四章 午前十時の鐘の音

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 夏休み最終日ともなると、苛々いらいらを感じさせる季節もそれなりに寂しく感じてしまう。

 教会でほとんどを過ごしていた私にとって、夏休みに恩恵はあまり感じない。でもこうして振り返ってみると、今年の夏はとても楽しい時間を過ごせていた。三上さんとその妹さんに、木陰さんに、そして情報屋を営むふたり。今まで停滞していた他人との繋がりが、再び浮き上がってきたかのようだ。

 少なくとも魔女が死んだあとにやってきた最初の夏は、気分も天気も沈んでいたように思う。あの頃の毎日を写真にしたら、きっとどれも灰色だ。

 ともかく、こうやって名残惜しく感じてしまうのは私だけではなかったらしい。数日前に、みんなで集いご飯でも食べようという話になった。

 場所は三上さんのお母様が提供してくれて、今日の昼から予定されている。宅配ピザやら瓶ラムネやらも揃えるらしいが、それとは別にシェフもご要望のようで、おそらく私はキッチンに立つことになるでしょう。簡単なサラダとか、つまみながら食べれるものがいいだろうか。なんて頭で考えながら、若干ソワソワとした気持ちになっていた。

 やはり孤独に慣れたといっても、こういうイベントは楽しみなのだった。いつもより早く目覚めてしまうくらいには。


 ぼーん、ぼーん、重い音が空気を震わせる。

 年季の感じられる振り子時計が、荘厳な音色を奏でる。時計から窓へと視線を移し、眩しさに目を細めた。

 朝の十時は、私にとって正午とそう変わらない明るさだった。


 ……そういえば、三上さんは、昨夜帰宅したらしい。

 木陰さん曰く、とてもご傷心とのこと。なので、今日の集いは『三上さんを慰める会』という名目だったりする。

 彼は、みたものを明かさないかもしれない。好きな女の子のことは頑なに秘密にしたがる性分なのは言うまでもなかった。

 それでも、大切な友人だから。

 道に迷っているのなら、喜んで悩みを聞こう。傷ついているのなら、陽気に元気づけてあげよう。

 シオンさんという最終兵器もある。私たちにしかできないことが、きっとあるはずなのだ。


「シースーター! あーそーぼー!」


 ゴンゴンゴン、と強めに部屋の扉が叩かれたのは、十時過ぎごろのことだった。私は盛大なため息をこぼし、玄関へ向かう。

 生活スペースと礼拝堂を隔てる扉を開けると、木陰さんと妹さん、シオンさんが待っていた。


「あなたはもっとこう、おごそかな雰囲気に合わせるとかはないのですか?」


 開口一番、私はシオンさんに苦言する。


「だって礼拝とかしないし、エセシスターも人間であることに変わりはないのだから、どうせ部屋着でダラっとしてるでしょう! なんて思っていたのよ!」


 びし、と指をさされ、私は冷ややかに睨む。


「ダラっとしてません。規則正しい生活リズムです」

「そうみたいね! このシオン様が予想を外すなんて、猿も木から落ちるとはこのことかしら!」

「はいはい。あと声でかいです。反響して頭が痛くなるので抑えてください」


 私がこめかみを押さえると、シオンさんは黙り込んだ。素直に従うあたり、やはり育ちの良さがうかがえる。かと思うと、今度はキョロキョロと周囲を眺めたり歩き回ったりする。前言撤回、あまり反省の心はなさそうだった。


