76限目 ハナからそれが狙いだった

 ……また熱を出した。そんなことを考えながら熱い息を吐き出す。

 安泰な土日を過して、後期が始まって、補習も終わって次の週を迎えて、月曜日にこれだ。笑えない。こんなに体が弱かった覚えはない。

「また熱? 珍しいわね陽向……寝てれば治る? それとも病院行く?」

「治ると……思う」

 ずっしりとした頭を抑えながら母さんに答える。あー、学校に連絡と……俺が来るまでいつまでも待っていそうなメンヘラたちに連絡しないと。俺は電話をかけて欠席連絡をしたあと、伊藤さんにメッセージを送ったのだった。


 母さんの分の昼飯は作ってあったが、当然いつもパンを食べている自分の飯なんてない。まぁ食欲もないしいいんだけど……。それにしてもどうしてまた熱を出したんだろう。ストレスだろうか、そんなことを思いながら天井をぼんやりと眺めた。

 先週の木曜は補習が被らず、デートは決行された。場所はゲームセンター。と言っても、UFOキャッチャーとか音ゲーとかではなく、プリクラだ。夏休み中に1度ふざけて撮ったけど、目の大きさに俺たち4人はドン引きしていたし、今回も案の定ドン引きしてしまった。まぁ隣は楽しそうだったんだが……。

 出力された2枚のうち、1枚は貰った。貰っても貼る場所は無いし、机にしまったままだ。伊藤さんにはお揃いのノートを買って貼ろうよ、と言われたのだが、さすがにそれは恥ずかしくて曖昧な返事をしてある。曖昧な返事はそのうち脳内で色んな化学反応を起こしてイエスだと勘違いするのが定石なので、今日恥ずかしいからと言って断ろうと思っていたのに。

 ……伊藤さんで思い出した。そろそろ目の端でチカチカ光ってるスマホを何とかしよう。音はサイレントにしてあるが、通知の光が煩わしい。スマホを手にして、ロック画面を表示すると……気が遠くなるような数の通知が来ている。無理すぎる……。既読をつけたらここぞとばかりにメッセージが届きそうで怖い。というか朝の10時なのに200件?1分に1つどころじゃない。授業はちゃんと聞いて欲しい。ちなみに、他のメンヘラとは連絡交換してないのでこれはほぼ全部伊藤さんだ。いくつか佐々木やたむたむ、馬渕からも来てるとは思うが。

 そんなことを考えている間にもどんどんメッセージが来る。俺は通知を一括削除を……押そうとして、やめた。通知の光がウザイから一旦削除したとして、削除した端から通知が溜まっていくのだから意味が無い。何か良い手はないかと考え……枕の下に隠すことにした。……なんか小学生のおまじないみたいだな。その場合俺はメンヘラの夢を見る訳だが。…………夢にまで進出してくるメンヘラとか嫌だな……。




 昼過ぎにインターホンを押されて目が覚めた。こんな時間に来る客に覚えなんてない。セールスかなんかだろうと思って無視しようと思ったが、もう1回鳴らされた。ご近所さんか?近所づきあいなんてほぼ皆無だけど……そう思いながらいることがバレないようにベッドから降りて、ゆっくり静かに玄関に向かいだした途端、連続でピンポンピンポンとインターホンが鳴りだした。下手なホラーよりホラーだ。覗き穴から確認すると…………伊藤さんなら分かるよ、なんで良木さんなんだよ。

「……」

 どうしよう、居留守を使うか否か……。

「いるんでしょ!? 出てきてよ!」

 いるけど出たくないんだよなぁ。……とはいえ、このままでは近所迷惑を免れない。仕方ないのでインターホン越しに出た。

「……何? どうしたの?」

『熱出したって言うから心配してきたのよ!』

「早退してまで……?」

『そんなの私の好きでしょ!?』

 俺はやめて欲しいんだけどな……。

「……伝染うつしたら悪いし、帰って欲しいんだけど……」

『それが心配してきた人に対する態度!?』

 それが心配してきた人の態度か?と言い返したい。あと俺は一言も来てくれとか言ってない。なんで来るんだよ、とすら思う。休ませて欲しい。後生だから。……などと言えればここまで苦労してない。

