87限目 本当に何もしてない
翌日の三限目が終わった休み時間、審議の結果を紙で渡された。それも、誓約書という名目で、ちゃんとパソコンで制作されたものが。下の方にはサイン欄がある。学生の付き合いなのにこんなの作らないで欲しい。
内容は以下の通り。
結城陽向と名倉泉の男女交際にあたり、菊城香麗奈は伊藤紗絵、恩塚奈緒、実川仁奈、良木ガラシャが結城陽向に対する心身への害をなすことを牽制することとする。
また、上記に関して、警察沙汰にならないようにすることを誓う。
交際において、接吻を拒絶することを禁ずる。また、週に一回以上のデートを義務づける。
上記の禁止行為に関して、名倉泉、菊城香麗奈の両名は小本愛への一切の手出を禁止する。
デートはとにかく接吻拒絶禁止ってなんだよ、ふざけんなと思ったがその下の一文で理解。なるほど、愛に手を出さないという条件を加えたことで、交際に関する条件が増えたのか。と、同時に昨日の名倉さんの言葉の意味を理解する。菊城の言った通り、という点だ。恐らくこの展開……すなわち俺が「愛に手を出さないこと」を条件として提示するのを見透かされていたのだろう。俺が条件を提示すれば、キスの拒絶禁止とかを向こうも気兼ねなく要求できる。デートはまだしも、キスのことを最初から条件に出されたら「だったらメンヘラを自力で何とかするほうがマシ」だと俺は言うだろう。全く悪知恵の働く女だ。
だが、俺から提示した条件は1つなのだし、デートかキスかどっちかにしてくれと交渉してもいいのではと思いつつ、誓約書を読み進めると……そう言うとでも思っていたぞ、とでも言うように注意書きがあった。
伊藤紗絵を初めとする4名の女子生徒の牽制に関しては、1人につき1つの条件とする……。なるほどね。後出しジャンケンすぎるな。つまり……俺のメリットはメンヘラ4人の牽制と愛に手を出さないことで5つとカウントされていて、名倉さんのメリットは俺と付き合うこと、デート出来ること、キスできることの3つとカウントされている、ということだ。どっちかにしてくれと交渉に出たら、逆に言い負かされて条件が増えるか、愛への手出を撤廃される可能性がある。
この誓約書には、条件は新しく追加しないということが書かれている。用意周到だ。これにサインしてしまえば向こうは愛には手出をしないし、メンヘラは牽制されるはず。……いやまぁ、パソコンで作られているとはいえなんの法的根拠もないのだけど……ただの高校生の付き合いだし……。
「それ宿題のやつ?」
「どぅおっ!?」
急に話しかけられ、ビクッと肩が跳ね上がった。俺があまりにも真剣に紙を読んでいるから気になったらしいたむたむたちから、咄嗟に紙を隠してしまう。
「そんなビビった? わりぃわりぃ」
「お前がそんな真剣にプリント見つめるなんて珍しいから気になってよ」
「あ、あぁ……いや、いいよ」
「どっかの問題わかんねぇの?」
どうやら3人は、俺が見ていたものを先程の英語の授業で配られたプリントだと勘違いしているようだ。成績悪い俺がそんなものを休み時間に見るわけないだろ。さて……これは3人に見せるべきだろうか。
「そういやお前、昨日の放課後名倉さんと何か話してなかった? しかもお前の方からって珍しくね?」
どうしたもんか、と思っていると、その話をたむたむから出された。最近大人しくなっていたメンヘラに俺の方から話しかけに行ったのだから、それはそれは異様な光景だったに違いない。結局、誤魔化すのも上手くできそうになかったので俺は素直に誓約書を見せた。メンヘラが俺の周囲の席にいるので大声で言うのはダメだとわかっているのか、小声でひそひそ話になる。
「……なにこれ?」
「名倉さんに渡された」
「男女交際に誓約書書かされるってやばくね……? つかこれいきなり渡されたの?」
「いや、そういう訳じゃなくて……」
俺が言いかけた時、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。4限目が始まる。また昼に、と言って俺たちは一旦会話を終わらせたのだった。
4限が終わり、昼休み。俺たちはたむたむと佐々木の席に集まった。2人は隣同士なのだ。羨ましい……。ちなみに、樋口くんは部室に行こうとしていたが菊城と名倉さんと同中の樋口くんは正直頼りになるため引き止めた。
「これは三限のあと、名倉さんに渡されて……元はと言えばこないだの日曜に愛と公園から帰ろうとした時に来た菊城から聞かされた話だったんだ」
「菊城は何と?」
「菊城が話したのは……誓約書の上2つ」
「要約すると……メンヘラたちは牽制してやるから、名倉さんと付き合えってことか?」
「でもあいつ、平塚さんの事件の時はお前のこと嫌いだからお前と仲良くしたい名倉さんには協力しない……みたいなこと言ってたんじゃないっけか」
馬渕、記憶力いいな……。その点についても俺は説明した。
「つまり……この誓約書によって、名倉は結城氏と付き合えて、菊城は結城氏に嫌がらせできて、結城氏は他のメンヘラを気にする必要がなくなる、と……」
「下二つは? 幼馴染ちゃんのやつ」
「これは……昨日俺が放課後、名倉さんに愛への手出し禁止を条件に加えて欲しいって言った結果」
「そんで、2つも増やされたけど一番下の注意書きを読むと条件を減らせとは言えなくなっていると」
「……そういうこと」
「えー……何度も言うけど高校生の付き合い程度で誓約書はマジでやばくね? あれじゃん、最近流行ってる田舎令嬢の王子との契約結婚じゃん」
「佐々木そういうの好きなの?」
「いや広告だけ見る」
そういう広告が出るような検索欄ってことじゃないか、とは言わなかった。ちなみに俺のサイト内広告は、大体レシピサイトの広告だ。レシピをよく検索するので。
「で、どうすんのお前、これ」
「…………飲む」
「ええええ!? 飲むの!?」
佐々木が大声を出す。驚いたらしいクラスメイトや、A組にいる友人と食べている他のクラスの生徒が驚いて俺たちの方に振り向いた。メンヘラたちも同様だ。
「ちょっ……でかい声出すなよ」
「あ、あぁごめん……思わず……だってこんなん蹴るだろって思うじゃん」
「お前は菊城を知らないからそんなことが言えるんだ……!」
そもそもあの女があのタイミングで俺たちに声をかけたのも、愛への危害の可能性を俺が感じるようにだろう。マジで何をしだすか分からないのだ。
「あいつはこの条件蹴って名倉さんとの付き合い拒否したらぜっったい愛になんかする」
「あー……まぁ、そうですな」
樋口くんが卵焼きを俺に差し出しながら答える。美味しい。ありがたい。樋口くんのお母さんは本当に料理上手だ。今まで色々分けてもらってるけど、だいたい美味いしあまり冷食とか入ってないし。
「まじで馬渕氏と田向氏と佐々木氏、あの女舐めない方がいいですぞ」
「そんなにか……」
「悪知恵が働くし、あんなに良識も常識も欠けてる癖に人がやられたら嫌なことを的確にしますからなぁ……そもそも自分のせいで死にかけた結城氏を恨んでる時点でまともじゃないの分かるでしょ?」
樋口くんの口から至極真っ当な意見が飛び出す。全くその通りだ。俺はただあいつのせいで閉じ込められ、あいつの証言のせいで死にかけただけで、俺の方からは何もしてない。俺の言葉のせいでメンヘラになった女たちのことについては責任を感じざるを得ないが菊城については本当に何もしてない。
「……まぁ、多分だけど今はこれを飲むのが一番丸く収まる方法なのは間違いないと思う」
「……また熱出すなよ」
たむたむの憐れむような視線が心に刺さった。
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