「はぁ……先が思いやられます」

「まぁいつもあんな感じですから。お兄ぃも諦めてるよ」

「はは、三上は三上で、上手に付き合えてると思うよ僕は」


 なんて苦笑する木陰さんと妹さん。私は「そうですね」と笑みを返した。

 半袖のパーカーを着た彼に、涼しそうなワンピース姿の年下。こうして並んでいるのがなんだか不思議で、なおさらくすりとしてしまう。

 ふたりはもともと荷物持ちだったのだけど、シオンさんは特についてくる必要はない。しかし友人と買い出しという行為は大変興味があるらしく、こうしてついてきた。

 彼女は情報屋として幅広い交友関係がありそうだけど──反面、こういった深い仲が出来るのは初めてなのかもしれない。


「……三上さんとシオンさんの相方は?」

「三上はもう少し寝るってよ。昨日も夜遅くまで起きてたからね。情報屋――ヨーグルト好きの彼はデートらしい」


 なるほど。

 夏休み最終日まで駆り出されるとは、情報屋も予想以上に『恋』に関わる生活をしている。仕事も、プライベートも。学業は大丈夫なのだろうかと気になったりしなくもない。

 三上さんについても、詳しい話はあとで伺おう。

 私は木陰さんにカギを渡した。


「すぐ用意しますので。木陰さん、礼拝堂の戸締まりをお願いしてもよろしいですか?」

「もちろん、裏口で待ってる」


 生活スペースである自室は、礼拝堂への出入り口と裏口の扉に挟まれていた。あまり使うことはないが、こういうときは手っ取り早く済ませるため裏口から外出する。私は木陰さんたちと別れ、扉を閉めた。

 待たせないためにも、急ぎめで準備をしなければ。私はマイバッグを肩にかけ、スニーカーを履き外へ出た。


 そういえば。

 妹さんは、まだステンドグラスの破片を持っているのだろうか。


 またひとつ、今日の話題リストがひとつ増えた。




 教会から最寄りのスーパーまでは、歩いて十五分はかかる。

 会場である三上家のある方角は反対側で、しかも道路に陽炎かげろうを浮かばせるような季節だ。気持ち的には遠いような気がする。ただの買い出しにこの人数は必要だろうか? なんて考えたけれど、この日光の下、両手に荷物をもって移動するのは命がけ。ひとり騒がしいヒトがいることに目を瞑れば、心強い味方なのであった。

 私の手料理に興味があるとのことで、道中の会話は割と弾んだ。


「パエリアって、あのパエリア……!?」

「パエリアはパエリアです。今日お出ししようかと。そんなに驚くことですか? ジャングルに眠ると言われる秘宝じゃあるまいし」

「いや、いやいやいやいやなに言ってるのあなた! パエリア作れるなんてさすがじゃない!」

「そ、そうですか? 言うほど難しくは――」


 と謙遜するが、まえを歩くふたりからも声があがる。


「ミノリの手料理は美味いよ。ボクが保証する」

「あたしも保証できる。去年も堪能した」


 私は気恥ずかしくなって、ぽりぽりと頬をかいた。

 生きていくために必要な技術を身につける必要があったから、こうなっただけ。個人的な見解としてはそんなに褒められることだろうか、と思う。

 しかし、改めて言われると嬉しかった。


「情報屋のデータベースによると、男は料理のできる女に魅力を感じるという調査結果がでているわ! 昔から胃袋を掴む手法は変わらないわね! 情報屋に『気になるコの料理の腕を知りたい』なんて依頼をしてきた男子生徒がこれまでに五人はいる!」


 シオンさんが興味深い情報をひけらかした。

 それに、妹さんは歩きながら「へぇ~」と声を漏らす。情報屋という営みをしていると、やはりそういった事情に突き当たるらしい。

 古くから、『男は仕事、女は家庭』という考えは日本に根付いている。最近ではあまり良しとする意見は聞かない。男性も女性も働かなくては生活が苦しい、という現実がそこらにたくさん蔓延っていることも関係しているだろう。

