3-5
「おかえり」
立ち尽くす俺の背後から、声がかかる。
暗い廊下。
辺りは夜の帳で満たされ、視界には消火栓を示す赤い光と、非常口へと導く緑色の光だけだった。
「……、どれくらい、経った?」
「三日。今日戻ってくると思ったよ」
それ以上、木陰はなにも言わなかった。
無言で、互いに示し合わせたように廊下を引き返す。
先導するように歩く小柄な影をついて行くと、職員玄関の無機質な明かりがみえてくる。
腕を組んで待っていた大人──ミワタリ先生だ──が駆け寄ってくる。二度目ともなれば、驚きの反応も薄い。
「──どうしたんだい?」
「すこし、思い出に浸りすぎたようです。シオンさんの言う通りでした」
「……」
会話の節々に気になる部分が交じる。しかし、そのどれもが霧散していく。
頭のなかがぐちゃぐちゃで、どうにかなりそうだった。
どうにかなってしまえと思った。
今までの勘違い。
今までの失敗。
今までのすれ違い。
忘れさせられていたとはいえ、やはり自分を許せそうにない。魔法使いがさし向けたひたむき過ぎる感情は、俺にとってはこの上なく光栄なモノだ。どれだけ拗らせていても、どれだけ秘密に覆い隠されていても、自分にとっては大切と言える。刻んだ足跡を見返してみても、やはり魔法使いは必要不可欠だった。
それだけに、やはり自分が恨めしい。
この虚無感は罪の表れに違いない。もっと知っておきたかった。柱に頭を打ち付けてでも思い出すべきだった。
魔法使い。これも君の思惑どおりなのだろうか?
思い出を取りこぼしてきたこの道が、君にとっての正しさなのだろうか?
……そうなんだろう。魔法使いの選んだ手段がコレなんだろう。そして、選ばせたのは他でもない俺自身だ。
記憶のなかの彼女は、『夢』を野望として語っていたけれど。俺にとっては希望とか夢とか、そんなのどうでもよかった。
俺の人生は、常にやり直したいことで埋まっている。
だが。
魔法使いが未来に賭けたのなら、俺も賭けるしかないじゃないか。
外に出ると、真っ黒な空に月が浮かんでいた。
今日は満月に近くて、周りの星々も心なしか薄い気がする。
校舎がみえなくなるところまで歩いて数分。静かな夜空から視線を落とし、前方を見据えた。運んでいた脚に力が戻ったような感覚がする。
胸の奥は、ストンとピースがはまった風に定まる。
腰は重いし、正直コレ以外の方法があるのならそっちに逃げてしまいたい。
だけど、こうでもしなければ復活できないのなら、迷うことはない。俺はなにを犠牲にしてでも成し遂げよう。
ひとつの決意を経た途端、すこしだけ心が軽くなった。やはり魔法使いを想う自分を、俺は裏切れないらしい。
そのタイミングを見計らってか、ずっと黙り込んでいた木陰が振り返った。
小川の傍、周囲には点々と住宅が並んでいるが、田畑の占める範囲のほうが大きい。頭上から降り注ぐ唯一の光源をさえぎるものはなく、また視界に交じる余計な明かりもそこにはない。
暗い帰路で立ち止まった俺に、木陰はソレを軽く放った。
闇に慣れた目が緑色の鈍い反射を捉え、キャッチする。手の中を覗き込んで、俺は「なぜおまえが」と見返した。
「君の妹から。ミノリから譲り受けたらしいよ」
「……由乃が?」
改めて視線を落とす。
割られた教会のステンドグラス、その破片。ブルーローズの葉。繋がれた紐も、怪我をしないように削った角もそのままだった。
「ボクを介せず直接渡せばいいんじゃない? って提案してみたんだけど、頑なに断ってね。だから代わりに渡すよ」
「嫌われてるな、俺は」
苦笑しながらポケットに仕舞う。
木陰は微笑んで、歩き出した。足音がふたつ、また聴こえはじめる。
「そうじゃないさ。彼女は嫌っているわけじゃないよ。きっと自分が赴けば、抑えられないんだろうさ」
