8限目 警鐘が止まらない

 登校し、付きまとわれ、授業を受け、付きまとわれ、部活に顔を出してメンヘラが帰るのを漫画を読みながら待つ、という平日を繰り返し、土曜。今日がバイトの初出勤だ。

 バイト先に行くと、シャツにズボン、腰エプロン、そして帽子を渡される。サイズは面接時に伝えてあって、昨日届いたそうだ。クリーム色のシャツ、茶色いズボン、同じ色の帽子、オレンジ色のエプロンがこのカフェでの制服だ。

「うん、似合う似合う! 流石陽向くん、暖色合うよねー!」

「やだぁ! 可愛い! 麻衣さんの友達の弟くん、だっけ? イケメーン!」

「高校生だっけ? 姉さんと歳離れてんだな、若ぇなぁ……」

 今日のこの時間帯には、俺と麻衣さんの他に2人バイトがいた。1人は少し派手な女子大学生の蓮見はすみ由利香ゆりかさん、もう1人は姉ちゃんと同じ年齢くらいの男性、田代たしろ誠一せいいちさん。

「はいはい! 全員仕事! 由利香ちゃんはホールお願いするよ! 麻衣ちゃん、陽向くんにキッチンの中を教えてあげて。誠一くんは大変だけど少しの間俺とキッチン受け持ってね!」

「了解です」

「はーい! じゃ、陽向くんまずはね……」

 食材の保存場所、食洗機の使い方などを教わる。

「厨房の人がここまで食器を持ってくるから、そしたらこの食洗機にこうやって並べて……」

 厨房、と言ってもさすがに初っ端料理を任せる訳には行かないだろう、当たり前だ。

「と、食洗機の使い方はこんな感じ! 使えそう?」

「は、はい。何とか……」

「分からなくなったらいつでも聞いてね! 私はもちろん、由利香ちゃんも優しいしそこの目つき悪いお兄さんも優しいから! とりあえず今日は洗い場を頑張ろうか!」

「目つき悪いは余計だ麻衣」

 誠一さんが笑いながら言う。そんな会話をしながらでも料理できるのだからすごい。俺も早くこうなりたい……。


 昼過ぎでもカフェは大忙しで、次から次へと洗う食器が運ばれてきた。水につけて、食洗機にセットして、洗っている間に食洗機では取れないような米粒なんかがついている食器を洗って、流して、食洗機が洗い終わった皿なんかを並べて……と、洗うだけで仕事が多い。だが、俺今、ちゃんと仕事してる!という達成感はものすごい。しかもこれで給料が月末に貰えるのだ。嬉しいに決まってる。そう思うと、自然と口がにやけた。学校では陰キャなので口がニヤけるなど言語道断だが、ここでの俺はただの高校生バイトなのだから、好きなだけ表情を出せる。

「んふふ、なんか楽しそうだね陽向くん。バイト初めて?」

「はい。バイトできる年齢になるの楽しみにしてて……嬉しいです!」

「めっちゃいい子……! このお皿もお願いね!」

「はい!」

 ……勿論、バイトが楽しいというのは表向きの理由だ。本当の、嬉しい理由は……メンヘラがいない!!

 これまでは愛と話す時くらいしか気が抜けなかったし、早くも俺は疲れているのだ。メンヘラたちのせいで。なんなら素の性格を知られると退部させられそうで、漫研でも気を張って陰キャを演じている。俺の素が陰キャ出ないのを知ってるクラスメイトは樋口くんくらいだ。メンヘラたちはなんとか言いくるめたし……多分、言いくるめられたと思いたい。


 洗い物が一段落して、客足も落ち着いたのは午後4時。もう1時間もすれば閉店時間だ。

「あ、陽向くん陽向くん! 厨房希望だけど一応客席番号教えとくね。今お客さんいないし」

 麻衣さんに言われて俺は店内に出た。厨房よりいくらか涼しい。

「ここから見て右側……ドアのほうね。その奥の席が1番、その隣が2番、って感じで、窓際の席は右から左で五番まで、そんで……」

 麻衣さんは歩きながら席順を教えてくれた。そんなに覚えにくいような席順ではなく助かることだ。この店にはカウンター席もあって、そのカウンター席にも番号はあるが、あまり使われないらしい。

