57限目 バイオレンスだった
ぶっちゃけ、言ってしまえば私情だ。バイトとはいえ仕事。色々あったが故の苦手意識なんてものを持ち込んでいいものか。
「……私情ですけど」
「いいよ。ほら、由利香はこういうこと積極的に聞くタイプじゃねぇし、麻衣は……鈍感だし……聞けるの俺くらいしかいないからさ、一応共有しときたい。ほら、店では大人しいけど実は……みたいな厄介な客もいるから、予備軍は把握したいんだよな」
……なるほど。そういうことなら言っておいた方がいいか。
「………実は……」
俺は洗いざらい、名倉さんのことを話した。
「……なるほど。バイト先でまで付きまとわれるのも、こっちから店員として対応して学校で他の女子に対してマウントを取られるのも困るって訳か」
誠一さんは苦い顔をした。店に直接的被害はなくても、バイトである俺に被害が出る可能性は十二分にある、と分かってくれたらしい。
「すみませんこんな話で……」
「あーいや、それはいいし、由利香と店長にも出来れば名倉さんの対応は……って俺から話しておくけど……麻衣にどう説明しようかなーって思ってよ」
「麻衣さんに?」
「おう。麻衣ってお前の姉ちゃんの友達なんだろ?お前が店に来る客に困ってる、なんて言ってお前の姉ちゃんに連絡したらお前も困るよなーって……連絡するなよって釘刺しても、良かれと思って行動に移すと思うんだよねあいつ……」
…………それは同意せざるを得ない。麻衣さんならやるだろう。俺から直接言ってもやるだろうし、とはいえ、ただ「苦手だから」と言っても、多分「苦手克服だよ!」となんの悪気もなく言うのだろう。
「毎回匿う訳にも行かねぇし、どうすっかなーと思っててさ」
はぁ、と誠一さんは溜息をついた。そして、ぼそっと口に出した。
「お前ほどじゃないけど似た経験あるんだよな……」
「え?」
「3年くらい前かな……奥様会みたいな感じで、40代中盤くらいの女性客が4人くらいで店に来て、そのうちの一人がまぁやばめの女で、親子くらい年の離れた俺に執拗にアタックしてきてさ……」
誠一さんも何か地雷女に関係する体験があったのだろうか、とは、名倉さんが来た時に厨房に引っ込めてくれた時から薄々思っていたが、中々壮絶な体験をしているようだ。
「俺は勿論受け流してたんだけど、その内それを知った旦那さんが、俺が奥さんを唆したんだって勘違いして乗り込んできて、業務妨害罪とかで警察沙汰になって……まぁ示談で済んだけどな」
思った以上にやばい体験だった……。なるほど、やばい女に対するセンサーは誠一さんも育っているようだ。
「名倉さんも何となくこの女……とは思ってたんだけど、常連だからさー……結城がバイト始めてから来る頻度ちょっと上がったなと思ってたけど、結城目当てだったんだな」
「なんかすみません……」
「いや、気にするなよ。……ま、とりあえず麻衣にも伝えとくわ。そんで釘は厳重に刺しとく。あと口実に眠気使ったからちょっと休んどけ。まだ名倉さんが残ってたら事情を言えないし。帰ったら呼ぶからよ」
感謝を述べると、誠一さんは笑って店内に戻った。ふう、と力が抜ける。理解を示してくれたのは大変ありがたいと言うか……誠一さんの経験が想定以上にバイオレンスだった。そういう話を聞くと、俺が体験したことは数が多いにしても、やっぱり小中学生のやること、そして高校生のやることなんだなと実感する。大人になったらみんな自制するはず、と思っていたがそうでもないらしい。むしろ大人だからこそ、おかしい奴ほど行動力が増すということか。……自分自身の将来が心配だ。どうか変な人がこれ以上寄りませんように……。
そのうち誠一さんが呼びに来てバイトを終え、俺は帰路に着いた。他のバイト面子は他にも精算とかやることがあるのだが、未成年の俺は会計を任されていないので先に帰宅を許される。
「ふぁぁ……」
