ストーリーテラー

椿餅

第1話

 コンコン、コンコン。

軽やかなノック音が鳴り響く。

カタカタとキーボードを鳴らして、何やら熱心に打ち込んでいた男は、玄関へ無表情なまま視線を向けた。緩慢な動きで立ち上がる。カラカラと響くキャスターの音を背後に、男は玄関に決して急がずにゆったりとした足取りで向かった。覗き穴越しに見えたのは、セーラー服のような形のワンピースを着ている、妙な格好の少女であった。まるで死人のように血色のない肌に、黒檀のような髪と紅を引いたように紅く色づいた唇が妙に映えていた。整った可愛らしい容姿がその不気味さを逆に加速させている。男はドアを開けた。

「何か御用でしょうか」

人好きのする笑みを浮かべて率直に切り出した男に、少女は底の読めない笑顔を返す。ガラス玉のような灰色の瞳を緩めて笑う姿は、無機質な人形を思わせた。

 「初めまして、

単刀直入に申し上げますと、貴方は一週間以内に何らかの原因により死亡します。

信じるか否かは貴方に一任しますが、個人的には速やかな身辺整理をお勧めします」

慇懃無礼な態度で、少女は滔々と語る。提携文を諳んじるように詰まらず言い切った少女は一旦言葉を切った。すぅ。少女の透き通った呼吸音がやけに大きく響く。

「死神です、お迎えに上がりました」

__巷で噂の殺人鬼さん。

ニコリ、いっそ邪気なく微笑んだ自称死神に、男は僅かに瞠目した。



 人間という生き物は本能的だけでなく、理性的にも死を忌避するきらいがある。それはよく未知への恐怖だと理由付けされる。自分が死後どうなるのか。天国は、地獄は実在するのか。転生とは本当なのか。私は一体、死後何処へ行くのか。人間なら一生で一度は考える思考であろう。私も、生きていた時は確かにそう考えていた筈だ。

「じゃあ、お願いできるね?」

ワイン色の上品な壁とそれを覆い隠すように陳列する本棚。来客用の机と座り心地の良さそうな椅子はアンティーク調の洒落たものが使われていた。木製の執務机とキャスター付きの皮張りの椅子は、煌びやかな装飾はないものの、上質なものであることが節々から見て取れる。そして、それに囲まれて腰掛ける男もまた、端麗な容姿をしていた。ジャケットもインナーも全てが黒に統一された、言うならば「真っ黒」な衣装にも着られていない。浮世離れした美しい男だ。この男は私の上司に当たり長い付き合いになるのだが、私は彼の名前すら知らない。あるのかどうかすらも怪しいところだ。いつまでも「男」と表現するわけにもいかないので、その存在を名称するならばきっと、ボス、と呼ぶのが一番しっくり来るだろう。

「はい、といっても私に拒否権はないんでしょう?」

湿気を帯びた私の視線にも、ボスは食えない笑みで「怒らないでよ」と笑うのみだ。私はその手ずから受け取った本をパラパラとめくってみる。それに書かれているのはとある男の個人情報であり、もっと詳しく言うなら生い立ち、人生そのものだ。この世に生まれ、生きた記録、そしてその最後には男の死に様が書かれる。それを見届けこの本に書き加えるのが、私の、私たちの本来の仕事である。

だが、今回私が命じられた仕事は従来のものとは異なる。二人組で動くのが基本なこの仕事で人手不足のせいでバディがいない私には、こうして時折面倒な仕事が回されてくることがある。

「それでは」

丁寧にお辞儀をして、素早く踵を返した私に、ボスはひらひらと手を振った。

「頑張ってね」

軽い声色で紡がれたそれに若干の苛つきを感じつつも、私は扉をなるべく音が立たないように閉めた。黒一色で統一された廊下で、私はその場に立ち止まったまま今度はじっくりと手元の本を読んでみる。要約するとこうだ。如月御言《きさらぎみこと》、二十七歳。非常に頭が切れ、難関大を卒業し今も大手企業の出世頭と評されるエリート。そして、最近現世を騒がせている連続殺人の真犯人。