「……頼むから、本当に帰って……」

『……そこまで言うなら仕方ないわね。でも条件があるの』

「……条件?」

『あの女と別れて』

 あー……なるほどね。ハナからそれが狙いだった、ということか。

 伊藤さんが刃物を持ち出すような女だということは、文化祭以降他のメンヘラも知ることになったことだ。俺が言えた義理では無いが、良木さんは正直頭がいい方では無い……いや本当に俺が言えたことではないんだが……まぁともあれ、それでもそれなりに俺が伊藤さんと付き合い始めた理由を考えたのかもしれない。そして導き出した答えが刃物での脅しという答えであり、正解だった。だがそこで伊藤さんに楯突くのは危険すぎる。同じように刃物を持ち出される可能性がある上、そもそも次問題を起こせばクラス替えを行うと先生に布告されている。

 つまり今メンヘラたちが行えることは、学外での俺への交渉で、良木さんは最初から扉を開けて貰えると考えてもいなければ、心配してきた訳でもない。俺が熱出して判断力が弱っている上に休みたい今が、伊藤さんと俺を引き離すための絶好の交渉タイミングなのだ。そこまで思考できていても、俺とて離れられるなら離れたいのは分かってもらえていないようだ。それに恐らく、伊藤さんと別れたら次は良木さんが「付き合って」といってくる。無限ループはごめんだ。それならまだ大人しい伊藤さんの方がいい。

 まぁもちろん思惑がわかった上で交渉に応じるほど俺も馬鹿ではない。こうなったら持久戦だ。外も寒くなってきた今、部屋の中でぬくぬくと布団に入って寝れる俺と外で蹲るしかない良木さん、どっちが先にギブアップするかなんて勝負の結果は見えている。少し間違えれば近所に通報されることも有り得る。

「……帰って」

 俺はそれだけ言い残して通話を切り、ついでにインターホンの音量をミュートにして、ドンドンとドアを叩く良木さんを無視して部屋へ戻ったのだった。


 少ししてドアを叩く音は収まった。俺は少し布団から出て、音を立てないように玄関まで歩いていく。インターホンを見ると、赤くチカチカと光っているので、ドアの前にはまだいるようだ。……近くの人に注意されて、音のしないインターホンに切り替えたのだろうか。音がしないのだから意味が無いという方向に考えがシフトしていない……とは、思えないが……ここまで来れば執念じみてくる。

 時間はまだ2時。愛が帰ってくるまではあと3時間もある。母さんは昼ごはん食べたあと出かけてしまったし、そのまま仕事に行くと言っていた。さてどうしたものか。返事はしたくない。俺の言葉は聞いてくれない。

 学校に連絡……警察……?いや、そんな大袈裟なことする必要は……あぁダメだ眠れてないからか頭が熱くてろくに回らない……。

 落ち着け、とりあえず放置だ。放置、構えば過激化する。ドアも叩かれないし、インターホンもならないから隣から怒鳴られることもない。


 ふと、自分の目が陰った気がした。体調の悪さで眩んだとかじゃない。分かりやすく言うなら、我慢の限界とでも言うべきかもしれない。

 俺が何をしたんだよ、という気持ちが浮かんだのだ。狂ったように鳴らないインターホンを押し続ける変わった名前の女、他人のフリをしてまで俺の隣に嫉妬する女、俺の行くところに必ずと言っていいほどストーカーしてくる女、俺の意見を絶対にして似合わない水着選ぶ女、刃物を出して脅してくる女。あーもう、全部めんどくせぇ。


「……寝よ」

 こうやって限界が来ても割と早く冷静になるので、俺は溜息を吐き出してまた部屋に戻ったのだが──案外心というのは、偽れないものだと俺は後に悟るのだった。

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