思ったより寝不足が祟っているようだ。欠伸が出る。長期休みはなんだかんだ生活が不規則になりがちだ。バイトをしていなかったら、夜中まで起きて昼に起きるような生活になっていたかもしれない。実際、中三になって夏休み前に部活を引退した時は生活が乱れ気味だった。
帰ったら少し寝ようか、でも今寝たら夜眠れなくなるような……そんなことを考えていると電話がなった。愛だ。
「……もしもし?」
『陽向、バイト終わった?』
「うん。今帰り道」
『そっか……帰り気をつけてね』
「なんかあった?」
『んー……気にしすぎかもしれないんだけど、さっき帰ったら陽向の住んでるアパートの階段あたりで、菊城さんみたいな人見てさ……ほら、前に家に来たらしいって言ってたじゃん?』
……思い出さないようにしていたし、その後なんもなかったから来ないものかと思っていたけど……そんなことは無かったか。
「まじか……」
『気をつけて。まだいるかもしれないから……31日のお祭りは行ける?』
「あぁ、それはもちろん」
『よかった! じゃぁほんと、気をつけてね!』
「わかった。ありがとう」
31日のお祭り、というのは市でやってる小さな夏祭りのことだ。花火もないし、屋台も在り来りなものしか出ないようなものだが、幼い頃から馴染みの祭りだ。小学生の頃は愛と行っていたが、中学に上がると男女で行くというのが恥ずかしくなって、同性の友達と行くようになった。一緒に行くのは数年ぶりとなるが、個人的には当然嬉しい。普通に友達と行くのも楽しいけど、愛と一緒が何だかん一番楽しいのだ。口元が綻んだ。
アパートが見えたところで、こっそりと別の建物の影からアパート周辺を確認する。どうやら怪しい人影はないようだ。ふぅ、と安堵して俺は部屋に戻った。
この時間は普段母さんはまだ家に来て、ほぼバイト上がりの俺と交代で家から出ていくくらいだ。ドアノブを回すが、今日はもう居ないのか鍵は閉まっていた。鍵をカバンから取り出して解錠して、ドアを開けて中に入ろうとした、その瞬間だった。ガッと外側の何かにドアを掴まれ、驚いた俺は勢いよく後ろを振り向いた。一瞬、それを悪霊か何かかと思った。母さんと愛の言葉がなければ、本当にそういうもんだと認識したかもしれない……まぁこんなに生気の強い悪霊いないと思うが。
ボサボサの長い髪、顔面全てのニキビを潰したような肌、細いタレ目。俺は180近くも身長があると言うのに、相手の頭は女にしては近い。体の幅は俺の2倍近くありそうだ。相手の口角がにんまりと上がった。
……などと考えている場合では無い。一瞬止まった思考回路は、緊急危険信号を発令し、俺の体は咄嗟にドアノブを両手で持ってドアを閉めようとしたが、相手は片足をドアの間に挟んできて、両手でドアをこじ開けようとしている。力が強い……!
「ぐっ……!」
「開けなさいよ、ねぇ!!」
「誰が開けるか……!」
ドアがミシミシと鳴る。何とかしてこの足を退かさないと行けないが、中々押し出せない。それどころか、相手はどんどん足をこっちに出してきて、ついに膝まで入ってきている。
「出てけ! お前を家に上げるつもりは無い!!」
「あぁ!?」
凄まれて、普段はそんな威圧には屈さない俺だが足が震えた。紛れもない、相手が相手故のトラウマだ。当然、怖いという感情がある。少し腰が引けて、相手はついに体の半分を入れてきた。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……姉ちゃん、助け──!
「何してるの!?」
突然外から声がした。相手が驚いた隙にほぼ体当たりのような形で体を押し出し、俺は扉を閉めて鍵をかけた。まだバクバクとしている心臓を落ち着かせていると、コンコンと扉を叩かれた。
「陽向、大丈夫!?」
「……」
俺は恐る恐るドアを開けた。
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