 廊下に私の落とした溜息が響き渡る。幸か不幸か、私以外誰もいないそこでは溜息を聞かれることはない。今回の私の仕事は、一週間以内に何らかの原因で死ぬこの男を監視し、その死を見届け、この書類に書き加えること。ここまでは従来通りである。問題はここからだ。殺人鬼、基、如月御言きさらぎみことに接触し、なんらかの不手際で記されなかった彼の殺人動機を突き止め書類に更に追記ないし、補足すること。非常に面倒くさいそれに憂鬱な気持ちを感じずにはいられないが、逃げることは叶わない。どこに逃げてもボスにはお見通しなのである。生者と違い、死者には逃げ場などない。

 ここで、私たちの仕事の名前を教える、というよりは存在の確定をしておこうと思う。昔は確かに生者であった私が、このように他人行儀で固い言い方をするのもおかしな話であるが、大きく括るなら人間は、古から私たちのことを様々な呼称で呼んできた。それらは曖昧だが共通することは一つ。死者を迎えに行く存在。死をもたらす存在。それを人間は畏怖の念を込めてこう呼んできた。

「死神」。私たちは神だなんて大層なものじゃない。その大袈裟な呼び名は人間の想像が一人歩きした結果と言えよう。皮肉なことに死後にさえ人間が期待するものも、恐れるものも何一つだってありはしないのだ。

 あぁ、しかし今回の任務は本当に面倒くさい。



 美しい青に点々と存在する柔らかそうな雲。絵に描いたような素晴らしい天気であると言うのに、外から眺めた如月の部屋はカーテンにより重く閉ざされていた。見上げるのは生前でさえも縁がなかった、首が痛くなるほどのタワーマンション。高層に位置する部屋では、殊更美しく見えるだろうに。

 私は、堅牢なセキュリティの要塞とも言える最新型のマンションに向けて、ゆっくりと歩み始める。ピクリとも動かないガラス張りの自動ドアを通り抜け、エントラスの受付に座る受付嬢の横を素知らぬ顔で横切った。

エレベーターの前に佇み、機内と一階のボタンを押す情景を頭の中で思い浮かべながら念じれば、何の動作不良もなく無人のエレベーターは降りてきた。それに乗り込み自然に閉じるのを待つ。その間、ふと受付嬢に視線をやると、驚いたような、おびえたような表情を浮かべていた。

 他の階に止まることなくエレベーターは目的の階へと進んでいく。次々と移り変わる階層表示をぼんやりと眺めていれば、やがてエレベーターはチン、と軽やかな音を立ててその扉を開いた。最新の設備であることを感じさせるスタイリッシュな廊下からは、このマンションの家賃が如何程か窺える。ちらちらと視線を彷徨わせながらも私は真っ直ぐに如月の部屋へ向かった。インターホンはエントランスにあるため、私はその硬く冷たい扉を手の甲でノックする。軽やかな音が廊下に響く。中から身動ぎする音が聞こえ始めてから暫くして、扉が開いた。

「何か御用でしょうか」

柔和な笑みを浮かべながら出てきた男に、成る程これは疑われまいと納得する。

男の容姿はあまりにも整っていた。栗色の手触りの良さそうな髪をセンター分けにし、晒された額ですらも形が良い。スッと通った鼻筋と、垂れ目がちの瞳はチョコレイトのような甘い焦げ茶である。シミ一つない陶器のような肌と、スラリとした手足。芸能活動をしていますと言われたら大半の人は何の疑いもなく信じるであろう。薄い唇から紡がれる声さえも、思わず耳を傾けたくなるような優しい甘さを含んでいる。まぁ、この男は人殺しなんだけれども。

「初めまして、

単刀直入に申し上げますと、貴方は一週間以内に何らかの原因により死亡します。

信じるか否かは貴方に一任しますが、個人的には速やかな身辺整理をお勧めします」

如月御言は観察するように温度のない視線で此方を見つめていた。

「死神です。お迎えにあがりました。巷で噂の殺人鬼さん」

 殺人鬼、という言葉に漸く如月は動揺を見せた。といっても、僅かに瞳を見開いただけだが。笑みの形は崩さないまま、如月は扉を開いて私に呼び掛けた。

「取り敢えず中にどうぞ」

私は笑みを消し、一つ頷いて見せると躊躇いなく部屋に立ち入った。

 容姿、頭脳、社交性、運動神経。天は如月御言に、二物も三物も与えたすぎたせいで、倫理観というものを入れ忘れたらしい。故に、こうして完璧な殺人犯が出来上がってしまったというわけだ。



