30限目 女子に思いを馳せながら

 夜8時半、当然ながら空腹だ。これから家事して、宿題をしてと考えると正直疲れるが、こればかりは家庭環境だ。仕方がない。部屋の明かりをつけると、いつもは愛が俺に気づくが……風呂に入っているのかそれともリビングにいるのか、愛の部屋は暗かった。愛がいると長話してしまうから、ある意味いいタイミングだ。今のうちに家事を済ませてしまおうと、俺は鞄を置いて脱衣所へ向かった。洗濯機があるのは脱衣所なのだ。

 放り込まれていた洗濯物にティッシュなどが入っていないことを確認して、洗濯機を回す。母さんが夜の仕事で使っている服なんかは、店の方がクリーニングに出しているので、そういう気を使わなくちゃいけない洗濯物がないのは楽だ。一応確認はするけど、今回は何もなかった。自分の制服のシャツも脱いで一緒に回す。夜でも暑くなってきたから上は下着1枚でちょうどいい。家の中とはいえパンツ姿で動き回るつもりはないが上くらいいいだろう。

 干してあった洗濯物からエプロンを取り、台所へ向かう。冷蔵庫の中身は……米は炊いてあるのがまだある……おかずは人参のきんぴらと……じゃがいもの炒め物くらいは作れるかな。

 淡々と料理をこなしていく。料理は嫌いでは無いから、苦痛とは言わないが……楽しくもない。どこまでもただの作業だ。

「…………ふぅ」

 作り終わって、溜息をはき出す。あとは冷めるまで待って、その間に掃除だ。料理にはラップをかけておいて、適当に掃除機をかけておけばいい。終わった洗濯物を干している間に料理もだいたい冷める。

 やることが一通り終わって部屋に戻ると、愛の部屋の電気が着いていた。戻ってきたらしい。いつも机に向かって勉強している愛は、珍しくお菓子を食べながら漫画を読んでいるようだ。俺が部屋の電気を付けると通例通り気づいて窓を開けたので、こっちも開け……たのだが。

「ちょっ……陽向! 服着なよ!」

「えっ? あっ」

 そうだった、シャツ洗ったあとそのままだったと思い出して急いでタンスから半袖を引っ張り出す。良かったスラックス履いたままで。

「ごめんごめん、暑かったから洗ったまま家事してたや」

「全くもう、私に対しては気が緩むんだから……」

 袖を通してラフな格好になる。愛は苦笑した。気が緩んでる自覚はあるが、愛の前でくらい気を抜いとかないと気が張りすぎて多分死ぬ。

「……てゆうか、今日遅かったね陽向。何かあったの?」

「いや、単純に部活。まぁもうすぐ終わると思うけど……部活がなくても普通に準備があるから、明後日はもっと遅いかも」

 何も無かったわけじゃないけど、まぁ言う必要は無いだろう。愛はあまりメンヘラに対して重要に受け止めている訳では無いが、それは母さんのことがあるからであってメンヘラを危険視してない訳では無い。話して不安がらせるのは良くない。

「……愛は、誰かと一緒に文化祭来るのか?」

「うーん、どうしようかな。高校に同じ中学だった子は何人かいるけど、文化祭誘うほど仲良いかって言われたらあれだし……一人で行くかも!」

 天野さんを誘う、という案は咄嗟には出てこないようで安心した。

「とにかく陽向、体壊さないようにね! また熱中症で悪目立ちしたくないでしょ!」

「嫌な記憶を掘り返さないでくれ」




 ──翌日、長く携わった漫画の作業は終わり、俺と樋口くんも最終日はクラスの飾りつけ作業に復帰した。樋口くんは元が真性陰キャだから嫌がっていたけど、仕方がない。伊藤さんは他の女子と頑張って打ち解けようとしていると平塚さんから聞いたが、他のメンヘラは相変わらず非参加のようだ。説得できなくてごめんと謝ったが、結城くんは悪くないわと許してくれた。本当にダメで元々だったのだろう。伊藤さんがいるだけでも十分な成果と言えるようだ。