 それでも、やはり家庭的な一面に男性が惹かれるところはあるらしい。


「ちなみに依頼してきたソイツは、提供した情報を知って、苦い思い出になったみたいだけど!」

「情報屋は恋のキューピッドじゃなかったんですか……」

「相手の女の子もまた片想い中だったの、仕方ないでしょ。それに相談に乗ってくれとは言われなかったもの、真実を伝えたまでよ!」


 はは、と木陰さんが苦笑いした。

 ほどなくして、くだんのスーパーがみえてくる。

 私の日常は、とても幸福に満ちていた。家族というものが薄かったこともあるけれど、こうした友人との語らい、楽しい時間。私の宝ものだ。

 小さく笑いながら過ごす妹さんをみて、心底愛おしく思う。

 願わくば、いつまでも、こうして居られますように。


 快晴の空をみあげて。自然とこぼれた笑みが、ふと消える。

 追いやったはずの複雑な感情が、ふいによぎった。


 数日前。

 雨の音に包まれて、妹さんと交わした言葉が浮かび上がる。





◇◇◇




「ミノリちゃん。ステンドグラスの破片、返してほしいの」


 まっすぐ見つめて、彼女はそう口にした。

 私は数秒のあいだ言葉がみつからなくて、目を離せなかった。


 暗めな室内。

 雨音に包まれた空間。くぐもったようなそこに、他人の気配はない。手にしたやかんから、湯気が立ちのぼっている。マグカップの半ばまで注いだお湯に、紅茶の香りが混ぜ込まれ、鼻をかすめる。

 だというのに、ちっとも心は落ち着かない。


「な、なんで、」


 ようやく絞り出せた声は、そんな戸惑いの疑問だった。

 「遠回しな話からしていい?」と切り出した妹さんに、私は頷いた。そうして語られたのは、三上家の隠されていた真実。

 そして――三上さんと魔法使いがかけた、純粋で狂った魔法だった。


 自身のせいでなくなった父親。

 傷心して自暴自棄に走る寸前まで行った病院生活。

 あの日から魔女の存在が入り込み、記憶を改ざんされたこと。都合の良いウソで塗り替えられていたこと。

 妹さんは一連の経緯を説明してから、


「お兄ぃはね、お父さんに似たんだよ」


 と、そう言った。


「父親、に、」

「そう。大切なもののために、命をかけて守る人。人生で替えの効かない、たったひとつだけは守りとおす人」

「そんなのは……変、ですよ。だれだって、恐怖はあるはず。死ぬことが怖くないって、本気で思ってるんですか」


 妹さんは目を伏せた。


「どうだろう。私には、わからないよ。お兄ぃはいつだって遠くにいた。そばにいるのに、縮めようのない距離が空いてた。追いかけても追いつけない、見知らぬ事象に踏み込んでいく。私だって、わかんない。お兄ぃがどこを見ているのか、わかんなかった。でも、当然のことだったんだ」


 眉を寄せた私に、しかし彼女は顔をあげた。

 迷いは残っている。不安も尽きない。それでも決意した表情の妹さんが、そこにいた。


「お兄ぃの守りたい唯一のものは、あたしじゃない。それはずっと明らかだったんだから」


 やかんを置いて、考える。視線は壁の一点をみつめるようで、遠くのどこかへ向けていた。

 ガラスの魔女。

 いや、正確には、大き過ぎる対価を払わされた、失われた命。

 それを、彼はずっと求め、探していた。

 ならば必然、彼は遠ざかっていく。友人だろうが家族だろうが関係ない。すべてを置いて、歩いていく。

 妹さんは、その事実を受け止めていた。

 抱いたその憂いさえも、届くことはない。届いたとしても止まらない。意思は曲げられない。

 思えば、私は何度も失敗していた。彼の自己犠牲精神を正そうとして、それでも彼は構わず実行していた。苦痛が襲うことなどわかっていて、決められた道だと理解していて、それでも手を伸ばすことを選んでいた。

 今日みたいな雨の日、夜の教会でのやりとりが、今や懐かしい。


「理解できないのは、わからないのは、怖いけど。今はすこしだけわかる。きっと魔女さんはお兄ぃのすべてなんだ。ミノリちゃんからすれば、異端に映るかもしれない。でも、おかしくはないんだよ。ううん、おかしくたって良い。私がここに生きているように、どこかの誰かにも、救いは必要だから。救えるのなら与えられた時間も命も燃料にしてしまえる。そんな在り方を、私は応援すると決めた。一度救われた身として、見送る。背中を押したい。だから、返してほしいの」

