35限目 なんてこった

 愛の希望で、俺たちは2年生のパスタの店に訪れていた。まだ昼の時間には全然早いが、このくらい早くないと昼頃には絶対食べられない。当然のことだが何しろ人が多いのだから。

 愛はカルボナーラを、俺はスパゲッティならナポリタンが好きなのだが、もう制服は夏服だ。シャツへの被害を考えて同じカルボナーラを選んだ。普段はあまりクリーミーなものは食べないのだけど。

「珍しいね、陽向はいつもナポリタン食べるのに」

「シャツが白いからな……」

「あはっ、納得!」

 運ばれてきたカルボナーラはいい匂いだ。最近知ったが、イタリアではパスタを食べるのにスプーンを使うのは子供だけで、大人は使わないらしい。もちろん日本人の俺たちはフォークだけで食べるなんて慣れていないので、出されたスプーンも一緒に使うのだが。

「美味しい! 文化祭でここまでのクオリティはすごいよ!」

「パスタを出そうって言うのが既にすごいよな。作り置きとか難しいし」

「それだよ。売り切れる前に来て正解だったね!」

「そうだな。……食べたら次はどこ行く?」

「うーんそうだなぁ、なにかバラエティ的な……あ! 漫研連れてってよ!」

「へ?」

「陽向の作品はなくても陽向も手伝ったんでしょ?」

「手伝いはしたけど……俺がやったの消しゴム掛けとかだから俺の作業の痕跡はないよ」

「いいの! 食べたら漫研! 決まり!」

 まぁ、結局了承してしまうのだ。




 その後漫研で先輩の漫画を読んだり、お約束的にお化け屋敷に行ったりしたあと、俺のクラスの出し物にも顔を出した。本来は俺のシフト、今日は馬渕が代わってくれた時間帯だ。

「おかえりなさいま……おー結城じゃん! 彼女可愛いな」

「彼女じゃないって……シフトありがとうな」

「いいってことよ。ほいよお二人さん、メニュー決まったら言ってくださいませー」

「陽向はどれにする?」

「んー……」

 甘い物が嫌いな訳では無い、だがあまりこういうのに触れたことがない俺としてはどれがいいのかよく分からない。

「……いちごかな」

「あはっ、可愛い。私はアップルシナモンにしようかな。店員さーん!」

「はーい! ただいまお伺いします!」

 それぞれ注文をして、運ばれてきたものを食べる。愛は目を輝かして喜んでいた。

「あ、待って陽向まだ食べないで!」

「へ?」

 愛は、スマホをインカメにしてその画面に俺も入れた。

「ほらピースだよ、陽向!」

 恥ずかしいな……と思いつつもピースを作る。ツーショットなんて幼い頃愛の両親に撮ってもらった時以来だ。ぱしゃ、と軽い音がして、俺と愛は写真に収まった。

「後で送るね」

「あ……うん、ありがとう」

 色々なことを話しながら食べて、俺たちは教室を出た。ここ2日、パンケーキは売り切れてしまっていたから、食べることが出来てよかった。結構美味しかったな。多分普通のホットケーキミックスを使っていたと思うんだが。

「あ、そうだ陽向。ここ行きたい。いい?」

 愛が指し示すのは視聴覚室。教員たちによる即興声劇をやっているらしい。

「わかった。そこ行こうか」


 視聴覚室に行くのに1番近い道は、あまり人がいない。というのも、こっちではあまり何かやってるということは無いし、調理室も近いから道を開けるように気を使っているところもあるのだ。事実、俺たちは人気の無い道を歩いていた。

「あんなに人がいたのに、こっちに来ると別世界みたいだね」

「こっちはそれこそ、何かやってるの視聴覚室と……あと科学部が科学実験室でなんかやってるくらいだからね。観客が俺たちだけじゃなきゃいいけど……」

「陽向くん」

 後ろからかけられた声。名前に君付けで俺を呼ぶのはメンヘラの誰か。知ってる。で、このか細い声は伊藤さんだな、と思い振り返り──俺と愛は、ギョッと目を見開いた。恐らく調理室でのシフト後だったのか、つけっぱなしのエプロンと三角巾。作業しやすいようにか、黒髪はお下げにしている。そこまではいい。ただ──その手に、調理実習室から持ち出したであろう包丁がなければ。

