74限目 ……そうでした
手を繋ぐのは恥ずかしいと言うと、少し不満そうな顔をされたものの手を繋ぐのはやめてくれた。……それにしても。
伊藤さんは前々から小さいと思っていた。何cmかは知らないが、まぁあって145に行くか行かないかくらいだろう。メンヘラと一緒にいると埋もれそうだな、と思っていたが……隣にいると、メンヘラがいなくてもやっぱり小さい。伊藤さんが145だと仮定すると、俺との身長差は32cm。かなり目線が下だし、下手すれば見失いそうだった。それにルミネはいつも人が多いので尚更行方不明になりそうだ。……手は繋ぐべきだったかもしれないが、俺から言い出した手前やっぱり繋ごうとは言えない。それに恋人ムーブをしたいんだと勘違いされたら困る。代わりに、肩を持って横から前に移動させた。
「! 陽向くん?」
「ごめん、横にいられると見失いそう」
「ご、ごめんね小さくて……」
「悪いわけでは……」
そのまま伊藤さんを先頭に、俺たちは店を目指した。着いたところでは、暖かい服がずらっと並んでいる。学校ではまだ半袖の生徒もいるのに。だんだん秋が日本から消えているのをひしひしと感じる。もう10月は中頃まで昼間は暑いことが多い。
「うーんと、トップスとブーツと、あと帽子が欲しいな……」
「この服屋好きなの?」
「うん。よく買いに来るよ」
言いながら伊藤さんは良さげなトップスを探している。秋服らしく落ち着いた色合いのものを探しているようだ。俺は特に何も言わずにその様子を眺めていたが、そのうち伊藤さんが店員さんに話しかけれ、その店員さんが俺に視線を向けたので、来てくれ、という意味と受け取って俺は伊藤さんに近づいていった。
「この辺りの色もお似合いですよ」
「うーん……もう少し大人っぽい色でもいいかなと思うんですけど……」
「彼氏さんはどう思われます?」
彼……氏、か。そうだな、今は彼氏なんだった。
店員さんがおすすめしているのは、明るめの青の薄いニットベストとワイシャツの組み合わせだった。少し涼し気な印象はあるが、まぁ似合わないことはもちろんない。さすがプロだ。大して伊藤さんはあまり乗り気ではない顔をしている。そんな伊藤さんが手にしているのは、少し暗い緑のニットベストだ。どっちを組み合わせるかで悩んでいるらしい。
「陽向くんはどっちがいいと思う?」
「えっ……と……うーん……」
個人的な意見だが、確かにこういうくすんだ緑……モスグリーンっていうのか?……の方が秋らしい、とは思う。でも、落ち着きすぎかなとも思うし、この明るい青の方が顔全体の印象が明るく見える。ここは素直に言ってもいいんじゃなかろうか、さすがにこんなところで刃物を取り出すこともないだろうし。
「まぁ……こっちの青の方が個人的にはいいと思うかな。……落ち着いた色は何歳になっても着られるけど、こういう明るい青とかは今だから着られるって感じもあるし……あとこっちの方が、印象が明るい」
「そっか……じゃぁ、これ試着させてください」
「はい! ではこちらのフィッティングルームへどうぞ!」
伊藤さんは店員さんから服を受けとり、試着室へ案内された。店員さんは伊藤さんが持っていたモスグリーンのベストを受け取りながら、俺に話しかけてきた。
「どうですか彼氏さん、彼女さんとお揃いのものを着てみません?」
「あっ、いや……今日はただの付き合いで……それに、俺土日とか休日はバイトで忙しいんで……」
「あら、それは残念です……お客様でしたら赤系統の色がとてもお似合いになると思うのですが……」
「そうですかね……」
適当に受け流しながら伊藤さんを待っていると、そのうち遠慮がちにカーテンが開いた。元々がワイシャツとベストの組み合わせだからか、制服のチェックスカートとよくマッチしていた。
「ど、どうかな……」
