54限目 愛には敵わない

  他のメンヘラは暫く立ち尽くしていたが、やがて今の俺を刺激するのは良くないと感じたのか、そろそろとその場から離れていった。そのようを見た俺がふう、と息を吐き出したことでようやく張り詰めた空気が和らぎ、たむたむたちも溜息を吐き出した。

「……ビビったァ……お前怒るんだな……」

「俺だって怒る時は怒るよ」

 言いながら、メンヘラたちが逃げた方向とは逆方向に目を向ける。……あっちでは、愛が通っている青藍女子学園の生徒たちがじゃれあっていた。愛の姿は見えない。


 愛からどこで臨海学校なのかと聞いた時に、場所が同じで、日程も1日被ると知った。つまり青藍の生徒は今日と明日が臨海学校だ。ホテルの場所は違うが、そう離れた場所でもない。歩いて行けるような距離だ。

 愛が名倉さんの発言を聞いていても、多分傷つきはしないだろう。名倉さんに比べたらねーとか言って多分笑ってる。その辺、俺と愛は似てる。自分の悪口だとか言われても、起こりもせずに受け流す。でも俺は、好きな子の悪口を言われて怒らないほど無頓着な訳ではないのだ。

「はぁ、なんかごめんな空気変にして」

「いやいや、結城悪くないって! むしろよく言った!」

「そうそう、あれは名倉さんが悪い!」

 たむたむと佐々木が言ってくれる。よかった、と安堵した。

「メンヘラも追っ払った事だし、引き続き佐々木の特訓しようぜ」

「はは、そうだな」

「げーっ!? 思い出すなよそこは! つーか俺女子たちの前でビート板持ってたの超恥ずかしくね!?」

「じゃぁ持ったまま来るなよ!」

 たむたむのツッコミにみんなで笑いながら、俺たちは佐々木の水泳訓練を再開した。あまり怒ることがなかった人生だったから少しだけ心の中に蟠りがあったが、それもみんなと訓練しているうちに解けてなくなっていった。




 夜、風呂に入ってご飯を食べて、お待ちかね自由時間。今日もB組の部屋に行こうとしたが、その直前に俺のスマホの着信音がなった。

「誰から?」

「……愛だ。馬渕先行ってて、部屋は覚えてるから」

「おう、わかった。迷ったら言えよ」

「うん」

 スマホを持って部屋の隅によった。渡辺くんは他のメンバーの部屋に行ったけど、宮下くんは部屋で持ってきたらしい本を読んでいる。できるだけ聞こえない位置がいいだろう。

「……もしもし? 愛? どうした?」

 昼間、愛のことで怒ってしまった俺はいつもより少し緊張していたが、そんなこと知らない愛は明るく話しかけてきた。

『陽向! 今外来れる?』

「え? 外のどこ?」

『んーと、陽向がいるホテルと、私が泊まってるホテルの中間くらい』

 なんで愛はそんなところに、と思いながら時間を確認する。本来この時間にホテルの外に出ることは許されていない。……とはいえ、先生がフロントで見張ってる、とかってこともない。

「許されてはないけど、出れるよ」

『ほんと? じゃぁこっちまで来て!』

「わかった」

 俺は軽い上着を羽織って、財布を入れたカバンを持った。たむたむたちには、「ちょっと用事ができたから行けないかも」と一言送って、俺はそろそろとフロントへ向かい、外に出ていった。

 愛の泊まっている旅館の方向まで歩いて少し、愛がこっちに手を振っているのを見つけた。

「愛。どうした?」

「えへへ、みて、これ」

 愛はカバンの中からビニール袋を取り出し、その中身を見せてきた。……線香花火。

「花火って……いいのか?」

「いいわけないじゃん。友達の友達がちょっと奔放でさ。持ってきてたのを分けてもらったんだ」

 それを分けてもらうほど、普段は真面目な愛も夏の空気に充てられているのかもしれない。そして、それを受け入れてしまう俺も。

「火はどうするの?」

「フロントの人がマッチくれたよ」

「バレたら超怒られそう」

「あはは、そうだね」

 俺たちは両ホテルから見えない場所に移動した。もう今日は閉店している海の家の前だ。愛が線香花火を2つ持って、俺がマッチで火をつける。火をしっかり消して、冷めるまでとりあえず片手に持って、火をつけた線香花火を1本受けとった。ぱちぱちと火花が小さく飛んでいた。

