたいからと、病室の場所をラインで尋ねられた。もう病院には向かっている最中という。

 漣への返信をしながら、陽葵はみおの病室へと取って返した。これから漣が来てくれると伝えれば、澪はきっと嬉しがるだろうと思ったからだ。試合を応援しに来てくれると聞いてほほを赤らめていた姿を思い出す。そんな様子を眺めつつ、ちょっと茶化してやろうと考えた。

 けれども陽葵は病室の扉で足を止めることになった。カーテンの向こうから、涙をすする音が聞こえたからだった。相部屋の病室は、それぞれのベッドを囲むようにカーテンが取り付けられている。

 陽葵がさきほど閉じたカーテン、澪がいるはずのベッドからすすり泣きの音がしているのだった。


 陽葵はそのまま病室の中に踏みることなく、きびすを返す。

 病院のエントランスから出たところで、ちょうど来たばかりの漣に出会った。

「なんだ、陽葵も来てたのか」と言う漣に対して、「まあね」と陽葵は不愛想に返事を返す。

 女子バスケは純粋にトーナメント方式だが、男子バスケはトーナメントでベスト4まで決めたあと、最後は決勝リーグで順位を決める。上位2校がインターハイへの切符を手にし、上位3校までは東海大会も待っている。

 ただ漣のチームは決勝リーグ前に敗退、3年生は部活を引退していた。

 部活の練習もなくなって、漣はふだん見慣れたジャージ姿ではなく、小ざっぱりした私服を着ていた。


 そのまま流れで一緒に病室に向かうことになったが、陽葵は「ちょっと待って」と引きとめて、〈いま漣とばったり会ったから、一緒に行くね〉とラインし、既読が付くまでしばらく待つ。


「なに待ち?」

「女の子にはいろいろあんのよ」


 少し経って、澪から欣喜雀躍きんきじゃくやくのスタンプが返ってきたのを確認してから、二人は病室に向かった。


「ありがとう〜! 来てくれたんだ~」


 澪の様子はさっきと変わるところがない。いや、むしろ漣が来た分だけ明るさが増している。シュートを決めた直後みたいな笑顔を彩っている。

 それでも――。

 戻ってくるまでの少しの時間だったというのに、ゴミ箱に入っていたティッシュの量はあきらかに増えている。注意して見るなら、目元も赤みも隠しきれていない。


「じゃあ、ワリにすぐ退院できるんだ?」

「うん。リハビリっていうより早く生活に戻ったほうがいいって先生も言ってるし」


 漣ともごく自然に会話している。チームメイトとしては心強いことこのうえなかった精神力が、今は逆に陽葵の心を不安にさせる。

 気丈に振る舞う澪を見るうち、陽葵はいたたまれなくなって席を外すことにした。「ゴメン、そろそろ時間ヤバいから」とだけ告げ、澪と漣をそのまま残して帰る。急ぐ用事があったわけじゃない。なにかテキトーな理由を拵えてその場を離れたかっただけだ。

