24限目 地図くらい読める

「お疲れ様です」

「お疲れ様です……」

「秀康くん一葉くん、よく来てくれ……何で一葉くんは不機嫌そうなんだね?」

「なんでもありません」

 樋口くんは放課後を迎えて今尚不機嫌だった。そろそろ機嫌を直して欲しいが、口に出すとかたくなになりそうなのでやめておく。

「ところであの……一体どうしたんですか?」

「あぁ……まぁみてくれ」

 部長が視線を向けた先では、漫画を描くと言っていた2年生と3年生……すなわち坂田先輩と武田先輩が死にそうな顔をして机に向かってペンを動かしていた。なるほど、間に合わないのか。

「見ての通りだ。間に合いそうにない。よって、君たちにも手伝ってもらいたいのだが……君たち二人、特に秀康くんは漫画の道具に触れたこともないだろう。よって、トーンなどは多少触れたことのある弾正くんに頼んである。私もやる。一葉くんはベタを頼みたい。そして秀康くんだが……」

「彼には消しゴム掛けを頼みたいと思います。あまりペンなどに触れたことがないならそれが最善かと。あと消しゴム掛けは地味に助かります」


 ……流れとしては。

 まず2人とも、下書き──ネームというらしい──は終わっているので、作者2人はそこにペン入れ。俺はペン入れが終わったものを団扇で乾かした後、消しゴム掛け。それが終わったらトーン係の部長と松永先輩に流し、そのあとはベタ……黒塗り担当の樋口くんに回り、俺はおそらくあまりやることがないためベタが終わったものを空いた時間で乾かす、ということになるようだ。

 この部室は本棚はあるのだが、あまり使われていない。漫画はほとんど全て至る所に山積みにされているのだ。だが今日はその部室を広く使えるように、まずは漫画を片付ける作業から始まった。

「一葉、そっちにマンデーの漫画あるか?」

「ありますぞー」

「部長、大判コミックどうしますか?」

「あっちの段の幅が広いところに頼む」

「秀康くん、そこにあるハローの漫画こっちにお願いします」

「ええっと……あ、これですね。どうぞ」

 先輩の指示に従う形で漫画を並べ、10分もすれば作業は終わった。先輩方は慣れているのだろう、作業スピードが段違いだ。定期的にやってるのかもしれない。


 ここからは流れ作業。A組に放課後の作業可能な生徒が多くてよかった。運動部はあまり休みにならないらしいから、運動部が多いクラスは今頃大変だろう。そんなことを思いながらうちわで原稿を乾かす。

 漫研に入るまで、漫画にはろくに触れたこともない人生だった俺にとって、プロのものではなくても漫画の原稿を見るのは初めてだ。ペンも普通のペンでは無さそうだし、先輩達は謎のシール……?を手にしている。名前がさっぱり分からない。……これは乾いたかな。

「……」

 表面を手の甲で軽く擦ってみると、ちゃんと乾いているようで安心する。これの線を消せばいいんだよな……と、消しゴムを手にしようとすると、部長が声をかけてきた。

「秀康くん、細かいことを言ってすまないが、消しゴム掛けは注意してくれたまえ」

「え?」

「作文などでも、乾いたと思っても実際消しゴムをかけたらインクが擦れる、ということはよくあるだろう? それは避けたいのだよ。よって消しゴムは、ゴシゴシ擦るのではなく、垂直に軽く叩くようにかけてくれたまえ」

「垂直に……こ、こういうとですか?」

 とんとん、とシャーペンの線が見えてる所を消しゴムで叩いてみる。消しゴム掛けなんて楽な作業員、ここにいても意味ないんじゃないかと思ったが、これを続けるのなら大変だ。

「そう、そういうことだ。もちろん文字は消さないように注意するように」

「は、はい!」

 とんとん、とんとんと地道に消しゴムをかける。文化祭まで約2週間、クラスの出し物も漫研の展示も、まだまだ先が長そうな放課後だった。




 毎日放課後に集まり、松永先輩が原稿にインクをこぼして騒ぎになったり、部長があのシールみたいなもの──スクリーントーンというらしい──を切ったら原稿ごと切ってしまったりというハプニングを迎えつつも、原稿は徐々に完成へと近づいて行った。しかし肝心のペンを入れる作業をする2人の作業が終わらないとどうしようも無いため、その週のうちに終わることはなく、金曜日の放課後、下校時刻を迎えた。

《部活動の皆さん、文化祭準備で残っている皆さん、お疲れ様です。下校時刻となりましたので、構内に残っている生徒の皆さんは──》

「む、もうこんな時間か。……どうかねふたりともでは諸君、お疲れ様だ。また来週もよろしく頼もう」

「お疲れ様でした」

「お疲れ様です」

 各々挨拶を交わして、昇降口へ向かう。しかしここ毎日、机に向かって集中して作業をしてきたものだから体がバキバキだ。……でも明日は愛の学校の文化祭。俺の口元は自然に緩んだ。




「おかえり陽向! 今日も遅かったねぇ」

「部活の方で色々やることあってさ。来週も遅いかも」

「大変だね……明日は来れる?」

「当たり前だろ?」

「よかった! あ……でも陽向、学校の場所わかる?」

「あー……」

 そういえば、愛の通ってる高校がどこにあるのか、俺は詳しく聞いたことはない。最寄り駅というか、どの地区にあるのかは聞いたが、覚えてはいなかった。

「知らない……でも地図見ればわかるだろ」

「ほんと? 心配だなぁ」

 …………俺は別に地図くらい読める。愛が心配しているのは、小さい頃の印象のまま来ているからだろう。というのも、俺は昔姉ちゃんと愛と3人で大きなショッピングセンターに行った時迷子になってしまったのだ。もう小さい子供ではないし、はぐれたのと地図を読めないのは全く別ベクトルだが、愛は俺が迷子するのを危惧しているようだ。

「愛、心配しなくても俺は……」

「じゃぁ一緒に行こうよ!」

「えっ……いいのか?」

「もちろん! 校内マップは入口で貰えるし!」

 ちょっと口元がニヤける。愛と一緒に歩くなんて、いつぶりだろう。いや、球技大会の日愛の家から俺の家に来る時に歩いたか。でも長い距離を歩くなんて、ほとんどなかった。部活の朝練などがあったのもそうだが、メン ヘラの視線が痛かったせいなのもあることは言うまでもない。

 でも今回の行先は愛の通う高校。その文化祭に行くことは、バイト先の人以外には言ってない。部活には土曜も出てくれると嬉しい、と言われたが、予定があるからと言って断った。だが文化祭に行くとは言ってないので、学校の誰かからメンヘラに話が漏れることは無いだろう。

「……じゃぁ、一緒に行こうかな」

「決定だね! 私朝早いから、陽向にも早く起きてもらうことになるよ!」

「分かった」

 俺は答えながら立った。愛がキョトンとしている。

「……陽向? 何かするの?」

「明日の昼の作り置き。明日早いんなら、こっちも早く準備しないと」

「あはっ、気合い入ってんね! じゃぁ、また明日! 朝迎えに行くね!」

「俺から迎えに行くよ、何時に行けばいい?」

「そう? じゃぁ7時によろしく!」

「了解」

 他愛もない話をして、俺たちは互いに窓を閉めた。

 ふぅ、と息をひとつ漏らした後に、口が緩んだ。楽しみ、とても楽しみだ。愛がメイド姿をしていないのは残念だけど、愛と一緒に歩くと言うだけでこんなに嬉しい。俺は浮かれ気分で母さんの明日の昼食作りに取り掛かった。

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