「…………」

「…………」

 俺たちは少しの間無言で、2つの線香花火を見つめていた。ざざーと流れる波の音と、それに伴う静かな風の音だけが響いていた。夜にしては明るい空なのに、チラチラと光る線香花火は妙に眩しく見える。

 そのうちポソッと愛が口を開いた。

「線香花火、久々だね」

「……うん」

 昔は、アパートの近くの公園で、夜に花火をしていた。だがその公園はもう何年も前……俺たちが小学校を卒業する前に花火禁止にされてしまって、それ以来花火なんてしなかった。それ以前は、たくさん花火を持ってきて、ひとしきり楽しんだ後、線香花火に火をつけて2人で眺めていた。どっちが長く残るか、なんて勝負もしていた。いつも俺が負けていた気がする。

 やがて、俺の線香花火がぽとっと落ちた。愛はニコッと笑った。

「また私の勝ちだね」

「いつも早いんだよな」

 俺は少し立ち上がって、線香花火の先を念入りに潰して、ビニール袋に入れた。マッチももう冷えていたので、一緒にビニール袋に入れた時、愛の方の線香花火も落ちた。

「あーあ、落ちちゃった」

「はは、仕方ない仕方ない」

 愛も同じように花火の先を潰して、ビニール袋に入れた。暫く確認して、燃えることがないと確認して袋の先を縛った。

「俺が持っとくよ。愛はお嬢様学校なんだから、持ってるのバレたらやばいだろ」

「大丈夫だよ、心配しすぎ」

 にっと笑って、愛は自分のポケットにしまった。まぁ、そういうのなら任せようと俺はそれ以上いうことは無かった。

「……ねぇ陽向」

「ん?」

「なんかあった?」

「え……何も無いけど、どうした?」

「んー、なんかなんとなく、元気ないなぁって」

 ……全く、愛には敵わない。俺としては平常心だったんだけどな。それに、メンヘラに対して怒った蟠りももう残っていない。だから、この少しのモヤモヤとした何かの正体、俺のテンションを下げているのはきっと、こんなにロマンチックで、何があっても俺を誘ってくれる愛を前にして、2人っきりでも何も言えない俺自身なのだろう。

「なんでもない、ほんとに」

「……そっか。ならいいの。……明日は陽向は帰っちゃうんだよね?」

「……うん。だから、俺が持って帰ろうかなって」

「あはは、なるほどね。でもいいの。私が誘ったんだし。……ねぇ、陽向。今年はさ、夏祭りに行かない?」

「……どうしたんだよ、藪から棒に」

「ほら、私さ。勉強が忙しいからあまりゆっくり出来なくて。模試の成績もキープしなきゃだし、来年も再来年も、多分忙しいから……1年生のうちにいっぱい遊びたいなって思って」

「……友達と行かなくていいの?」

「うん。……だって、高校出たら陽向はきっと家を出て、私も出ていっちゃうでしょ。高校の友達は、何人か同じ方面の大学目指してるからまだ遊べると思うけど、陽向とはそんなこと出来なくなっちゃうもん」

 確かにそうだと思ったし、そう考えると短い。小さい頃からずっと、何をするにも一緒だった愛と、自然な流れで離れるのだと思うと実感はなかったが、それはどうあっても避けられない未来だった。

「じゃぁ、また明後日だね陽向。夏祭りの日はまた話そう」

「うん、わかった」

 俺たちはそれぞれ宿に帰って行った。帰ってから向かったB組の部屋では、しつこく色々聞かれた上、なんならだいたい何をしていたのか……というか誰と会っていたのかはバレていたけれど、冷やかされそうな俺は一切口を割らずにいたのだった。

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