 自分のメンタルがこんなにももろいことを、陽葵はそれまで自覚していなかった。

 あとでスマホを確認すると、澪からは「気を遣ってくれてありがと」とのメッセージが来ていた。


 *****


 漣から相談されたのは翌日のことだった。

 陽葵の教室までやってきた漣は「今日の放課後、ちょっと話したいことがある」と告げてきた。


「女バスはまだ練習あるんだけど」

「そんな時間は取らせないよ」

「だったら今ここで話したら?」


 漣はちらっと周りを見わたす。


「周りの目のないところで話したい」


 教室の入口で話す陽葵たちは、何人かのクラスの目線を集めていた。陽葵がジロっと見つめ返すと、彼ら彼女らは慌てて目をそらす。

 無関心を装いつつ、陽葵たちの会話に耳をそばだてていそうだ。漣が含みのある言い方をしたから、きっと誤解している人もいるだろう。

 どこのクラスにも、他人ひとの恋バナに興味津々なやつというのはいるものだ。


「もしアレだったら、部活終わるまで待つよ」

「いや、いいよ。あとでラインするからその場所に来て」


 陽葵はそれだけ伝えて、漣を立ち去らせる。

 案の定というか、漣がいなくなるとすぐ、クラスの友達が駆け寄ってきて訊いてくる。


「ねえねえ、今のバスケ部の子だよね。前から仲良さそうだと思ってたけど、もしかしてついに愛の告白?」

「そんなんじゃないってば。仲良いのは幼なじみで、同じくバスケやってるってだけだから」

「でも、連絡先知ってるのに、わざわざ会って話したいって言ってくるなんて、やっぱそういうことなんじゃない?」

「ぜったいそんなんじゃない」


 澪が入院して、しかもお見舞いに行った翌日。こんなタイミングで本当に告白なんかしてきたら、水でもぶっかけてやろうかと思う。

 好事家こうずかな友達は放っておいて、陽葵は自分の席に戻った。


 *****


 教室や図書室だと放課後も自習で残る人がいるから喋れないし、学校の屋上は立入禁止、廊下や中庭も人の行き来がある。人に聞かれず話ができそうな場所っていうのは思いのほか浮かばない。

 結局、部室棟の裏の奥まった空き地に来てもらう。

 ジメジメした日が続く中で、比較的カラッとした日だった。


「昨日は急ぎの用事でもあったの?」


 開口一番、漣が訊いてきたのはそんなことだった。


「別に、午後練があっただけだよ」

「練習までまだ余裕あったろ」


 陽葵のことを責める口調ではない。どちらかと言えばダダをこねるというか、ワガママを抑えているような言い方をした。

 あたかも陽葵がいなくなったのを寂しがるかのような。


「なんかあったの?」


 陽葵は漣に尋ねる。


「なんかあったのかって言われたら、なにかがあったわけじゃねーけど」

「なら、何?」

「佐藤って俺のこと……」


 そこまで言いかけて、肝心なところで漣は口をつぐむ。


「なんか言われたの?」

「昨日お前がいなくなって二人だけになったとき、あ、いや、二人だけって言っても相部屋だから他にも人はいたんだけど、」

「いちいち補足しなくてもわかるって」

「おう。それで佐藤と俺の二人だけになったとき、佐藤がぼそっと呟いたんだよ。『陽葵、気を遣ってくれたみたいだね』って」

「それで?」

「それでって、それだけだけど。そのあとはしばらく佐藤の話し相手をしてた。入院中は喋る相手が少ないから、俺が来てくれて良かったって、そんな感じ」


 妙にキョドった言い方をする漣。さっきから目線の動きや手の置き位置が定まらずせわしない。

 こんな反応するヤツだったんだなと、陽葵は興味深げに眺める。


「俺だって、そんなにニブくはねーよ」


 ようやくにして、漣は吐き出すように言った。

 ラインで済ませられないような話題で、わざわざ放課後に人を呼び出して、人目のないところで話したかったこと。

 今度はしっかり陽葵のほうを見据えて漣は言う。


「俺だって、そんなにニブくはない。なんとなく気づいてはいたよ、佐藤が俺をどう思っているかくらい」

「なんだ、気づいてたんだ。気づいてて、気づいてないフリしてたんだ」


 今度は陽葵が目をそらす。

 くたびれた塀のすき間から、野草がニョキっと顔を出しているのが目についた。恋バナをするには、あんまり雰囲気の出る場所ではないなと、いまさらながら感じる。

 漣は澪の恋心に勘づいていて、そのことを相談するつもりなのだ。


「どうしたらいいと思う?」

「なんで私に訊くんだよ」

「俺の幼なじみで、かつ佐藤の親友であるお前の意見を訊いておきたい」


 なんだよ、それ。

 さっきまでたどたどしいところを見せてたくせに、意を決したのか、今はまっすぐした眼差しを向けてくる。

 お前の意見を訊いておきたいって、人の意見で自分の意思決定を変えるつもりなのか?

 そういう言い方をするのなら、意地悪を言ってやろうと陽葵は思った。


「私は澪の悲しむ顔は見たくない」


 陽葵は自分のバッグから、おもむろに手紙を取り出した。その手紙を漣に手渡しながら、「澪のこと頼むね」と告げる。

 淡いパステルブルーの色をした手紙だった。

 漣はなにも言わず手紙を受け取ると、意図をうかがうように陽葵の顔を見返す。


「その手紙、あとで一人になったときに読んで」


 陽葵はそれだけ告げると、練習の待つ体育館へと足を向けた。



 漣と澪の二人が付き合いだしたのはそれから間もなくのことだった。




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