70限目 はーあ、やっぱり

 平塚さんの家に入ると、平塚さんが若干不満そうでかつ不安そうな顔をしていた。……なんか巻き込んですまない、だが俺は悪くないんだ。分かってくれ……。

「樋口くんから事情は聞いたけど……ほんとに名倉さんが?」

「いや、ただの状況証拠だけど……」

 思えば今朝校門前にいなかったのは、平塚さんが既に教室にいるか確認したかったのかもしれない。名倉さんが何時からいるのか知らないが、平塚さんは早く登校しているのだ。

「でも菊城香麗奈が来てるのは本当なんだよね?」

「う、うん……」

「…………うーん……できることと言ったら、俺からあの女に言っとくくらいなんだよなぁ」

「大丈夫か? あいつのせいで死にかけたんだろお前」

 そうなんだよなぁと、たむたむの心配の言葉に溜息を吐き出す。その瞬間、家のインターホンが鳴った。全員ビクッと体が揺れ、インターホンの画面を確認する。平塚さんが立ち上がり、画面を見た。……うわ、見たくない顔が映ってる。

「……どうする? 俺たちが出たらびっくりされて逃げられるかもだし、結城は……出れるか?」

「俺が出ても逃げられると思う……」

「……じゃぁ僕が出ようか?」

 そう言ってくれたのは今回は協力的な樋口くんだ。大変ありがたいので、そのまま頼むことにして、樋口くんは玄関へ向かった。

「はぁい……」

「……樋口くん?」

「ひっさびさですなぁ菊城……」

「な、なんでここに……?」

 …………?菊城さんってこんな口調だっけ……?声もこんなだったか?

「まぁ上がって……話があるんで……」

 俺たちがいるリビングまで10秒とかからない。ガチャリと扉が空いて、その人は俺たちを見て逃げ出そうとしたが、そうはいかない!サッカー部の佐々木とたむたむの鍛えられた脚力とバレー部の馬渕の鍛えられた腕力で、対象は即お縄となった。

「……平塚さん、昨日の夜来たのはこの人?」

「え? ……そうだけど」

「この人、多分菊城じゃないよ。……なぁ、名倉さん?」

 俺が言うと、捕らえられた女はビクッと肩を揺らした。俺が前遭遇した菊城はもっと背が高いし、もっと口調が粗暴で、もっと声も低い。この声は名倉さんの声だと、メンヘラ女と関わってきた中で身についた要らないスキルが発揮される。こんな機会欲しくなかった。ふぅ、と溜息を吐き出す。

「チャキチャキ吐いてもらおうか。さもないと教師に全部言うよ」

 強気に言うと、相手は少したじろいた。強気に出ているのは、俺の名倉さんに対する好感度がメンヘラの中で誰よりも低く、嫌いの値にいるからだ。精神にバフがかかっている。もう何も怖くない。じっと相手を見ていると、相手は諦めたようにウイッグを外した。……はーあ、やっぱり。




 菊城さん…………に変装していた名倉さんが言うには、本当は菊城さんを利用しようとしたが断られた、との事だった。

「中学の時に菊城さんに金を払って白井を追い詰めたのは本当。病弱だからすぐ学校来なくなった」

 なんて女だ……。

「それで、平塚さんが邪魔だと思ったから、今回も菊城さんを使おうと思った。あの風貌で来られたら怖いもの。でも断られた」

「どうして?」

「結城陽向を恨んでるから、陽向くんと仲良くしたい私に協力はしたくないって。どうして恨んでるのかは教えてくれなかったけど」

 お前が俺を恨むのはお門違いだろ、と声を大にして言いたいが、今言うと話の腰を折ることになりそうなので一旦スルーする。文句は本人に言えばいい。なんかまた来そうな気がするし。

