86限目 いいことなのか?
翌日も暗くなるまでひたすらパスの練習をし、愛は何とか力加減を学んでくれたようだった。これで、試合に出たけど本当に何も出来ない、ということはないだろう。
「ふー、ありがとう陽向!」
「どういたしまして。同級生に笑われないといいな」
「うーんどうかな……」
自信なさげな様子に思わず笑ってしまった。まぁ気持ちはわからんでもない。それにほぼ付け焼き刃だ。
公園から出て愛を送っていこうとした時、公園の入口から人が来た。……時間はもう6時半で、公園の街頭でここは明るいが、空はもう日が沈んでいる。一体この時間に誰が、と思っていると…………菊城……。
「あれぇ、陽向くんだぁ」
「菊城さん……? どうしてここに……」
そう聞く愛の背中に手を回し服を軽く掴み、くいっと後ろに引くと、愛は俺の意図に気づいたのか素直に後ろに下がった。
「相変わらず愛ちゃんと仲良しなんだぁ」
「何の用だよ。……人に聞いたけど、お前三中地区なんだろ」
三中は樋口くんや平塚さん、そして名倉さんの出身校だ。菊城は特に誰に聞いたのかは気にしなかったらしく、いつもと同じニタァッとした笑みを浮かべた。軽くどころでなくホラーだ。
「宣戦布告しに来たぁ」
「は?」
「名倉ちゃん、知ってるでしょ。地雷系みたいな子」
「名倉さんが何」
「前は協力やめたけど、やっぱ協力することにした」
……話が見えない。相変わらずこの女は要領を得ない……というか、わざと焦らしているのだろう。嫌な奴だ。
「前はさぁ、陽向くんのこと恨んでるから仲良くしたい人に協力はしたくないなぁって思ったんだけどねぇ」
「お前が俺を恨むのお門違いだろ。俺が恨む側なんだよ」
「どうでもいいじゃん」
全く良くないが? と……言ったつもりが面倒くさすぎて口から出てなかった。多分声でなく表情に出てる。
「でも、陽向くん名倉さんのこと嫌いらしいじゃん?」
「……誰から聞いた」
「どうでもいいじゃん」
「良くないが?」
今度は口から出たが、俺の発言を無視して菊城は話を続けた。一発か二発殴りたいが、さすがに手を出したらダメだ。俺の理性の壁が固くて良か……良くはないな。我慢するしかないのは普通に辛い。
「んで思ったのぉ。嫌がらせするなら、名倉ちゃんに協力した方がいいかなぁって」
「……」
どう協力するつもりか知らないが、俺は名倉さんと仲良くするつもりなんてない。そんな俺の思惑……というか考えは最初から計算通りなのか、菊城は続けた。
「もちろんそんなこと言われても嫌だろうしぃ……朗報も持ってきたよ」
「朗報?」
「他のメンヘラ、脅してあげる」
「!」
まさかの言葉が出てきた。愛に危害は加えないとかクソみたいな言葉が出てくるかと思っていた俺は完全に意表を突かれキョトンとしてしまったが、そんな俺を差し置いて愛が口をだす。
「脅すって……どうするつもりか知らないけど、それはダメだよ。捕まりはしないかもしれないけどさ……それに、脅したところで陽向がその……名倉さん? と仲良くするとは……」
「愛ちゃんは黙っててぇ? これは交渉だから」
「仲良く、ね……つまり、他のメンヘラたちは俺に構わないようにするから、その代償として名倉さんと付き合えと……そういうことだな?」
「アハッ、せーかぁい」
「…………」
正直、メンヘラはどうなってもいい。だがこの話を愛に聞かれたからには……。
「……シンキングタイムは?」
「じゃぁ、次の金曜まで」
「わかった。名倉さんを通じて連絡する」
「待ってるね」
菊城は満足そうに帰って行った。俺の斜め後ろにいた愛が俺の横に並ぶ。
「菊城さん……変なことしなきゃいいけど……」
「あの女の言うこと真に受けてたら身が持たないよ、愛。帰ろう」
「あ、うん……」