 「それで?僕は何が原因で死ぬのかな?」

室内には、寝台とソファとテレビ、そして壁際に並べられた大きな本棚があった。本棚には隙間なく分厚い本が敷き詰めてある。

必要最低限の物だけ揃えられた生活感の感じられない部屋だ。

デスクの横にあるキャスター付きの椅子に座るや否や、如月は私に質問を投げ掛けた。デスク上では先程まで使っていたのか開きっぱなしになっているノートパソコンのディスプレイが淡く輝いている。仕事の用だったのか、横にはファイルや資料が置かれていた。

 「疑わないんですか?」

拍子抜けしたのは此方側だ。全くと言っていいほど疑わない如月の様子に、私は思わず間抜けな問いを返してしまう。しかし、如月は特に気にした様子も見せず、柔和な笑顔を貼り付けたまま答えた。

「影がない」

それはあまりにも簡潔で、分かりやすい返答だった。死者には影が無い。それは死神である私も同様に。

「君がこのマンションの住民でないことは最初から分かっていたよ。ここの住民の部屋番号と名前と顔は覚えているからね。

つまり、君のような少女が普通、セキュリティを超えて僕の階まで来ることは不可能だ。

誰かの客人、という可能性も捨て切れなかったけどね」

そこで如月は一旦言葉を切った。視線は私の下の床に向けられている。本来、影がなければいけないその場所に。

「けれど、影が無いと分かった時点で君が人間以外の何かであることを認めざるを得なかったね。それなら君が僕の部屋に一人で来れたのも、僕が殺人犯だと見抜いたのも納得が行く。君が嘘をついているようにはどうにも見えないしね。だから、僕は君が死神だと信じた」

まだ、何か質問ある?という問いに私は無言で首を振った。

「流石ですね」

まるで数学の証明でもするかの如くすらすらと述べた如月に背筋が冷える。最初は柔和に思えた笑みも不気味に感じてきた。死者にすら恐怖を与えるとは末恐ろしい男である。

如月は仕切り直すように座り直すと、話を本題へと戻した。

「それで、僕は何が原因で死ぬんだい?」

「…分かりません。けれど、回避することが出来ないことは確かです」

「へぇ、死神なのに死因も分からないんだ?」

煽るように如月は笑みを深めた。一応、嘘じゃないか再度確認するために鎌をかけたのだろう。それほど、如月という常識外の男でさえも死というものは怖いのであろうか。

「死神の仕事は、死を見届けそれを該当者の人生を記した本に書き記すことです。本には過去のことしか書かれてない。故に未来のことになる死因は私たち死神にも分かりません。

それに、現世に干渉することはあまり良しとされません」

「つまり、君は本来から外れた仕事をしているのかな?」

間髪入れずに如月は問うてきた。否、問いというよりもそれは確認に近い。

「はい、何らかの不手際により貴方の殺人動機が本に記されていません。故に、貴方に直接伺いに参りました」

如月は何かを考え込むかのように背もたれに深く背を預けて黙り込んだ。私はただ、それを見下ろす。時間にして約十数秒ほど経って男はいきなり立ち上がった。さも名案!と言わんばかりのその顔に嫌な予感が募る。

「次の被害者にしようとターゲットにしてた女性がいるんだけど、それを手伝ってくれたなら教えてあげる」

成程、考え込んでいたのでさえも演技か。

どこかボスに似た性質を感じる。私が最も苦手とする部類の人間だ。

「その女性の名前は?」

僅かな沈黙の後に私は問うた。その短い沈黙は、なけなしの私の抵抗である。

清水充希しみずみつき、二十四歳」

パチン、と指を鳴らし私は虚空から分厚い本を取り出した。おぉ、という如月の感嘆詞を無視してその本の「し」の欄を探せば名前と年齢の一致する女がしっかりと載っていた。実に運の悪い女だ。どうやらその女はどう足掻こうと死ぬ運命であるらしい。

「いいでしょう。その代わりちゃんと答えてくださいね」

「交渉成立だね。ところでその本何?」

「近日死ぬ人間のリストです」

差し出された私とは対照的に暖かな如月の手をしっかりと握り返した。当たり前だが、こんな人間でも他と変わることなくしっかりと暖かな血が流れているのだ。触れるんだ、という失礼な独り言は聞かなかったことにする。



 「ねぇ、今更だけど何て呼べばいい?ちなみに僕は御言でいいよ」

暇つぶしなのか如月が、否、御言が双眼鏡を覗きながら唐突に声を掛けてきた。

 現在私達は、清水充希が住んでいるというアパートが見える場所に、車を止めて張り込みのようなものをしている。ちなみに、きちんと監視カメラの死角を調べ尽くした人目にもつきにくい場所なので、警察に通報される心配も後々の操作で怪しまれる心配もないらしい。

「教える義理はありません」

私は頬杖をつきながら冷たく答えた。

数時間も待ち続けて流石に飽きた私はアパートから視線を逸らし、巣へと続々と帰っていく鳥を見つめていた。辺りはすっかり橙色に染まり、所謂黄昏時である。

「そっかぁ、じゃあ適当に元カノの名前で呼ぶけどいい?」

「レイでいいですよ」

間髪入れずに返した私に御言は小さく息を漏らすように笑う。そして、早速軽々しく名前を呼んできた。

「じゃあ、レイちゃん。どうやらミツキちゃんはお出掛けするみたいだよ」

視線をアパートに移せば、確かに清水充希と思わしき女性が玄関に鍵を掛けていた。もう彼女がここに帰ってくることは二度と無いと知っている私には、当たり前のように自身の明日を考えたその行動になんとも言えない気持ちになる。横で双眼鏡を覗き込む御言は一体どんな気持ちで、今夜殺す女が戸締りをしている様子を眺めているのだろうか。

「変更が無ければ彼女は友人と飲みに行く予定だよ。恐らく帰りは遅くなるから、そこを狙う」

ふと、顔にモザイクがかかった女性が警官に事情聴取をされている様子が頭に浮かんだ。遅くまで飲んでそれからは知りません、と啜り泣く一場面が再生される。

「分かりました」

それについては何も触れずに、私は簡潔に返事を返した。目で追っていた鳥たちはもう、遠くの空で黒い点にしか見えなかった。



 夜の十二時過ぎ。一人の女が僅かにふらふらとした足取りで人気のない道を歩いていた。家からそう遠くない居酒屋で友人と別れて、それから酔い覚ましも兼ねて家に歩いて帰ることにしたのだ。夜の女性の一人歩きは危ないと言うが、もう何度もこうして帰っているので、今更であろう。冬に差し掛かったばかりの少し肌寒い夜風が、火照った体を心地よく撫でる。やけに明るいなと思って空を見上げたら、それは大層見事な満月であった。ふと、幼少の頃よく口ずさんでいた懐かしい童謡を思い浮かべて、酔いも手伝って声に出してみた。

「うーさぎうさぎ、何見て跳ねる、十五夜お月様」

もう少しで終わる短かな童謡は、されど最後まで歌い切ることは叶わなかった。

「あのぅ、すみません」

背後から声を掛けられたからだ。びくりと大きく肩を揺らす。人が居たとは全く気付かなかった。気恥ずかしさを感じながら後ろを振り返ると、そこには芸能人かと見紛うほど端正な顔立ちの男が佇んでいた。一人で歌を歌っていた恥ずかしさが更に大きくなる。こんなイケメンに下手くそな酔っ払いの鼻歌を聞かれてしまった。

「あ、えと、すみません」

あまりの羞恥に特に悪いことをした覚えもないが、思わず謝ってしまう。

「〇〇駅への道が聞きたいんですけれど」

男は手に地図アプリの開いたスマートフォンを持って申し訳なさそうな表情を浮かべていた。今日はなんて運が良いのだろう。満月の夜に巡り会うなんて、このままお近づきになれたりしないだろうか。否、こんなイケメンの隣を歩く勇気は無いか。

「あぁ、それなら最寄り駅ですし分かりますよ」

浮ついた口調で男に近づき、その手元のスマートフォンを覗き込む。

「この道をまっすぐ行って、〇〇薬局っていう薬局があるんですけど、それがある道を右に曲がって、暫くまっすぐ行って二個目の信号、ここを左に曲がって。ここまで分かります?」

ニコニコと微笑みながら駅への道順を説明していた女は、見上げた男の顔にいきなり凍りついた。男は、先程と変わらぬ笑みで女を見下ろしていた。であるのに、女は言いようのない恐怖に襲われたのだ。

こんなにこの男の瞳は黒かったっけ?