 そして──。

「佐々木もうちょいそれ上」

「こうか?」

「そんな感じ」

「廊下班どうだー?」

「終わった!」

「よしそこで固定!」

 居残り時間限界まで使って、1年A組は教室の飾りつけを完了させた。

「1-A、かんせーい!」

 男子たちの歓喜の声が響く。教室の中は。およそ男子が作って施したとは思えない、フリフリの可愛い内装になっていた。窓は普段のカーテンを外して空いてるロッカーに入れて可愛いレースカーテンをつけて、壁はピンクと白のドッド柄になり、レースのリボンを結んで、黒板には画用紙で作られた女装喫茶の文字。先程佐々木くんたちが取り付けていたものだ。廊下ももちろん、フリルのレースで飾り付けられている。ちなみに、画用紙やフリルは食材に予算をつぎ込むため、家や祖父母宅にそれがある人や伝手で手芸屋から安く買取りったり最悪タダで貰ったりしてきたそうだ。俺がその点に関して何一つ役に立っていないことは言うまでもないだろう。

「しかしこうしてみると壮観だな……!」

「あぁ、間違いなく力が入っているぜ……!」

「俺たちは明日から3日間ここでメイドさんとして接客するんだな!」

 最後の一言で現実に引き戻された。そう、俺たちがメイドとして客を相手にするのだ。嫌だなぁ……。

「さて諸君、積極マニュアルを配るので、今夜はこれを見ておくように」

「うわぁ……」

 嫌々ながら、という声が湧く。今頃キャッキャと楽しそうにレシピの話しているであろう、女子に思いを馳せながら。


 そうして、俺たちは文化祭当日を迎えた。


 委員長の声が響く。

「1年A組、心を1つに! 文化祭を成功させ、売上を伸ばそう!」

「おー!!」

 開始早々、A組はすごい人集りだった。そりゃそうだ、食べ物、それもブームは過ぎ去っているもののパンケーキはみんな大好きだ。その上メイド、その上女装。こんな面白い物、悪ノリ大好きな高校生が見逃すはずがないのである。これは俺の担当する時間も凄そうだな……。

「ぎゃっはははは!! やっべ!! 佐々木やっべ!!」

「腹よじれるって!!」

「さっさと座って注文しやがりくださいませご主人様ァ!!」

「宮下くん可愛いー!」

「視線ちょうだーい!」

「は、はい、お嬢様……」

 ……シフト1番組も大変そうだなと眺めていると、とんとんと肩を叩かれた。田向くんだ。

「なんか予定ある? 部活とか」

「ううん、特には」

「じゃぁ色々回ろうぜ。お前どうせ明後日は例の幼馴染来るんだろうし」

「お見通しってわけ?」

「紹介しろよな」

「絶対やだね」

「ちぇっ、まぁいいや。馬渕も呼ぼうぜ」

 3人で行動することになる。佐々木くんは少し可哀想だがまぁ、次馬渕くんがシフトの時は馬渕くん抜きの3人で行動することになるだろう。何しろ全員他にやることないので。

 実は俺が1人で動き出そうとせずクラスの近くでぼんやりしていたのには理由がある。視線だ。メンヘラの。クラスのことに協力しないからには文化祭なんてでないのでは、と思うかもしれないが、そんな繊細な神経で生きていたらそもそも最初からクラスに協力しているし俺はこんなに苦労していない。まぁそれはともあれ、俺を見つめるいくつかの視線が左右からあるので、1人で動くには難がありすぎたのだ。俺の事情を知ってるが助けようとしない樋口くんはとにかくとして、同じ組の田向くん達なら声をかけてくれるはず、と思ったらビンゴだった、ということだ。とか思ってたら連絡を受けた馬渕くんが来た。

「さ、揃ったし行こうぜ! 部活の先輩のクラスが面白いことやってるし!」

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