78限目 こんな例題で

 昼休みに起こった突然の俺の変わりように、クラスのメンバーや近くのクラスのメンバー、職員まで驚いていた。

「えっ……あれ誰?」

「ゆ、結城くん……だよね? あれ……」

「嘘! イケメンじゃない!?」

 学校では陽キャと話してる時に少し笑うくらいだったけど、もう楽しいと思ったら思いっきり笑っている。何事かと戸惑うだろうと思ったが、割と、人というのは自然な明るいものにはすぐ順応して、感化されて、寄ってくるものらしい。

「な、なぁ結城、お前めっちゃイケメンなんだな……!」

「お前突然イケメンになってなんのつもり!? 西川がお前に惚れそうで怖いんだけど!?」

「え、嵐山って西川さんのこと好きなの?」

 A組は大人しい人が多いと思っていたが、案外そんなことは無いらしい。話してみれば、結構みんな普通に明るい。俺があまり他の人に目を向けようとしなかったからそう思っていただけだったようだ。


 そうして午後は結構賑やかに過し、そして放課後、俺にはやるべきことがある。




「別れて欲しい」

「え……」

 人気のない場所に連れてきて言うと、伊藤さんは愕然とした様子で目を見開いて、わなわなと震えていた。かと思えば唐突にポケットに手を入れて、静かな廊下にカチカチという音を響かせる、が──もう吹っ切れた俺にそんな脅しは通用しない。

「……して」

「え?」

「撤回して。してくれないならここで首を……」

「好きにすればいい。俺が罪に問われることはまず有り得ない。俺はもう、君たちに人生を振り回されたくない!」

 伊藤さんはやがてポケットから手を抜いたが、その手に物騒なものが握られていることは無さそうだった。

「……突然変わったね。何があったの?」

「……何がどうってわけじゃない。強いて言うなら諦め。……そもそも俺、わざわざ黒染めして眼鏡かけてあんな格好してたの、目立ちなくないからだったんだよ。でも結局入学初日から目立っちゃったし、もうしょうがないって思った。それだけ」

「私たちのせい……?」

「忌憚なく言うならね」

 伊藤さんは青い顔をして押し黙ってしまったので、少し気まずいが会話が終わったということにして帰ろうと、俺は昇降口へと向かった。しかし、そこでブレザーをぎゅっと後ろから握られる。何か言いたいことがあるのだろうかと後ろを向くと、そこに居たのは……伊藤さんではなく恩塚さんだった。何の用だ、本当に。

「……恩塚さん? 何?」

「伊藤さんと別れたなら私と付き合ってよ」

 わーお。聞いてたのか。嫌だが?

「……俺はもう誰とも……」

「見た目戻したの、もう目立ったからどうしようもないって理由でしょ? だったらもう誰と付き合うとか気にしなくても良いじゃない」

 俺の「誰と付き合いたい」っていう気持ちはガン無視されてるよね、それ。とにかく恩塚さんは嫌だ。なんでそんなに嫌がるのかと言われると、押しと圧が強いから。伊藤さんは小さいし刃物を持ち出すことを差し引いて考えれば大人しいからいいんだけど……その刃物を差し引いて考えていいのかは置いといて。