 言うなればそれは殺気と言うものだったのだろう。女が逃げようと振り返った瞬間、突然後頭部に強い衝撃を感じた。男の手には誰かの、否きっと女自身の血がこびりついた鈍器が握られている。段々と遠くなっていく景色の中で、先程までいなかったはずの少女が男の後ろに佇んでいるのが見えた。黒いワンピースを着た、血を塗ったように赤い唇の少女だ。静かに見下ろすその姿は、女に死神を連想させた。



 「ねぇ、レイちゃんは念力みたいなので人間浮かしたり出来ないの?」

トランクに袋に入れた清水充希を詰め込んだ後、運転席に座った御言はエンジンを掛けながら私に問うた。

「まぁ、出来ますけど」

「じゃあ、今から山道に向かうから指示した場所に置いて。別に埋めろとは言わないからさ」

何の罪悪感も抱いていない様子で如月はハンドルを握った。トランクには死体を、助手席には死神を乗せて、更には余命残り六日という中で、御言は何も感じていないような笑顔を貼り付けている。

「いい加減、教えてくれてもいいんじゃないですか?貴方が人を殺す動機」

気味が悪いほど静かな道に入った時、私は御言に切り出した。その横顔は相変わらず整っており、何も知らなければ私も見惚れていたかもしれない。暫くの沈黙の後、御言は漸くその口を開いた。

「簡単な話だよ。本は間違っていない」

私は御言の横顔を黙って見つめる。

「その本には、食べ物を食べる理由や、眠る理由も一々書いてあるの?お腹が空いたから生きるためにご飯を食べました、眠気を感じたから人間として明日も健やかな一日を生きるために眠りました。そんなこと書いてないだろう?それと同じことだよ。理由なんて無いんだ。殺したいから殺す。それだけ。

僕にとってそれは、日常生活の一部でしかないんだよ」

いつしか御言の顔からは常に貼り付けられていた笑顔が消えていた。体が凍りついたように動かなくなり、背筋を冷たい汗が伝う。人間は、こんなにも何の色もない表情が浮かべられるのか。

「どうして人間はそこまで死にこだわるんだろうね?生と死は切り離して考えるべきじゃ無い。死とは生の通過儀礼でしかなく、忌避するものでも高尚なものでも無い筈だ」

御言は滔々と語る。まるで、誰かに組まれたプログラミングのように無機質に。

「死神でさえ、生と死を切り離して考えているんだね。一度死んだ存在ですらも。否、一度死んだからこそ、かな。僕はそれが残念で仕方ないよ。まるで、裏切られた気分だ」

目的地に着いたのか、御言は車を停めた。

感情のない空虚な瞳が私を見つめる。

「ねぇ、死神も殺せるのかな?」

瞳を見開いて固まる私を、御言は静かに見つめていた。数分、数時間にも感じられる重い沈黙が車内に流れる。

私はごくりと生唾を飲み込んだ。

「なーんてね」

だが、それを壊したのもまた、すっかり元の調子に戻った御言であった。

「冗談だよ冗談。じゃあ、ミツキちゃんのこと運ぶの手伝ってくれる?」

またあの柔和な笑顔を浮かべながら、御言はトントンと私の肩を軽く叩く。そして、私の返事も聞かぬ内に車から降りて行った。

そこで私は初めて息を吐いた。二度深呼吸を繰り返したあと、私もドアをすり抜けて外へと出る。死んでから、否生きている間も含めて、あんなに誰かを怖いと感じたのは初めてであった。



 十一月某日。清水充希を殺してから五日後に、御言は自殺した。一切の目立った証拠も残さずに犯人が死んだのだから、あの男の起こした殺人事件は永遠に迷宮入りと化すだろう。彼は完全犯罪を成し遂げてしまったのだ。病気や事故、はたまた殺人など、外的要因であの男が死ぬ様子が想像出来なかった私には、彼の自殺という死に様が至極当たり前のことのように思えた。清水充希の死体遺棄を手伝ったあの日以降、私は御言の前に姿を現していない。従来通り見守るだけに徹したのだ。未だに、私はあの男の動機を書けないでいる。なんと書いていいのか分からないのだ。そして、もう一度あの男の本をじっくりと読み返してみても、如月御言が一体どういう人物なのか分かりはしなかった。

