88限目 悪手も悪手
こうして俺は、放課後に契約書にサインをして、ウンザリした顔で紙を名倉さんに差し出した。
「……これ適用いつから?」
「もちろん今日……と言っても、部活あるのよね? 土日はバイトがあるのだし、そうね、毎週金曜日にデートってことでどうかしら?」
「……わかったよ」
実際は金曜から適用、となるわけか。また先輩に週一で部活に居ないことを伝えないと。いやまぁ、別に言う必要はないのだが、なにぶん人数が少ないので居ないと心配されるのだ。
溜息を吐き出したあと部活に行こうとすると、ガシッと2つの手に腕を掴まれた。…………恩塚さんと良木さん。
「あの紙何? 昨日も名倉さんと話してたわよね?」
「……問題起こしたいならいいけど、クラス替えが嫌なら離して」
思ったよりクラス替えは効果があり、2人は渋々ながら俺の手を離した。実川さんと伊藤さんは恨めしそうに俺を見ているだけで、会話に参加する意思はないらしい。安心したような、あとが怖いような……名倉さん勝ち誇ったように笑ってないで……その笑みが他の四人にバレたら怖いから……!頼むからポーカーフェイスでいて……!
「……で、なんの紙?」
……これ素直に答えたらどうなるんだろう。誤魔化すにしても上手い言い訳が思いつかない。それにここで嘘をついたとしても、この4人は多分今日か明日にでも、菊城を見ることになるのだ。……今更だけど、あの女はどうやって牽制するつもりなんだろうか。
「……き、君たちには……関係がな……」
……いや、関係あるな……結構ガッツリ関係あるな……。どうする、どう答える……!!
「結城氏ー」
聞こえたのは樋口くんの声。振り向くと、入口で樋口くんがこっちを見ていた。
「先輩たちがまたポーズモデルして欲しいって」
「あっ……わ、わかった!」
こうして戻ってきてくれた樋口くんのおかげで俺は逃げることに成功……しなかった。また腕を掴まれた。もう部活だから仕方ないとすら思って貰えないらしい。
「っ……解放しないとまたトラブルで今度こそクラス替えになるよ!!」
効果覿面、さすがにクラス替えには怯えがあるようで、2人は俺の腕を離した。これもメンヘラの生態としておかしなものでは無い……というのも、ここまで毎日毎日俺に構ってくるのなら、クラスなんて関係ないんじゃないか、と思うことだろうが……メンヘラにとってはそういう問題ではないのだ。その理屈がどこにあるのかまでは分からないが、俺とクラスが違くたって俺には毎日話しかける、それは同じだけど別クラスは嫌。それがメンヘラの生態だ。何で俺がそんなことを知っているのかと言うと、まず実川さんがそうだった。5年生の時のクラス表が貼り出された朝、俺とクラスが別れた実川さんはもう泣きそうだった。それでも俺を待っていたり、話しかけてくるのは分からなかった。これじゃ4年生の時と変わらないと思ったが、それでも来年は絶対同じクラスがいいとずっと言っていた。まぁその翌年も同じクラスにはならなかった訳だが。
今にして思えば、良木さんと恩塚さんはそれぞれ小学校を卒業する年と中学を卒業する年に出会ったから関係無いが、実川さんと5年生6年生の時クラスが被らず、伊藤さんも2年生3年生の時クラスが被らなかったのは、教員側の配慮だったのかもしれない。メンヘラのことを担任に相談したことはないのだが、教師の観察眼は結構侮れない。
ともあれ、クラス替え攻撃で難を逃れた……いや逃れてはいないが一時的に助かった俺は、樋口くんと共に部活へ向かったのだった。そして遅れたことに対する言い訳にも近しい今日あったことを話すと、先輩たちは苦い顔をした。
「あらら……それはお気の毒に……」
「メンヘラは自分でなんとかするって言えなかったのか、それ」
「あの女はそれを見越して幼馴染と一緒にいるところを狙ってきたんですよ……」
「うへぇ……そして幼馴染ちゃんはこう……随分鈍感だな?」
「昔からそうなんですよねぇ」
俺の恋心は結構な人にバレてる。母さんは言わないだけで多分知ってるし、姉ちゃんには当然バレてるし、小中の頃の友達にもバレてるし、愛の両親にもバレてる。あと愛の先輩の天野さんにもバレてる。知らないのは愛だけだ。ここまでみんな知ってるのに全然気づいてない愛にはある意味尊敬しかない。それくらい愛にとって、俺と自分がカップルになるのはナシなんだろうと思うとかなり悲しいが。
「もうクラス替えした方がいいんじゃねぇのか、いっそ」
「それは俺にとっては最大の悪手なんですよ……」
そう、メンヘラにとってそれはただの『すごく嫌な事象』だが、俺にとってのそれは悪手も悪手。先生たちはメンヘラの何たるかを分かっていない。クラスを変えれば解決すると思い込んでるがそんなことは絶対にない。クラスが変わろうとメンヘラは寄ってたかってくる。そして、クラスを変えてもそれが変わらないのであれば──これ以上の策がないというどうしようもない現実がそこには待っているのだ。当たり前だ。じゃぁ無理矢理転校させましょうとか退学させましょうなんて、そんなことできないに決まっている。教育委員会に連絡が行って何らかの懲罰を受けるだけだ。何も改善しない。
「……もう結城氏が転校するしかないのでは……?」
「転校ねぇ……」
隣の市に、今の高校と同じくらいの偏差値の公立校がある。そしてそこは男子校だ。正直に言えば、俺は最初そこに通おうと思っていた……が、高校受験当時の俺はまさかこんな状態になるなんて思いもしなかったもので、一々隣の市に行くこともないかと思い直してやめたのだ。今すぐ去年の今頃くらいにタイムスリップして思い直した俺をぶん殴りたい。
そんなことを考えながら某呪い会うバトル漫画を読み進める。弾正先輩におすすめされたのだ。現在は7巻まで出ているらしい。俺が読んでるのは2巻だ。
と、コンコンと部室の扉が叩かれ、4人の視線がその方に向く。扉の向こうから女子の声がした。
「あの……すみません。今更なんですけど入部してもいいですか?」
「あ……! はい! いいですよ!」
弾正先輩が言うのと同時に、金時先輩が机の下からファイルケースを取り出す。多分入部届けだろう。俺も初めて来た時書かされた。なおここは部活ではないのでただの形式的なものであって、これで部費がどうのこうのってことにはならない。
さておきこんな時期に一体誰が……と思っていると、部長が扉を開けた先にいたのは──俺の顔がひきつる。何故ならそこに居たのは実川さんだ。
「じゃぁ新入部員さん、こちらに名前とクラスをお願いしますね」
実川さんの顔を知らない部長と副部長は呑気なものだ。俺と樋口くんはバッと後ろを向いて額を寄せあった。
「どういうことでござるか結城氏ィ……!」
「そんなのこっちが知りたいよ……!」
ヒソヒソと話している間に実川さんは名前とクラスを書き終わったらしく、部長があら、と声を出す。
「実川さん……ですね。秀康くんと一葉くんと同じクラスなんですね。金時くん何かいい人いますか?」
「今調べてる。……實川延若って人がいるな。旧字体だけど」
「あー……まぁ大丈夫でしょう」
チラリと見ると、実川さんは何の話なのか分かっていないようでキョトンとしている。まぁ当たり前だ。察した部長が漫研での渾名のことを説明すると、それとなく理解したようだ。結局実川さんの
「では、好きなところに座って適当に呼んでくださいね」
部長に言われた実川さんは、にっこりと笑ってから俺の隣の空いてる席に座ったのだった。
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