「って感じ。まぁ今すぐ覚えなくてもいいから──」

 麻衣さんが言った時、カランカランとドアベルがなった。

「いらっしゃ……あ! 名倉ちゃん!」

「なぐっ……え? 名倉さん!?」

 そこに居たのは、クラスメイトの名倉さんだった。麻衣ちゃんの口ぶりからして、この店の常連なのかもしれない。

「……あら? 結城くん? 奇遇ね。ここでバイトしているの?」

「あ、うん……今日が初出勤だけど」

「そう。私ここの常連なの。これからよろしく。……それにしても驚いた。眼鏡外すと印象変わるわね」

「あれ? 2人とも知り合い?」

「クラスメイトなの」

「そうなんだ! じゃぁ知り合いが来て嬉しいね! 名倉ちゃん、注文決まったら呼んでね!」

 俺は名倉さんに少し頭を下げて、厨房へ引っ込んだ。……名倉さんには1度助けて貰ったが、出来れば陰キャ印象のままでいたかったのが正直なところだ。でもまぁ、仕方ない。名倉さんにはあの4人に引っ付かれていることは話してあるし、まさか言いふらすことはないだろう。ないと思いたい。




 名倉さんは紅茶と季節限定の桜のケーキを食べていた。麻衣さんによると、2週に1度くらいのペースで土曜日に来て、紅茶と季節のケーキを注文するのがお決まりらしい。ただ、いつもはこの時間に来るがたまに昼頃に来てお昼ご飯を食べる時もあるそうだ。

「へぇ……なんか優雅でいいなぁ」

「ね、なんかお嬢様って感じ」

 お嬢様……確かに先程の帰り際、名倉さんに挨拶しようと顔を出したら、なんだか妖艶な笑みを残された。お嬢様がやる微笑みっぽかった。俺好みの顔ではないけど、あの顔に落ちる男子は結構居そうだ。

 ……ところで何故だろう、名倉さんは俺を助けてくれた恩人のはずなのに、嫌な冷や汗と脳の警鐘が止まらないのは……。




 ……月曜日、なるべくメンヘラと鉢合わせたくない俺は、本令ギリギリの時間に教室に着くくらいの時間に登校するようになっていたが、そうなると彼女たちは4人全員で待っている──はずだった。だがその日、俺の目さえおかしくなければこの目には女子が5人映っている。いつもの4人と、プラス1人。色白で背が低く、黒髪のロングが伊藤さん。ちょっと浅黒く茶髪のハーフツインが良木さん。やはり黒髪ロングでパッツン前髪で少し背の高い恩塚さん。そして1番細身で黒髪セミロング、足折れそうなのが実川さん……そしてもう1人、背が高く茶髪のロング…………名倉さん? ………………………………何で……?

「お、おはよう、皆……い、いつの間に名倉さんと、仲良く……?」

「この女とは仲良くないし、別に他の三人とも仲良くなったつもりなんてないから」

「そうだよ……私には陽向くんしかいないから……」

「いつも通り待ってたら、この人が来たの……私は朝の五時過ぎから陽向くんを待ってるのに図々しいよね……」

 実川さんは相変わらず始発で来てるのか……怖すぎる……。というかそんな生活していたらさらに痩せそうだ。これ以上痩せたら消滅しそうなのに。

「…………な、名倉さんはどうしてまた……ここで……」

 俺が恐る恐る尋ねたそのとき、予鈴が鳴り出した。やばい。時間が。誰が言い出すということもなく、俺たちは校舎へと走った。


 何とか本令前に教室に着き、先生が来る前にカバンを机のフックにかけて席に着くと、樋口くんがニヤニヤ笑ってこっちを見た。

「今朝も病み系美女を連れてきましたなぁ」

「美女だと思ってんなら半分くらい請け負ってくれていいんだよ」

「嫌でつ」

「裏切り者ォ……」

 樋口くん始め漫研のメンバーには、俺がこうなった経緯を一応話した。爆笑半分、気の毒半分、くらいの反応だったが、とりあえず理解は得られたようで何よりだ。

「はーい、HRを始めますよぉ。皆さん席に着いてぇ」

 先生がスライドドアを開けて入ってくる。今週もまた、メンヘラに付きまとわれる日々が始まったのだった。

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