「やっぱりなんだね……」

「え……」

「誰とも付き合ってないとか言ってたけど……本当は付き合ってる人がいるんじゃないかって……だって部活もないのに毎日毎日予定予定予定予定! そんなに毎日あるわけないもんね!? やっぱり彼女がいるんじゃない!」

 ──なんてこった。帰るコマンドの選択がこんなところで……。

「……落ち着いて伊藤さん。ほら、知ってるだろ、愛だよ。小本愛。俺の幼馴染のさ……」

「幼なじみが恋愛対象にならないとは限らないでしょ!?」

 それはそうだけど、そういう問題では無い。参ったな……どうしよう。興奮していて話を聞いてくれそうにない。

「……ええと、とりあえずその包丁、ちゃんと調理室に戻して……」

「陽向くんはいつもそう!」

 ……いつも彼氏に愛情はぐらかされてる彼女みたいなムーブはやめて欲しいな……いやのんびり考えてる場合じゃない。何とかして宥めないと。

「そういう曖昧なはっきりしない態度突き通すなら、その女殺して死んでやる!!」

「!」

 どうしようかぁと、経験で何とかメンヘラの心を宥めてきたが故に少しのんびりと考えていた脳がようやく警鐘を鳴らした。やばい。これは……これは多分、本気だ。

「愛、俺が止めるから逃げて」

「でも……」

「いいから早く」

「そうやって味方するんだ……私の味方なら今すぐその女を蹴ったりすればいいのに……」

 なんで伊藤さんの味方みたいになっているんだろう。訳が分からない。

「と、とにかくほんとに落ち着いて……」

「陽向くんが言うから嫌々文化祭参加したのに……参加すれば愛してくれると思ったのに……!」

 考え方の飛躍がやばい。頼むから誰かこの騒ぎを聞き付けてやってきてくれ……!

「伊藤さん!? どうしたの!?」

 声。女子の声だ、と思って、振り返った瞬間。

「陽向!!」

「え」

 伊藤さんから顔を逸らすなど間違っていたのだ。慌てて伊藤さんに向き直ったその瞬間、脳よりも先に体が動いた。刃物を振り上げていた伊藤さんの両腕を掴み、ひとまず安堵。が、今包丁を握る手を弱められると俺の肩に直撃するので、伊藤さんの左腕を離して包丁の持ち手を掴んだ。振りほどこうとしているが、伊藤さんは筋力皆無っぽいので男の俺に掴まれて振りほどくのは無理に等しい。とりあえずこれで怪我の心配はないだろう。蹴られたりしない限りは。

「はぁ……」

「離して! その女を……!」

「結城くん大丈夫!? 伊藤さん何やってるの!」

 一瞬見てまた伊藤さんに向き直ったから誰が来たのか分かってなかったが、平塚さんだったようだ。俺は包丁を奪い取ってとりあえず平塚さんに渡した。

「俺の幼馴染を彼女だと勘違いしたんだよ」

「そんなことで……3人とも怪我はない?」

「多分……愛、大丈夫か?」

「私は大丈夫だけど……」

 愛は心配そうに伊藤さんを見たが、その伊藤さんはまだまだ敵意健在のようだ。

「……とりあえず、誰か先生を呼んでくるわ。ここで待ってて……」

「ま、待って平塚さん!」

 俺の対メンヘラ本能が、それは悪手だと勘づく。んな事したら他のメンヘラがどうなるか分からない……が、平塚さんは俺に包丁を渡すと、代わりに伊藤さんの手を掴んで、止める間もなく職員室へ向かってしまった。あーあ……。

「……陽向、本当に大丈夫?」

「あ……うん。怖い思いさせてごめんな、愛……多分愛も話聞かれると思うから、しばらくここにいてもらっていい?」

「それはいいけど……」

 はぁ、と溜息を吐き出す。……怪我がなくてよかった、俺に。もちろん愛を怪我させられる方が嫌だけど、俺が怪我したら姉ちゃんにも迷惑がかかる。それがないのは本当に助かったと、渡された包丁を眺めながら思った。

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