75限目 効果がないみたいだ……

「おかえり陽向! 遅かったね」

「あ、あぁ、うん……」

 ……ほとんど茫然自失のような状態で帰ってきてしまった。愛に呼びかけられて、ようやく我に返る。

「どうしたの? ボーッとして」

「い、いや何でも……」

 なんでもないと言いかけた瞬間、つい数十分前のハグの感覚が蘇って、ぶわっと顔が赤くなってしまった。愛はギョッとして思わず身を乗り出していた。

「どっどうしたの!? 風邪!?」

「ごめ、ちが……くて……っていうか危ないよ愛」

「だって挙動が……!」

 俺は誤解をとくため、経緯を説明した。聞き終えた愛は呆然として、伊藤さんの行動力に驚いているようだ。

「文化祭の時もそうだったけど、伊藤さんって大人しい見た目の割に行動力凄いよね……」

「ほんと、まさかハグされるとは……」

「キスじゃなかっただけいいんじゃない?」

「キスは多分したくてもできなかったんだと思う」

 ハグは何とかなっても、俺と伊藤さんの身長差では俺が屈むか伊藤さんが台か何かを持ってこないかしないと、立った状態でのキスは無理だ。10cmのヒールを履いたってまだ20cm以上の差があるのだから、恐らく無理矢理キスとかはされないだろう。その点は良かった。

 ちなみに俺のファーストキスとファーストハグは両方愛だ。もちろん幼稚園の時の子供同士の戯れと言うだけで深い意味はない。後年になって弥生さんに聞いた話では、「愛と陽向、今日ちゅーしたの!」と愛に聞いた健一さんは夜にビールを3本飲んで泣いていたらしい。

「……どうしたら別れを切り出してくれるんだろうな……」

「自分からは言わないの?」

「俺から言えるわけないだろ。いつ刃物を出されるか……」

「普通に脅迫罪とかにならないのかなそれ」

「なるとは思うけど……」

 とはいえ、だ。何の変哲もない一般人というのは、自分は悪くないと分かっていても、中々警察を頼れないものだ。明確に理由を言うのは俺の頭脳では出来ないけど、何となく。国家権力だからだろうか。

「とにかく、もうしばらく様子を見るよ。今のところデートは週一だし」

「……やっぱなんか不思議だなぁ、陽向がデートって」

「どういう意味……?」

 だって、と愛は口を開く。曰く、中学の頃は部活が忙しかった以上に、メンヘラに目をつけられたら不味いという理由、そして愛は知らないが愛に片思いをしていたこともあって、俺は告白に応じたことがなかったのだ。最初の頃は「今は恋人を作る気がない」と断って、伊藤さんの異常性が見えてからは「悪いけど、恋人作ったら伊藤さんに何されるか分からない」と言って断った。だんだん学年中でその話は広まり、2年生になる頃には告白されることが無くなった。しかも3年生になったら恩塚さんまで加わったのだ。俺に告白して身の安全を保証出来ないなんて、誰でも嫌に決まってる。そんなんじゃ、当然デートなんてしたことが無い。

「普通にいたじゃん? 周りにデートしてた人。でも陽向はそういうの全然なかったし、なんが不思議な感じ」

「まぁそれもそうか……」

 多分、愛がデートしてきたとか言い出した時、俺も同じことを言うんだろうなと笑ってしまった。愛が恋人を作らない理由なんて知らないけども。




 翌朝、いつも通り校門前で……何故未だに5人揃っているのか分からないがまぁいつも通りみんな待ってた……が、今日はみんな俺の顔ではなく足に注目している。昨日買ったスニーカーを履いているからだろうな、多分。

「スニーカー新しいやつにしたのね」

「似合ってるけど、地味すぎない? 誰が選んだの?」

「え、いや普通に自分で……」

「昨日買ったんでしょ? 好きなお店選べなかったのね、伊藤さんのせいで」

「そういう訳じゃ……」

 是が非でも伊藤さんを元凶に仕立てあげたいらしいが、伊藤さんは実質関係ないし、なんなら伊藤さんにもシンプルすぎないかと言われている。それに俺は店にこだわるほど見た目に気を使っていない。ただ前のスニーカーが古かったから買い換えただけだ。