「でも私が直接行っても平塚さんは折れないだろうと思ったから……」

「……それで返送したわけか」

 たむたむの言葉に、名倉さんはこくんと頷いた。

 ……とりあえず事情はわかった。わかったが……これはどう処理するべきか、ちらっと平塚さんを見ると、平塚さんは見るからに怒っていた。

「あのねぇ!」

 平塚さんは立ち上がり、名倉さんに詰め寄った。

「そもそも逆恨みじゃないの! 私はあなたたちが結城くんを困らせていたから助けただけ、悪いのはそっちでしょう!?」

「なっ……!」

 名倉さんが心外だとでも言うような声を出すのは予想していた。ここで大人しく反省するなら俺はメンヘラに困らされていない。他の男子陣は「俺たちはここにいていいのか」みたいな顔をしている。俺も帰りたいのは山々だけど、誰一人として動けないのが現実だった。

「何よ、ずっと静観していた癖にいきなり口を挟んできて、挙句の果てに悪いのはこっちだって言うの!?」

「事実でしょう!」

「はっ、曖昧な態度の陽向くんのことは責めないのね、好きなの?」

「論点をずらさないで。あと3年生に彼氏がいるから違うわ。私はただ第三者視点で判断してるだけ」

「趣味の悪い先輩ね」

「論点をずらさないでと言ってるでしょう。いい? あなたが行ったのは脅迫よ。未成年だから逮捕には至らないでしょうけど、通報すれば示談金を払うことになるわ。払えるの?」

 ぐっと名倉さんが詰まった。払えなくはないだろうが、親には確実に知られるはずだ。それは困るのだろう。

「……あのぉ」

 ぼそっと口を開いたのは樋口くんだ。今回口数が多くて助かる。

「まぁどういう形で収めるか、については平塚が決めることなんだけど……とにかく名倉、結城氏狙ってるならそれなりの態度を取るということに決めた方が……今後はトラブルを起こさないようにしないと、結城氏も学校に来づらいと思うし……」

 家に母さんがいるから学校には行かないとだけど、確かにそれはそうだ。ただでさえ学校は修羅の国みたいなもんなのに。

「……名倉も平塚も納得してないなら、教師に相談するしかないんじゃね?」

 佐々木が言う。たしかに、この二人の間で解決できるなら、と思っていたが、先生への報告が1番早いし確実だろう。問題と言えばまた俺が生徒指導部に呼ばれそうなことくらいだ。男子たちは口々に、そうだな、それがいいと思うと言っている。平塚さんもそれがいいと思ったのか、溜息を吐き出した。

「じゃぁそうしましょう。ごめんなさいねみんな、帰って勉強して」

「うん、じゃぁまた明日」

「ほら、名倉も帰りますぞ」

 樋口くんに言われて、名倉さんもようやく立ち上がる。平塚さんに玄関まで見送られて、俺たちはそれぞれ帰っていったのだった。




 翌日、放課後に俺は平塚さん、名倉さんと共に生徒指導室にいた。メンヘラ関連で生徒指導にお世話になったのはこれで三回目だ。何故か突然開始された殴り合いで1回、文化祭中の伊藤さんの包丁持ち出し事件で1回、そして今回。……だが、田口先生もだんだん俺の周囲の状況を理解してきたようで、俺が特に何もしていないということは早々に理解してくれたらしく、俺は一足先に開放された。

「……はぁぁぁああ……」

 どんよりとした重い重い溜息を吐き出す。今日一日は名倉さんは大人しかった。朝のHR後、俺と平塚さんで林先生に話に行き、真剣な顔で受け止められ、放課後になって津村先生と田口先生も交え、もちろん帰る前の名倉さんも呼ばれて話し合いに至った。菊城さんの話は当然端折ったが、とりあえず脅迫まがいとことをしたということは伝わったようだった。

「まだ9月なのに……」

 もうメンヘラにまとわりつかれるのは慣れた。席替えをしてからというもの、周りのメンヘラは休憩毎に話しかけてくるし、それに関してはもはや早い者勝ちの雰囲気で、俺との会話権を他に奪われたメンヘラは恨めしそうな目で見ている。こんな状態が学校で続けば疲弊もやむなしで、勉強に身が入らない状況だった。もうすぐテストなんだけどな。

 家に帰ると、愛はいつも通りの様子だった。だが愛と話すつもりにもなれなかった俺は、ぐったりとベッドに倒れ、いつの間にか寝ていたのだった。

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