「……」


 妹さんをみつめ返した。

 穏やかに、だけど強い視線がつきささる。


「そんなに、大事ですか。ただの破片でしかないあのガラスが」

「大事だよ。ミノリちゃんの持ってるガラスは、お兄ぃに残された唯一の繋がり。ずっと追いかけた魔女さんに手を伸ばすことができる一筋の光。だから、返してほしい」

「彼が危険に晒されても、問題ないというのですか? だれよりも心配していたあなたが」

「うん。それにね、約束してくれたから。帰ってくるって」

「どうしても、ですか」


 再三の問いかけ。

 しかし、そのすべてに彼女は頷き、曲げようとしない。その姿は、どこか三上さんと重なる。

 内心で、『やっぱり兄妹ですね』と肩を落とした。

 私はゆっくりと、肺の奥から空気を吐いた。


「わかりました。あなたがそう望むのなら」


 


◇◇◇




 あの選択が正しいものだったのか、まだ分からない。

 もしかすると、ことごとくを否定し隠し持っているのが正解だった可能性もある。嫌われるとしても、構わずに。もしくは、思いきって破壊してしまうか。

 そんな風に考えたところで意味はない。後戻りはできない。すでにガラスは私の手を離れた。割られたステンドグラス、泡沫に生み出された人形からの贈り物。ソレは、妹さんの手に渡ったのだ。


 スーパーの店内、率先してカゴを持つ木陰さんの背中が目に映る。思い思いに言葉を交わしながら、必要なものを入れていく一行。三人を眺めながら、私は物思いに耽る。

 魔女は、どこまで知っているのだろうか。

 いつか、訊けるときがくるのだろうか。

 そのとき私は、冷静でいられるだろうか。


 私は、今のままが良い。みんながいて、三上さんがいて、魔法などという不確定要素の混じらない、ありふれた日々の繰り返しでいい。

 木陰さんやシオンさん、妹さんは、きっとそうではないと首をふる。だけど、日常は『普通』であるはずだと駄々をこねる私がいた。


 遠い目をしてしまう。

 新たな発見だ。意外と私は、心が狭いらしい。納得はしていても、それを利用する魔女は──許せそうにない。


「ミノリ?」

「え?」


 名前を呼ばれていることに気づいて、顔をあげた。


「……」

「……」

「……」


 三人の顔をみて、我に返った。

 怪訝な顔をするそれぞれに一度ずつ視線を向けて、私は大仰に手を振る。飲み物のボトルが陳列されている、棚のまえに立ち止まったまま。


「あ、いや。気にしないでください。ちょっと考えごとをしてただけなので……っ」


 言いながら、羞恥しゅうちで自分を殴りたくなる。

 こんなもの、「悩みを抱えています」と告白しているようなものだ。付け加えれば、悩みのタネはいつだって一点に帰結する。こと私たちの悩みだ、ここにいない誰かのことだとすぐに察せられるだろう。

 しかし、それに気づいていながら、だれも深追いはしない。私抜きで顔を見合わせると、むしろ最初から気づいていたみたいに振る舞う。


「いつも通りじゃない!」

「たまにはハネを伸ばしたほうがいいと、ボクは思うな」

「ミノリちゃん、何かあったら遠慮なく頼っていいよ」


 あまりの態度に拍子抜けする。

 意図して明るく振る舞っているようにはみえない。ただ自然と、流れに身を任せるような物腰だ。

 ……なにかが引っかかって、もやもやした。

 そう、例えるならば。外出したあと、自宅に何かを忘れた気がして、でもソレが何なのかわからない感覚。手元のバッグを漁っても必要なものは揃っていて、たしかにある『忘れ物』の正体を掴めない、もどかしい感覚。

 部屋のすみで埃をみかけたくらいの些細で微かな違和感。掴もうと口をひらきかけるが、木陰さんは先まわりしたように問いかけた。


「ミノリ、今日の予算はどのくらい?」


 予算。

 ああ、買い物の話か。

 私は半ば反射的にバッグから財布を取り出そうとして──


「あ」


 自分が、本当に忘れ物をしていることに気づいた。

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