五と四分の三章 ダークサイドへのいざない
意外と思うかもしれないが、あの頃の僕にも友達が二人いた。
二人とは、小学生の頃に知り合って、いつも一緒にいる三人組という感じで周囲からも認識されていた。
峰川葵は足が速くて、頭の良い奴だった。だから、自然とクラスの人気者になっていたし、あいつは知らなかったかもしれないが、女子からも人気があった。
堀北彩音は男勝りな奴で、負けず嫌いだった。いつも自分が面白いと思うようなことを考えていて、僕たちにアイディアをぶつけてきた。
僕の名前は梓で、三人の共通点は全員の名前が「あ」から始まることだった。だから、僕たちは〝トリプルエー〟と名乗っていた。今にして思えば、思春期に至るまでのあの短い時間は僕たちを絶妙なバランスで繋ぎ止めていたのかもしれない。
「ねえ、四〇〇万円があったら何したい?」
学校帰りの道で、彩音がそう聞いてきた。あれは中学生になりたての頃だっただろうか。僕は思わず笑ってしまった。
「なんで四〇〇万なんだよ。中途半端だな。五〇〇万にしてくれよ」
「じゃあ、五〇〇万でいいよ」
葵は道端に落ちていた石ころを蹴っ飛ばした。昔、蹴っ飛ばした石が盛大にバウンドしながら道路脇の民家の玄関まですっ飛んでぶち当たったことがあった。僕たちは笑い転げながら逃げ帰ったのを覚えている。葵はニコニコしながら空を見上げた。
「えー、何がしたいかな」
「俺はとりあえず寿司食いたいな」
僕がそう言うと、彩音は笑った。
「あと四九九万どうすんの?」
共働きの両親がいて、僕は一人っ子だった。欲しいものはだいたい買ってもらえていたし、たいして思いつくものがなかった。
「そういう彩音は何したいんだよ」
「何も考えてなかった」
「考えてたから聞いたんじゃないのかよ」
彩音は矛先を逸らすように葵の顔を覗き込んだ。
「葵は何したいの?」
「そうだな……、サンティアゴ・ベルナベウでクラシコ観たいな」
「え? 何の話?」
「ラ・リーガっていうスペインのサッカーのリーグがあって、レアル・マドリードとバルセロナっていうのが強いんだよ。メッシとかクリスティアーノ・ロナウドとか知らない?」
「聞いたことある」
僕はうなずいた。葵は小学校ではサッカー部に入っていて、中学でも仮入部をして、入部するかどうか考えていた記憶がある。
「ベルナベウはレアルのスタジアムで、もうそろそろ建て替えるらしいんだよ。だから、新しくなる前にベルナベウでクラシコ観たい」
「クラシコってなに?」
僕が尋ねると、彩音が愉快そうに言った。
「お蕎麦?」
「それは更科」
僕がすかさず答えると、彩音は嬉しそうに「お~」と手を叩いた。僕も葵に向けて、一発かましてやる。
「ロシアの揚げパンみたいなやつ?」
葵は少し考えて、
「それピロシキだろ。もう『シ』しか合ってないじゃん」
と返した。僕と彩音は揃って「お~」と手を叩いた。
「クラシコは〝伝統の一戦〟っていう意味で、レアルとバルサが戦う時はそう言われるんだよ」
「スペインか~、行ってみたいな」
彩音が夢見がちにそう言った。
中学生というのはどこかが歪みがちで、特に男子はおかしな方向に転がる奴もいる。トリプルエーが次第に一緒に行動しなくなったのは、何かきっかけがあったわけじゃなかった。だけど、事あるごとにクラスの男子に、彩音と一緒にいることを茶化されることが何度かあって、そういうことの繰り返しで、お互いに要らない意識をし始めてしまったのだろう。たまに一緒になれば話す程度で、僕たちは男子連中と、彩音は女子連中とつるむことが多くなっていった。
少年っぽさが次第に影を潜め、彩音は学校の中でも大人しい女子に分類されるくらいになった。聞いたところでは、休み時間はいつも一人で本を読んでいたらしい。それが中学一年生の終わり頃だっただろうか。あの頃の僕ら男子は、女子と違って文学なんかとは無縁で、結局のところ、男と女では見ている世界が違うのだということをぼんやりと感じた。もともとクラスもバラバラで、僕たち三人は徐々に言葉を交わすこともなくなっていった。
中学二年生のある日、全校集会でふざけていた一部のグループに壇上の校長先生がものすごい剣幕で怒鳴り散らしたことがあった。シーンと静まり返った体育館の空気が震えるほど冷たくなった感覚は今も容易に思い出すことができる。
ツイッターやインスタが、その校長先生への悪口で溢れた。なにしろ、関係のない他の生徒も含めて、三十分以上も説教を食らったのだ。文句も言いたくなるものだ。そういう発言をツイッターで追っていた僕は、ひとつのアカウントを見つけた。
ひとりごと @aaa_333_triple
カツラ校長が全校生徒に大説教。
喚き散らす大人は大人なのか?
21:57‐2019/1/14‐Twitter for iPhone
正直なところ、内容はどうでもよかった。そのアカウント名に僕はピンときた。これは彩音なんだと。このアカウントの過去のツイートを自然と遡っていた。
彩音は葵に好意を抱いているようだった。
昔はずっと一緒だったけど、離れてみて自分の気持ちが分かった。
いまさら話しかける理由もない。
ごく普通の生活の中に、そういった記述が現れる。知ることのなかった彼女の胸の中に触れた気がして、僕は見てはいけないものを見ているこの状況に、言いようのない痺れた感覚を抱いていた。
中学三年の梅雨時期、彼女のツイートに変化があった。まるで、雨模様だった。
振り向いてくれないのなら、まだいい。
傷つけられるのは、耐えられない。
「お前は石ころと同じ」……それって、私に価値がないってことですか?
突き飛ばされて擦りむいた掌。
この痛みが彼との繋がりのようにも思えてしまう。
葵に確認することなどできなかった。それくらい感情的で、苦痛に満ちていた。僕の胸の中に漂い始めたモヤモヤは、次第に熱く粘ついたものに変わっていった。それは葵に対する怒りでもあったし、彩音に対する言葉にならない感情でもあった。葵を思いきり傷つけたいという欲求が僕の中にむくむくと湧き上がっていった。彩音を苦しませている彼を許すことができなくなっていたのだ。
僕は画像を作った。
この街にある産婦人科の外観写真をネットから見つけ出し、それを背景に文章を書いた。
葵くんに堕ろせと言われた
私の中に新しい命があるのに、こうしなきゃいけないのが辛い
一緒に名前を考えて
一緒に幸せになって
一緒に旅行に行きたかったのにな
ごめんね……
葵と去年同じクラスだった女子にラインでこの画像を送った。
『なんか回って来たんだけど』
『これってC組の峰川のことだよね?』
峰川が女子を妊娠させたというウワサは瞬く間に広がって行った。梅雨が明ける頃には、葵はクラスで孤立して、挙句の果てに、転校していった。僕は正義を行った自分が誇らしかった。
僕が剥がし屋になったのは、こうしてみると、必然的なことだったのかもしれない。
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