 取り敢えず、ボスに報告するべく私は彼の書斎へと向かった。コンコン、とノックすると入室を促すボスの声が扉越しに聞こえる。それをしっかりと聞き届けてから、私は扉を開け一礼して部屋へと踏み入った。

「失礼します。如月御言の件の報告に参りました」

「あぁ、その件は後でいいよ」

私が来るのを待ち構えていたかのように、ボスは私を来客用の椅子に座るよう手で促した。そこには入れ立ての紅茶が置かれている。訝しく思いながらも大人しく私は示された椅子に座った。何やらボスは酷く上機嫌な様子で、それに比例して私のこの部屋から一刻も早く逃げ出したい気持ちが大きくなっていく。

「まぁ、くつろいでよ。紅茶も飲んでいいから」

ボスの呼びかけに私は陶器の器を持ち上げて一口紅茶を嚥下した。鼻腔を紅茶の良い香りが通り抜けて、肩の力が少し抜ける。砂糖やミルクなど余計なものなど入れぬともほのかに甘いそれは入れた人間の腕の良さが伝わってきた。

「ボスってこんなに紅茶入れるのお上手でしたっけ?」

二口目を啜りながらボスに問うと、「いやぁ、それは」とボスが言葉を濁す。不思議に思い、視線だけを上げると、ボスの執務机のさらに奥にある資料室のドアが、突然開いた。

「それ、僕が入れたんですよ」

聞いている者に心地よさを与える甘い声と、芸能人顔負けの整った容姿と高身長。そこから出てきた人物を目の当たりにした途端、私は口に含んでいた紅茶をボスの書斎だということも忘れて、全て噴き出した。

「うわぁ」

あからさまに嫌そうに顔を歪めたボスを無視して、私は声を荒げた。勢いよく立ち上がったせいで机が揺れて、その上の紅茶セットもガシャンと大きな音をたてる。

「ど、どういうことですか?!何故、此奴がここに!」

ひらひらと微笑みながら手を振ってみせる「如月御言」を、私は指差した。こらこら、人を指差さないの、といつものペースを全く崩すことなく答えるボスに、掴みかかりたくなる感情を私は必死に押し込める。

「如月くんにはこれから死神として、更には君のバディとしてここで働いてもらうことになった。人手不足だし、仲間が増えて悪いことはないだろう?彼は優秀だし、きっと君も仕事が今より格段に楽になるだろうね」

ニコニコと食えない二つの笑みに囲まれて、私は頭痛すら感じ始める。

「否、そういうことじゃなく。なぜ御言さんが死神に…」

「君も死神の選択方法は知っているだろう?他でもない死神の長である私が相応しいと判断した人間を勧誘する。如月くんは私がそう判断した。それだけのことだよ」

ボスは一度言葉を区切ってから、「それに、」と付け加えた。

「君も知りたいんだろう?如月御言が一体何なのか。生い立ちを読んでも何一つ分からなかった彼のこと」

確信めいた笑みに、私は言葉を詰まらせ、結局は何も返すことができなかった。それは紛れもない事実であるからだ。ボスと私の間に流れる沈黙に、タイミングを見計らった御言が私の方へと歩み寄ってきた。

「それじゃあ改めて、これからよろしくね東雲麗しののめれいちゃん」

そして、汚れ一つない真っ白な手を差し出す。脳裏に、あの日赤黒く染まっていた御言の手がチラついて、私は差し出された手のひらをまじまじと見つめた。カチカチと時計の秒針が刻まれる音だけが部屋に響き、やがて観念した私はその手を握り返した。

「よろしくお願いします。読んだんですね、私の本」

「中々に興味深い人生だったよ」

負け惜しみのように嫌味を吐いた私に、御言は嫌味ともそうでないともとれる返事を返してきた。この男の言っている言葉の、どこまでが本心で、どこまでが嘘なのかが今の私には見抜けない。ただ、分かるのは、あの夜御言が語ったことは本心だったということと、二回目に繋いだ彼の手は私と同様に氷のように冷たくなっていたということ。

それだけだ。


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ストーリーテラー 椿餅 @tsubakimochi

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