「抑えられないって、なにを」
「自分を」
教えられて、そうかと腑に落ちる。
「本心では、こんなことしてほしくないんだもんな。そりゃあそうか」
東屋で交わした会話は耳の奥に残っていた。妹の不安な声音や、取り繕って前向きに振る舞う仕草が。
「君の戻ってくる気配はソレが教えてくれた。シオンちゃんの
「……具体的には?」
「魔女は大切な思い出を自分だけの宝物にしておきたいらしい」
自分だけの……。
表現を反芻して、ため息が漏れる。
「君に対する固執は深い。とてもボクらじゃ測れないくらいにね。同時にその拗らせ方といったら手のつけようがないのさ」
「ずいぶんな物言いだな。まるでさっきの光景を覗かれていたような気分だ」
「ってことは、もう理解しているんだね。君にかけられた忘却の魔法、その意図を」
一度、目を閉じる。
心の奥を整理して、薄く前を向いた。
「魔法使いも、きっと俺のやり方は嫌っている。だから消したんだ」
「……」
「それでも選択肢として残した。本心を、思い出ごと忘却してまで隠したというのに」
彼女は矛盾している。
関係が深くなればなるほど、俺は自己犠牲に走ってでも救おうとする。誰の目からみても明らかだった。自分に──三上春間という存在にそんなことをさせたくないからこそ、魔法使いは固執を隠した。
それは一種の抵抗だろう。
『命をひとつ
犠牲になってほしくない。苦しんでほしくない。そんな優しさ溢れた抵抗、動悸。
でも可能性があるのなら。それしか方法がないのなら。自身の欲望を押し殺してでも実現させたい。記憶を消したのも、風鈴の魔法に隠したのも、その結果。
……魔女の本心がそれなら、やるべきことは決まっている。準備もそれなりにできている。
「短くも透き通った数年間、その裏に隠された葛藤に、俺は答えを下す必要がある」
俺がこれからしようとしていることを察しながら、木陰は明言することはなく。ただ無言で、緩やかに歩みを進めていた。
住宅街へとさしかかる。
徐々に増していく人々の生活、建物のあちこちから日常の明かりが見てとれた。
考えごとをしていたのか、それとも俺の決断を噛み砕いていたのか、黙っていた木陰が言う。
「君は、」
珍しい。
美術室のベランダでも雨音に包まれた教会でも、彼は迷いなどみせなかったが。
今の木陰は意外なほど言葉に迷っていた。
「君は、置いていかれる側から、置いていく側になるんだね」
その表現に、俺は無言の肯定を返した。彼は汲み取って、「そっか」とため息混じりに納得する。
「仕方ないさ。わかりきっていたことだろ」
「そうかも、しれないね」
また、夜空をみあげる。
月の光と囲む黒色。魔法使いの心象を表すかのようにもみえ、空気は冷たく澄んでいる。教会で描かれたキャンバスを、そのまま引っ張り出したような良い夜だ。
魔法使い。
君が遠ざけ、隠した本心に対する返答を、俺はずっと持ち合わせていた。片時も忘れることなく、背中を押す熱だ。
木陰の声が、空を背景に流れた。氷を丸呑みしてしまったような、痛々しい声色だった。
「ねえ三上。質問に答えてくれないかな」
「……」
「きっと君はボクの問いを否定するだろう。そんな程度の問いかけさ。でも、ボクは訊かずにはいられない」
「言ってみな」
「そのやり方は、ボクのやり方と何がちがう?」
「はは、」
俺は誤魔化すようにちいさく笑って、答えてやった。
「ちがうさ。何もかも。同じようにみえる手段も、見据えた未来も。そして、選びとった最適解も」
木陰が口を閉ざす。
彼の淡い期待を裏切って、俺は深く息を吸い、吐いた。
「なぁ、木陰」
「……なんだい」
「現実っていうのも──案外悪くなかったよ」
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