71限目 仕方ないことだったのだ
「す、好きです、付き合ってください……!」
「…………へ?」
テスト最終日、テストが終わった日の放課後に、その発言は飛んできた。
毎日のように一緒に勉強しようと言ってくるメンヘラに対して、家で一人で勉強するからと言ってメンヘラたちを避け続けた前期期末試験の試験期間。結局俺一人じゃろくな勉強はできず、これは補習か追試確定だなと思いつつテストが終わり、とりあえず早く帰ろうと思った次の瞬間、グイッと俺の腕を引っ張ったのは伊藤さんだった。突然のことに抵抗することも出来ないまま人気のない所に連れてこられ、今これだ。
「…………ええと……い、いきなりどうしたの伊藤さん……」
「ダメ?」
「ダメというか……驚いて……今まで告白なんてしてなかったのに……」
「それは……名倉さんが最近突然態度を変えたから……」
確かに、あの一件以来、名倉さんは大人しく、ただし何もしないという訳でもなく、ただ俺に対する高飛車で他のメンヘラを見下すみたいな態度を辞めた。代わりに、ただの恋する乙女みたいなムーブを見せるようになって、その点では俺に対するアピールが積極的になった、という感じだ。面倒くさいのに変わりはないけど……。
「名倉さんは綺麗だし、発育もいいし……このままじゃ陽向くんが取られちゃうかもって思って……」
……なるほど。
「……心配しなくても名倉さんとは付き合わないし、俺は今誰とも付き合うつもりはなくて……」
「……でもそういうの、本当は別の人と付き合ってるものだよね?」
それはそうだが、俺は本当に誰とも付き合うつもりは無い。愛に告白するのはせめて高校を出たあと、それかこのメンヘラたちが俺から離れたあとだ。
「いやほんとに、好きな人もいないし誰とも付き合うつもりは……」
「ふぅん……そう」
そう言いながら伊藤さんはスカートのポケットに手を入れた。……嫌な予感がする!!
「い、伊藤さ……」
静かな廊下に、かち、かち、という音が響いた。その手に握られていたのは、やはりと言うべきかなんというか、カッターだった。伊藤さんはそのカッターを、何と自身の手首に近づけていた。──まずい!
「伊藤さん!」
慌ててその手を止めると、伊藤さんはギロリと俺を睨みつけた。
「なんで止めるの?」
「なんでって……ここで怪我されても……」
「ここじゃなければいいの?」
「そういう訳じゃ……」
あぁもう、早く帰りたい……。
「陽向くん、手を離して。切って欲しくないなら……付き合って」
…………伊藤さんからすれば、こうすれば俺が止めに入るのは分かっていただろうし、本気で切るつもりなんてなかっただろう。これは俺自身も自覚している、馬鹿みたいな人の良さを利用したものだ。伊藤さんが本気で切るわけないと思いつつも、手を離すことができずにいる、俺の。うん、いいよと言わない限り、この手を離すことは出来ない……が。
言いたくねぇ……。
「ねぇ、どうするの?」
元々難しいことを考えるのが得意じゃない頭が、ついに思考を手放した。もうどうにでもなれと言わんばかりに。
「……わかった。……いいよ」
伊藤さんの笑みが、満面に広がっていった。
…………俺の馬鹿!!
「えええええ!? OKしちゃったの!?」
愛は仰天の顔をして言った。俺としても、愚痴の1つでも言わなければ耐えきれなかったのだ。
「だって目の前でリスカする危険があるのにそれはできませんなんて言えるかよ……」
「そ、それはそうだけど……でもそんなの今より酷い状況になるんじゃ……」
その通りだ。これからのメンヘラが起こす行動は、おそらく俺の想像の範疇を大きく超えてくるだろう。……あー、憂鬱だ。もう学校に行きたくない……。だがさすがに高校引きこもりは笑えない。中卒で働ける保証なんて当然ないし。それに今このタイミングで姉ちゃんに迷惑もかけられない。
「長く付き合うつもりもないし、何とかしないとな……」
俺はぼんやりと、机の上の教科書を眺めた。
翌日、金曜日。昨日の伊藤さんと俺のやり取りを知らないメンヘラはみんな揃って待っていたが、俺が校門に行くと伊藤さんが駆け寄ってきた。
「おはよう、陽向くん」
「お、おはよう伊藤さん」
「伊藤さんじゃなくて、紗絵、でしょ? 恋人なんだから」
伊藤さんッッッ!!!
気温が一気に下がった気がした。当然、他の四人のメンヘラの表情を伺う余裕など俺にはない。そんな余裕があったらこんなことにはなっていない。伊藤さんは周囲のことなど気にも止めず、俺と無理矢理腕を組んで教室へと向かっていった。凍りついた4人を置いて。後ろを振り返ってちゃんと4人が教室に来るか確認したいが、グイグイと俺を引っ張る伊藤さんを傍らに、そんな余裕はないのだった。
「お前どうした!? 幼馴染ちゃんはどうした!?」
今日は一日中伊藤さんが俺の事を彼氏だと誰彼構わずアピールしていたせいで、放課後の今陽キャたちと樋口くんによってファミレスに連行された。なんで恋人なのに連絡先の交換を嫌がるの!?とヒステリーされて渋々交換したSNSには、既に50件にものぼる連絡が来ている。俺はたむたむの問い詰めを聴きながら、死んだ魚のような目でジュースをちびちびと飲んでいた。
「……俺としても付き合いたくて付き合った訳じゃなくて……」
俺は事の顛末を説明した。付き合える相手を選べるなら勿論愛を選ぶが、あれは最早早い者勝ちの状況で、且つ伊藤さんがカッターを取り出すから仕方ないことだったのだ。
「名倉さんの時は強気に出たのに、なんでそこで弱気なんだよ」
「名倉さんの時は平塚さんに迷惑がかかってたし……」
「自分一人ならいいって考えが一番だめってばーちゃんが言ってた」
佐々木が言う。そんなことを婆さんが孫に言うかよ。
今日のメンヘラたちは、明らかに魂が抜けてた。お陰様で言及を免れたが、週明けはきっと地獄のように問い詰められるだろう。ちなみに勿論伊藤さんは一緒に帰ろうとしてきたが、陽キャたちが「ちょっとごめんこいつ借りるわ!」と強引にここまで連れてきた。
「まぁとにかく、事情としてはそういうこと」
「口で言うのは簡単だけどお前……死ぬ気か?」
「まだ死にたくはないな……」
そう言いながら、通知音はサイレントにしているが画面が更新され続けるスマホのスリープ画面に目を落とす。「ねぇねぇねぇねぇ」「明日どこに行く?」「バイトはもちろん休むんだよね?」という文字が見えて軽く目眩を覚えた。完全に憔悴している俺にもう何を言うのも出来なかったのか、4人は気の毒そうな顔をした。
「……アイスでも食うか? 奢るぞ」
「そ、そうだ、ポテト食おうぜ、な! 俺が払うから!」
「なんだったらその……普通に飯食って帰るのもいいし!」
「なにか腹に入れた方がいいですぞ結城氏! ほら今日、昼ごはん吐き戻してましたしな!?」
「吐き戻してたのお前!?」
食べた後すぐにトイレ行って吐いたよ、あまりにも精神が限界すぎて胃が受け付けなかったんだよ焼きそばパンを。
「……アイスは食べたいな」
「よしアイスな! 全員で食おうぜ!」
そう言ってたむたむがメニュー表を広げる。こうしてこの日のファミレスは、とにかく俺の精神を回復させる会になり、みんなでアイスを食べたのだった。
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