かなり時間が経ってしまった。少し駆け足で愛のアパートまで行って見送り、俺は自分の家に帰る。当然だが母さんはもう居ない。最近はもう昼過ぎにはいなくなっている。随分前に家に来ていた男かどうかは知らないが、新しい男と上手くいってるのだろう。いいことだ……いいことなのか? わからん。
ふう、と溜息を吐き出す。おそらく愛は夕飯の最中だろう。俺も家事を片付けようと、とりあえず菊城のことは頭の隅に追いやったのだった。
翌日、俺は放課後、漫研に行く前にバンっと名倉さんの机を叩いた。俺が漫研に行くことは分かっていたので帰ろうとしていたらしいが、俺に机を叩かれたので荷物をまとめていたその手を止めている。
「……あの女にいくら積んだ?」
「お金前提なのね」
「でなきゃ名倉さんにとって最適な状況を作り出そうとはしない。名倉さんと付き合わせることで俺への嫌がらせはできるとして、他のメンヘラに圧をかけることについてはあいつにメリットがない。であれば金積まれたとしか思えない。……自分が嫌われてるって言ったのも名倉さん?」
「えぇ、そう。樋口くんや平塚さんじゃなくて良かったわね」
くす、と名倉さんは笑った。状況がわかっていないのだろうか。俺は少し周囲を見てから、小声で言った。
「……次問題起こしたら親呼んでクラス替えって言われたの忘れた? 他校の生徒巻き込んだのバレたら……」
「バレなければいい話でしょ? あの子が上手くやって、あとは貴方が私と付き合ってくれれば済む話よ?」
「…………」
自分の性格を見直すとかそういうのは考えの中にないようだ。
名倉さんの性格を他のメンヘラと比較し再確認する。まず伊藤さんより危険度は低い。だが多少なりとも大人しく、俺のことも考えてくれる伊藤さんに比べ、この女は金で人を動かそうとする。次、恩塚さん……正直性格は似ている、が、恩塚さんは生育環境が生育環境なため、自信のなさが返ってプライドの高さに繋がり、傷つけられるとすぐ激昂する。その点名倉さんは基本冷静だ。……実川さんは、依存度が高いだけでメンヘラの中で一番良心的だ。俺の事も気遣うし、周囲のことも気遣う。…………ただ、何かあると絶対的に俺に頼る。あと、何気に抜けがけしようとする。水着の時とかがそれに該当する。まぁなんにせよ、名倉さんと比較するまでもない。良木さんは……親がヤンキーなもんだから、本人もその気配がある。もちろん暴行事件とかは起こしてないが、とにかく強気で自分本位だ。そのくせ自分より立場の強い存在には弱いところは、名倉さんとは違う。名倉さんは礼儀はわきまえているが弱くはない。
……俺の中での総合評価は……メンヘラの中では全てにおいて中間地点、と言ったところだ。だからといって付き合うならマシな方というわけでももちろんない。だがまぁ、俺とて男である。顔は好きではないが……この体だ。……しかも、俺が話しかけてくることを見越していたのか、黒い下着が制服のシャツの下から透けてる。キャミソールくらい着て来て欲しかった。
「それで? 話はそれだけ? 結果はまだかしら?」
正直に言えば、結果は昨日の時点で決まっていた。言わなかったのは、愛がいたからだ。
「もう一つだけ、条件を追加したい」
「何かしら?」
「……絶対に愛に手を出すな」
「愛……あぁ、幼馴染の。それだけ?」
「それだけ」
「……菊城の言った通りね」
「は?」
「何でもないわよ。まぁ、菊城の返事を待って。私から伝えるわ」
「……わかった」
何が言った通りなのかよく分からないが、とりあえず言うべきことは言った。部活に行くかと思って俺も鞄を持つと、もう喧騒の過ぎ去ったクラスの中で名倉さん以外の4人の視線が俺に向いていて、俺は何か言われる前に走って逃げたのだった。
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