「サイズは……26.5くらいかな……男子の平均よりちょっとだけ大きいんだね……」

「ひえっ……」

 実川さんのコメントにシンプルに声が出た。まさか漫画以外で、しかも自分の口からこんな文字にしたら半角カタカナになりそうな声が出るとは。しかももちろん靴のサイズは当たっている。なんで見ただけで分かるんだよ怖すぎるだろ。あと俺平均サイズなんて知らなかったよ。

 ビビり散らしていると、予鈴が鳴った。やばい、時間が無い。俺たちは少し駆け足で教室へ向かったのだった。




 今日は前期の終業式、ということで授業は午前だけやって、午後一で終業式をやったら終わりだ。……少数の生徒を除いて。そしてその少数には、俺も含まれており、その少数とは何かと言うと──。

「……というわけで、午後の終業式の後、該当生徒の皆さんはA教室に移動してくださいね」


 …………補習組である。俺も佐々木も見事に、A組だとあとは、河野さんという男勝りな女子が中間期末共に赤点とった強化がある補習組だ。ちなみに、今日は初日。数学補習だ。他の科目で両方赤点を取った生徒は、また別の平日、放課後に補習を受けることになっている。ちなみに俺の補習は数学と物理、そして世界史だ。他は何とかなった。

 つまり今日は補習組でない生徒は早帰りで、伊藤さんももちろん俺とのデートを望んでいたのだが……彼氏は補習なのでそれは出来ないのだ。

「えーと、そういうわけで……ごめん」

「ううん、気にしないで。仕方ないよ」

 さすがに高校で留年するのは笑えない。というかそんなことになったらまず間違いなく退学だ。今は伊藤さんと付き合っているけど、これが恩塚さんや良木さん、最近は大人しいけど名倉さんという強引な人だったら補習も受けさせて貰えなかったかもしれない。俺の将来なんて恐らくどうでもいいのだろうし、彼氏が留年とか嫌だろ、とかいっても多分無駄。効果がないみたいだ……というテロップが視界に表示されるくらいには。ピカ○ュウ攻撃10まんボ○ト恩塚さんドンフ○ンにも良木さんバン○ラスにも名倉さんゴ○ーニャにも効かないんだ。


「何突っ立ってんだよ結城、A教室行こうぜ」

「あ、あぁ……うん」

 佐々木に急かされ、俺たちはA教室へ向かった。

 数学の教師は若干というか嫌われている。何でも、去年は2年生を受け持ちしていたが、怒鳴ったり廊下で長いこと叱責して授業を遅らせたり、自分の思い通りに行かなければ不機嫌になってちゃんと授業をしないなど問題行動が多々あって、後期の期末、ついに1人の女子生徒が先生を理由に登校拒否を始めたらしい。その人が人気者だっただけに、当時の2先生は大激怒。噂ではあるが、なんとストライキを起こしてほぼ全員が「具合が悪いので保健室に行ってきます」と言って授業所ではなかったらしい。教師というのはエレベーター方式。当時の2年生、今の3年生は、そのストライキがなければ今でもこの先生の授業を受けることになっていたが、そんなことをされたお陰で先生はその学年の担当を外され、俺たち1年生が皺寄せを食らっているのが現状だ。今日も不機嫌そうだ。

 適当に聞いている振りをして、問題を解いて、小テストをやって提出、終わった順に帰っていく。結果は後日配られるのだ。俺は佐々木よりも少し早く終わったので、教室を出たあと数分待っていた。ちなみに、1年生全組の数学補習人数は、だいたい25人くらいだ。

「わりぃわりぃ、待たせて」

「いいよ」

「さーて、帰るかぁ」

「そうだな。はーあ、これがあと2科目あるのかァ……」

「お前は二科目なんだからいいじゃん。俺なんて三科目だよ」

 俺たちはそんなことを言い合いながら昇降口へ向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る