「なんでダメなの? なんで伊藤さんはいいって言ったのに私はダメなの!?」

 それは目の前でリスカされたくなかったから……。

「……恩塚さんだけじゃない。俺はもう誰とも付き合うつもりは無いんだよ。他の誰に言われても、断るつもり」

「へーえ、そう。本当に? 幼馴染に言われても!?」

「なんでそこで愛が……」

「しらばっくれないで! 本当は知ってるんだから、あの子が好きだってことくらい!」

 隠してた……つもりではあったけど、やっぱり分かりやすかっただろうか。臨海学校で名倉さんに怒った時にバレたのかもしれない。

「愛に言われたって断る。誓ってもいい」

「……っ」

 恩塚さんは何も言えないようだ。もう部活行こう。安全シェルターに行きたい。

「じゃぁ……俺部活行くから」

「ま、待ってよ!」

 叫ぶ恩塚さんを無視して、少し駆け足で俺は漫研へ向かった。




「秀康くんそのまま! そのままのポーズでお願いします!」

「は、はい……」

 漫研の先輩たちには、樋口くんが予め俺の見た目が変わっていることを教えていてくれたらしい。部室に入ると、先輩二人にポーズを取らされ、今デッサンされている。こういうのは漫研より美術部の管轄のような気もするが、どうやら「細身のイケメンを描きたい」との事だったので、俺の顔をそっくり模写したいという訳では無いようだ。言うなればデッサン人形的な扱いを受けている。ちなみにデッサン人形自体はあるのだが、先輩が言うには「デッサン人形は普通の人間にはできないポーズが可能だから頼るのは危険」との事だ。その点、ポージングは出来れば普通の人間にやって貰ったほうがいいのだろう。俺としてもずっと同じ姿勢でいるのは疲れるのだが。ちなみに今は、ドリブルをしているようなポーズを維持させられている。

「ところで秀康くん、一葉くんから聞きましたが彼女さんとの別れ話は成立しましたか?」

「何も言わないので逃げてきました」

「また面倒なことになる気配を察知」

「それは遅いな樋口くん、もう起こったよ面倒なことは」

「何があったので?」

「恩塚さんが迫ってきた」

「それで逃げてきたの自殺行為で草草の草」

「まだ死にたくないなぁ」

「フラグはビンビンなのに呑気ですなぁ」

「失敬な……」

 会話をしながらも、中途半端な高さで上げ続けている腕が痛い。だが先輩はかなり真剣に描いているようなので文句を言えない。少しして、俺の腕がぷるぷるとしているのを見て先輩はハッとした顔をした。

「あっ……! ごめんなさい結城くん! 腕痛いですよね!?」

「まぁ……そろそろ……少し……」

「わぁぁぁ……下ろしてください! あ、その前に1枚写真を……!」

「部長俺にも送って」

 部長が写真に収め、それを副部長が受け取ったらしい。やっとポージングから開放された。

 漫画を書いていたのは前副部長と現副部長だが、何故に漫画を書いていない現部長まで俺のポージングを参考にしているのかと言うと、部長はイラストレーターになりたいからだそうだ。美術部の方がいいのでは、と言ったが、最初は美術部に入ったが質に合わなかったらしい。俺は当然美術部の空気なんて知らない訳だが、部長曰く「和気あいあいとはしてるんだけど、元々何かしらの心得がないと輪の中に入れて貰えない圧を感じた」……とのこと。そうなんですかと適当に相槌を打ったが、多分気のせいだと思う。

「秀康が言いたいことはわかる。気のせいだろ、と思うよな」

「んな! 金時くんまで!」

「でもな秀康。俺らみたいな陰キャ早口オタクにとってはそのちょっとでも感じた圧の有無が命取りなんだ。お前にもわかるように例えるなら……たとえばお前が初対面の女子に出会って、その子は明るくてポジティブな人だと周囲が評価するけど、お前はなんとなーく言葉の端々にメンヘラ臭を感じ取るとする……お前、その場合逃げるだろ?」

 数秒の沈黙の後、俺はゆっくりと頷いた。

「……逃げます」

「それを誰に対しても行ってるのが陰キャだ。少しでも輪に入れなそうな雰囲気察したら逃げるんだよ」

「なるほど」

 すごいな、ものすごくあっさりと理解出来た。……できたけどこんな例題で理解したくはなかった。

「何にせよ秀康くん、気をつけてくださいね。お父さんが言ってたんですけど、頭おかしい人ほど行動力あるんですから」

「お父さん警察かなんかですか」

「いえ専業主夫です」

「副部長、俺それ1年半の付き合いにして初めて知ったんだが?」

 穏やかな部活の時間は過ぎていったのだった。

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