「とてもお似合いですお客様!」
「似合ってるよ」
「えへへ、良かった……」
伊藤さんはこの服を購入した。ついでにあたたかそうな紺色と水色のニット帽も購入し、この店を後にした。一応彼氏なので、荷物は持ってあげた。さすがに体裁的に荷物も持たないのは気が引けたのだ。
次に向かったのは靴屋だ。基本的に靴屋は一年中同じようなものが並んではいるが、さすがに季節のコーナーのようなところには冬用のブーツが並んでいた。
「うーん……どれにしようかな」
モコモコのもの、大人っぽいもの、色も茶色やら黒やらパステルカラーやら様々だ。
「陽向くんもなにか買わない?」
「えっ……俺はいい、かな……多分あってもそんなに履かないし……」
「そっか……でもブーツは要らなくても、スニーカーは買ったら? もうそれ、結構使い古してるでしょ?」
言われて自分の足元を見る。俺は学校にはローファーではなくスニーカーで通っているが、たしかに結構履いていてボロボロだ。いい機会ではあるし、確かに買い替え時かもしれない。
「……じゃぁそうしようかな」
「一緒に選んでいい?」
「あー……まぁ、いいよ」
靴のデザインについては、特にあーだこーだと口煩く言われない。一応規定はやんわりと存在するのだが、スニーカー勢は誰も守っていないのだ。先生としても目に付きにくい部分だから注意しないのだろう。もちろん、真っ赤とかトゲトゲとか、そういう派手すぎるものは注意されるのだろうけど、俺としてもそんなものを選ぶつもりは無い。
「白と黒だったらどっちが好き?」
「汚れが目立たないから黒」
「黒かぁ」
履き心地やサイズ感、もちろんデザインも色々見て、結局俺はモノトーンのシンプルなスニーカーを選んだ。
「そんなにシンプルなやつでいいの?」
「いいよ、どうせ日常使いだしお洒落なものよりはシンプルな方がいい」
「そっか……私はどれにしようかな。出かける時のための可愛いやつが欲しい……」
伊藤さんは熱心に可愛い形のブーツを見ていた。俺は元の靴に履き替えて会計を済ませ、その様子を見守る。色々履いて鏡の前に立って見たりして、随分長いこと悩んでいたが、やがてダークブラウンのブーツに決めたようだ。値札は……見えなかったということにしておこう。
「ありがとう陽向くん、選ぶの遅れてごめんね」
「それは別に……」
「私、今までも一応彼氏いたことあるの」
「えっ、そうなの? 知らなかった……」
「すぐ別れちゃったから。買い物が長いとかで」
……その彼氏の気が短いとか、伊藤さんの買い物が長いとかって言うより……俺としてはそれ、多分彼氏の口実じゃなかろうかと思う。付き合った後になって早々やばい女のオーラを察知して、でもそれを口に出せずに買い物を口実にしたんだろう。実際、伊藤さんは選ぶのに時間はかけたが、別れたくなるほど待てない長さではなかった。俺の気が長いのかもしれないけど。
「ええと、じゃぁ俺はこっちだから……」
「待って。送ってってくれないの? もう暗いし、私は彼女なのに」
……そうでした。世の中では暗くなっていてもなっていなくても、彼氏は彼女の家の前まで送っていくもの。考えたこともなかったが、まぁ高校生の常識として知識はある。
一緒の電車に乗り、恐らく痴漢対策のために後ろにいて欲しいと言われ、やがて伊藤さんの家の最寄り駅について、俺は家の前まで伊藤さんを送っていった。
「ありがとう、また明日ね」
「あ、うん……またあし、」
言い終わる前に、伊藤さんの頭が肩より少し下に押し付けられ、胴体に腕を回された。……え、え?
少しして離された後、伊藤さんは手を振って、家の中へと入っていった。……固まって何も出来なかったなと、ぼんやりと俺は考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます