90限目 何をきっかけに

 5限は後期の時間割だと数学だ。ちゃんと聞かないとテストがやばいのに、俺は伊藤さんになんて話しかけるかを考えていて、まともに話を聞いていない。名倉さんは別に、というか誓約書には、他のメンヘラに話しかけては行けないという項目は無いし、名倉さんに見られても問題は無いが……問題はその他のメンヘラたちだ。どこかに呼び出すのは論外、話しかけるにしてもなんて言えば……。

「じゃぁ次の問題を……33番。結城」

「ひゃいっ!?」

 突然呼ばれて変な声が出た。周囲からクスクスという声が聞こえる。そして問題を解く方法ついてはさっぱりである。聞いてなかったから仕方ない。しかし指名されてしまったからには仕方ないので黒板の前まで歩いていく。うーん、全然わからん……。

 チョークを持ったまま硬直した俺を、先生がにやにやしながら眺める。この教師、俺が上の空だったのをいいことに俺を指名したな……。

「授業聞いてなかっただろお前ぇ。分からないなら友達の助けを得るか?」

「……はい」

「よし、じゃぁ、そうだな……16番。実川」

「は、はい」

 おうふ、ここでまさかの実川さん……。実川さんは俺と同じように黒板の前に立ち、チョークを拾うとスラスラと回答を書いていった。すごい……。

「よし、正解だ。2人とも席に戻っていいぞ」

 かえってラッキーだったかもしれない。これで一応話しかける口実ができた。あとの授業は集中して聞く……つもりだったのだが、聞いててもあまり理解できなかった俺にとって、聞いても聞かなくてもあまり変化はないのだった。




「あの、実川さん」

 授業が終わったあと、俺と陽キャたちは実川さんの机に寄った。実川さんは陽キャ3人組を相手にオドオドしている。

「授業ありがとう。助かった」

「あ……ううん、そんな……陽向くんが困ってるのに、断れないし……」

 くっ、突然の行動力と飛躍した考えとその他諸々を除けば良心の塊……。そんなことを考える俺の横で、たむたむが口を開いた。

「ところで実川さんさー、最近なんかあった?」

 実川さんの表情がガチっと固まった。……あったんだな、何かが。

「変な奴に話しかけられたとか……」

「家に矢文が飛んできたとか……」

「佐々木、和ませようとしてくれるのは分かるけど時間ないから一旦黙ろうな」

 しょんぼりとする佐々木だが、実川さんは戸惑いつつも言った。

「矢文じゃないけど、変な封筒がポストに……」

「!」

 まさかの言葉に俺たちは目を見開いた。

「封筒?」

「宛名も、送り主も書いてない、切手も貼ってない封筒……多分、直接入れたんだと思う……」

「…………」

 あの女が入れたんだろうか。あいつ、実川さんの住所なんて知ってるのか?俺の記憶の限りでは、まず2人には面識すらも無いはずだが。何しろ菊城は小2になる時引っ越して、俺と実川さんが出会ったのは小4だ。小2か小3の時に出会っていた、というのも考えられるけど……2人はたしか中学の地区も違うはず。小学校が一緒とも考えられない。……他に協力者がいると考えるのが正しいか?

「その封筒の中、なんて書いてあったんだ?」

「手紙じゃなかったの……何枚かの絵だった」

「絵? それって今ある?」

「ううん、持ってきてない……気持ち悪いからすぐ捨てちゃった」

「それいつの話?」

「私が漫研に行った日……それから毎日入ってて、意味がわかったらなんか……怖くて……」

「意味って……絵が何を示してるかって事だよな?」

「うん……」

「口で説明できる? どんな絵だったとか……」

「うーんと……子供の落書きみたいな絵だったの。ほぼ白黒で、クレヨンで描いたみたいな絵だったよ。……それで、最初に届いたのは……」

 実川さんによると、最初の封筒に入っていたのは2枚。実川さんの名前が頭上に書いてあるキャラクターが、どこかへ向かって走っている絵。2枚目が、同じように俺の名前が書いてあるキャラクターが倒れて頭から血を流している──何故かそこだけ赤く塗られていたから血だと判断したらしい──絵。ここまで聞いて、休憩が終わってしまった。キーンコーンカーンコーンとチャイムが響く。

「あっ、やば……ありがとう実川さん、また月曜に聞かせて」

「う、うん……」

 こうして6限が始まったが、俺はそのよく分からない絵のことを考えていて、やはり授業などろくに聞いていないのだった。




 放課後、今日は部活には行けない。……デートの日、と決められてしまっているからだ。守らなければ誓約書に違反する。

「さて、どこに行こうかしら。伊藤さんとはどういうところに行ったの?」

「……服屋とか」

「あの子、意外とオシャレさんなのね。ちんちくりんの癖に」

 ちんちくりんって……そんな昨今聞かないようなワードを……。まぁいいか、それより目下の問題はどこに行くかだ。

「行く場所は名倉さんの好きでいいよ」

「そうねぇ……あぁ、じゃぁとりあえず本屋に行きましょう」

「本屋? いいけど……なんか買うの」

「ええ、最近集めてるシリーズがあるの」

 意気揚々と名倉さんは教室から出ていった。メンヘラたちは恨めしそうに見てはいたが、やはり着いてくるつもりはないようだった。

 校門から出て、俺たちは駅に向かった。行きたい本屋というのがここ周辺では無いらしい。結構長いこと乗り、着いた駅から少し歩いた場所にあったのは……。

「え……」

 漫研である程度の知識を得た俺である。聞いたことも、置いてある本の内容も知ってる。ここは同人誌を扱う本屋──まんがらけだ。

「ま……まんがらけ……? なんで……?」

「あら、意外?」

「いが……意外も意外だよ! 同人誌とか読むタイプだと思わなかったし……!」

 そんな俺の戸惑いを背にしながら、名倉さんはなんの躊躇いもなく店に入っていき、とあるコーナーに進んだ。……前部長が言ってたことがある。男性は同性愛なら女性同士……つまり百合が好きなことが多いが、その反面で、女性はその逆が好きなことが多い、と。その流れを応用するのなら、同人誌を取り扱う店で、且つ女性である名倉さんが好きなのは……。

「…………」

 やっぱりBLだった。

「…………あの、名倉さん……」

「何?」

「い、居づらいんだけど……」

「漫研が何を気にしているの?」

「それはそれとしてね……?」

 名倉さんは熱心に本を漁っている。知らないジャンルの同人誌だ。まぁ俺が知ってるのなんて、数種類の少年漫画だが。救いなのは、さすがに制服姿だからか成人向けに手を出していないことだ。

 そのうち名倉さんは、数冊の本を手にして会計に向かう……かと思いきや、別コーナーに向かった。NL……つまり男女の恋愛もののコーナーだ。BLだけじゃなくNLも好きなのかと思いきや、名倉さんは思ってもいない言葉を発した。

「さ、好きなのを選んで。多分百合とかも分からないのでしょう? NLが1番いいと思うわ」

「えっ……え? 俺も買うの?」

「あら、不満?」

「ふ、不満というか俺は別に欲しいものないんだけど……」

「お金は出すから、何か選んで」

「えー……」

 そんなことをする義理はない。もちろんない。誰がなんと言おうとない。しかし相手は何故か頑なだ。仕方なく俺は、一応一通り読んだ忍者漫画の夫婦の漫画を1冊手にした。それにしてもこの2人がくっつくとは思わなかったが、個人的には好みな組み合わせだ。

 選んだ本を渡すと、名倉さんは満足そうに会計へ向かった。やれやれ……。やがて会計が終わった名倉さんが戻ってきて、今日のデートは終了と告げられた。

「陽向くんが選んだ本はまた来週渡すわ」

「別に俺は要らないんだけど……」

「貴方が選んだ本なんだから貴方が持つのが普通でしょう」

 その理屈が通じるなら君が払った金なんだから君が持つのが普通だろう……まぁいいや、反論するのも面倒くさい。

 そのまま名倉さんを最寄り駅まで送って行って、俺はようやく帰宅した。そういえばキスをお願いされるかと思ったけど、されなかったな……、……これ、何をきっかけに別れを切り出せばいいんだろう……。

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